陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

駒大では全日本大学駅伝区間賞 九電工陸上競技部主将・髙井和治さん

36歳で九電工陸上競技部の主将を務める髙井和治さん。M高史と駒大の同級生です(写真は本人提供)

「M高史の駅伝まるかじり」今回は髙井和治さんのお話です。白石高校時代に全国高校駅伝(都大路)4区で区間賞・区間新(当時)。駒澤大学では全日本大学駅伝で3区区間賞を獲得。九電工では2012年ニューイヤー駅伝で6区区間賞・区間新(当時)。現在、九電工の主将を務めています。36歳という年齢を感じさせないダイナミックで個性溢れるフォームで走り続ける髙井さんに取材しました。

県中学駅伝区間賞で強豪・白石高校へ

小学校は野球部でしたが、小学校のマラソン大会で1位だったこともあって、中学から陸上を始めた髙井さん。中学時代の自己ベストは3000m9分52秒。「県大会に行けるくらいのレベル」と決して目立つ成績ではありませんでした。運命を変える試合となったのが中学3年の佐賀県中学駅伝。アンカー5km区間で区間賞を獲得したのでした。

「白石高校に行けることになりました。まったく知識もなかったのですが、先生の勧めもあって行ってみようと思いました。実際入ってみたらとんでもなかったんですが(笑)」

強豪・白石高校に入学して、すぐに故障。慣れるまでには時間がかかったそうですが、夏合宿で練習を積むうちに秋には5000m14分48秒で走れるようになりました。のちに九電工でもチームメイトとなる同級生の田上貴之さん(現・九電工陸上競技部コーチ)など、ライバルに負けたくないという気持ちで切磋琢磨していきました。その年の都大路では5区を走り、区間8位という都大路デビューを飾りました。

白石高校で力を伸ばし、一躍全国区の選手に。写真はインターハイ県予選(写真は本人提供)

翌年、チームのエース格に成長した髙井さんですが、県高校駅伝の1区で大ブレーキ。のちに駒大、九電工でも同じチームとなる有田工業高校の井手貴教さん(現・九電工陸上競技部コーチ)に大きく離されてしまい、チームも都大路を逃すことになりました。

同級生と本気で優勝を狙った都大路

悔しさを晴らしたいと雪辱を誓った3年生のシーズンはさらに記録を伸ばします。インターハイでは1500m5位入賞。秋の国体少年A5000mでは14分01秒68の好タイムで7位に。

迎えた駅伝シーズンは無事に都大路出場を決め、本番は「優勝を狙っていました」というほどチームの状態も仕上がっていました。迎えた都大路では4区を任されました。

3区終了時点で9位。先頭の西脇工業高校とは51秒差がありました。そこから髙井さんは序盤からハイペースで前を追い上げ7人抜きの快走で2位まで浮上! 先頭との差を11秒差まで詰めタイムも22分53秒で区間賞。13年ぶりの区間新記録(当時)という快走でした!

チームの方は最終区で同級生・田上さんの追い上げもありましたが、西脇工業高校に届かず9秒差の2位という結果に「前をつめたこと、区間新を出したことよりも、優勝できなかった悔しさの方が強いですね。もっと頑張れたんじゃないかという思いがあります」とチームとしての目標を達成できなかった思いを口にされました。

「高校3年間は常にキツかったですが、青春してるなぁという感じでした(笑)。自分たちの学年は中学時代までは実績がなくて、みんな奮起して頑張ったというのが思い出に残っているんですよ」。今でも同級生の集まりでは恩師・三原市郎先生を囲んで当時の話をされるそうです。

苦い学生駅伝デビューとなった全日本大学駅伝

高校卒業後、当時箱根駅伝で連覇を達成していた駒澤大学へ進みます(翌年、翌々年まで4連覇)。ちなみに、私、M高史と同級生です。

故障があったり、距離走に苦手意識があったりという中、1年目から全日本大学駅伝のメンバーに。3区を走ることになりました。

1年生で参加した岩手合宿。上列左から3番目が髙井さん(写真は本人提供)

「かなり緊張していて前日も眠れなかったですね。本番は1位で襷(たすき)をもらって、ペースを意識しすぎて走り方がわからなくなり、頭の中が真っ白で、2位に落としてしまいました」

