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特集:駆け抜けた4years.2025

関大・金丸夢斗(上)中日ドラフト1位左腕の思考法「小さなことをやりきる」目標設定

中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けた関西大学の金丸夢斗(撮影・伊藤進之介)

関西大学の金丸夢斗(4年、神港橘)は、1年の秋から関西学生リーグ戦のマウンドに立ち続けてきた。通算成績は49試合に登板し、20勝3敗。2、3年のときにそれぞれ9勝を挙げ