特に4年生にかわいがってもらっていた髙井さん。2区を走られた4年生で主将の内田直将さんから先頭で襷をもらって順位を落としてしまった責任を感じたそうです。そこからは「故障が続いて負の連鎖でした」と苦しい日々が続きました。

雪辱の全日本で区間賞

長いトンネルを抜けたのは3年生になってから。夏合宿はBチームでこなし、秋の日体大長距離競技会で好走して出雲駅伝メンバー入りを果たします。出雲駅伝では2区で区間5位。6位でもらった順位を3位まで上げました。

続いて、全日本大学駅伝では1年生の時にトラウマとなった3区に再び登場。

「1年目のイメージがありすぎて、前日全然眠れなかったんです。当時、前田康弘コーチ(現・國學院大学陸上競技部監督)が同じ宿舎で『行けるよ!』と言ってくださったのですが、実はすごくナーバスだったんです(笑)」

区間賞を獲得したときの髙井さん(提供:駒大スポーツ)

チームは1区で出遅れ、2区で挽回したものの8位で襷をもらった髙井さん。無我夢中で前を追いかけ区間賞を獲得します。「区間賞を獲って、やっと仕事したと思えました。駅伝が怖かったので、嬉しさよりも安堵でしたね」

しかし全日本後は「長い距離が走れないという自分のイメージが払拭できませんでした」と箱根のメンバーに入ることができませんでした。

3年生のときの三大駅伝報告会にて。右から2番目が髙井さん、右端は私・M高史です!(写真提供:M高史)

最初で最後の箱根駅伝

4年生になり、最終学年ということで春先から必死。4月の金栗記念陸上で5000m13分57秒70で走り、高校時代の記録を更新します。しかし、関東インカレを前に故障。

「自分たちの代が弱くて申し訳なかったです。3年生まで誰も箱根に出ていなかったので、陸上部主将の早瀬浩二(現・日本郵政グループ女子陸上部コーチ)ともよく話をしました」

4年生で出場した金栗記念5000mで高校以来の自己新をマーク(写真は本人提供)

迎えた駅伝シーズンも出雲の直前に故障してしまい、全日本も欠場。この年の全日本は3年生以下のメンバーで挑んだ駒大が優勝しましたが、髙井さんはなんとか箱根に間に合わせるべく必死でした。

ようやく走れるようになった12月。「2時間走を毎日やりながらなんとか立て直しました。練習が積めていなかったので、一番短い4区(当時は18.5km)に使ってもらった 大八木弘明監督には感謝しかないです」

最初で最後の箱根駅伝。チームは直前で故障者、体調不良の選手も出て、3区を終えた時点で駒大はまさかの14位。「ピンチすぎて、最初から突っこみました! 最初抑えて入っても後半落ちるので(笑)。突っ込んで入って後半はとにかく粘りました!」

初の箱根路は4区区間3位の好走。5人抜きでシード権内の9位に順位を押し上げ、5区・1年生の深津卓也さん(現・旭化成陸上部プレイングコーチ)に渡します。

復路は途中、苦しい場面もありながらももう1人の箱根初出場となった4年生の治郎丸健一さん(現・ラフィネグループ陸上部監督)が踏ん張り、駒大は総合7位でした。

ニューイヤー駅伝区間新と幻の日本選手権入賞

大学卒業は実業団・九電工へ。「当時、エースだった前田和浩さんに勝ちたいと思っていましたが、全然歯が立たなかったですね。練習も試合も全てが強かったです。ラストも強かったんですけど、ラスト勝負になる前に置いていかれてました(笑)」と日本代表経験も豊富な先輩との練習も刺激となりました。

入社1年目の朝日駅伝。この時、母校駒澤大学も出場していました(写真は本人提供)

2012年のニューイヤー駅伝では6区区間賞・区間新(当時)の快走。「区間新は意識していなかったんです。6位で襷をもらったら、すぐ後ろに7、8、9、10位のチームがいて、危機感でガムシャラに走ったら、前のチームに追いついて、結果的にラッキーな区間新でした(笑)」というエピソードも教えていただきました。

また、2012年の日本選手権5000mでは、序盤から独走状態に。「スローペースで、そのまま行こうと思ったら誰もついてこないので自分のペースで行きました」。2位集団との差をつけてレースを進めるも、終盤になり追い上げられ4400m付近で集団に吸収されます。一時は10位前後まで順位を落としますが、再び粘ってラストで巻き返し、4番目にフィニッシュしました。

しかし、正式結果は「失格」でした。「風が吹いた時にふわっとインレーンを踏んでしまったみたいです。失格とわかったのはレースの10分後、自分では4位だと思っていたんですけどね。仕方ないですが、こういうレースができたのは良かったなと思います」と前向きに話されました。

主将、マラソン挑戦、家族の支え

現在は九電工陸上競技部の主将を務めています。「キャプテンは今年で3年目です。中学、高校、大学とキャプテンをやったことなかったんですよ(笑)」

今年36歳を迎えた髙井さんはチーム最年長。次に年上の選手は27歳ということで「ほとんどの選手が一回りくらい離れているので、厳しいことよりもプラスなことを言うようにしています。キャプテンといっても社会人ですし」。心がけているのは「練習では必死に粘って走る姿を見せて、試合では良い結果を出すこと」。背中で見せるキャプテンです。駒大の後輩でもある大塚祥平選手がMGCで4位。若手選手も力をつけています。

大塚祥平選手(中央)をはじめ、駒大の後輩たちからも慕われています(写真は本人提供)

また、今年2月は別府毎日マラソンに出場。35歳にして初マラソンとなりました。「ずっと長い距離に苦手意識があったのですが、(マラソンを)走らないと後悔すると思って挑戦しました。40km走を3回できて、やればできるんだなと思いましたね。25kmまでは先頭で絶対に行きますとまわりに公言しましたよ(笑)」

宣言通り25kmまで先頭集団で粘った髙井さん。「案の定、25kmで離れてしまいました(笑)。甘くはなかったです。ただ、2度と走りたくないとは思わなかったですね」。結果は2時間17分09秒。また挑戦したい、やって良かったと思えたそうです。

長く競技を続けているモチベーションについて、特にこの3年間は「昨年出した記録を超えること」「過去の良かったことにこだわらず、現在の体調に向き合うこと」ということを心がけているといいます。

現状を打破するために新たな取り組みも始めました。

「パーソナルトレーナーをしている妻から2年前に初めてピラティスを教えてもらって、継続しています。ピラティスは呼吸・姿勢・体の使い方が大事で弱点が改善されました」

奥様のピラティスで弱点を改善。家族の応援が心の支えです(写真は本人提供)

奥様の支えもあって、走りにも磨きがかかり、今年7月のホクレンディスタンス士別大会では13分52秒69をマーク。9月26日に行われた中国実業団記録会では5000m13分48秒94で日本人2位となり、まだまだスピードも健在です!

奥さんと3姉妹のお子さんたちも応援してくれています。「まだ長くやってほしいって言う気持ちは伝わってきますね。こどもたちが合宿、練習、試合などがわかるようになってきたんです。家族の応援がなかったらここまでできなかったですね」と家族への感謝も口にされました。

今後については「駅伝メンバーに自分が入れないようなチームになってほしいです。自分に勝って駅伝メンバーに入ってやろうぜという気概をみんなに持ってほしいです。ニューイヤーでも入賞したいですね!」とチームの目標を話してくださいました。

2019年の九州予選では区間賞を獲得。ダイナミックな走りもまだまだ健在です(写真は本人提供)

さらに個人では「マラソンで後悔のない結果を出し、やりきりたいです! 今井正人選手(トヨタ自動車九州)、岡本直己選手(中国電力)、北島寿典選手(安川電機)と現役で同期がまだ頑張っているので、負けたくないですね!」

今でも駒澤大学の選手とレースが一緒になれば、スッと前に出て引っ張るという後輩思いな一面も!「大八木監督は優しいですけど、今でもお会いすると緊張しますね(笑)」と爽やかに話される髙井さん。

同級生の1人としては現役で1日でも長く続けてほしいなぁという個人的願望と、悔いなく完全燃焼してほしいという応援の気持ちでいます!

M高史の駅伝まるかじり

in Additionあわせて読みたい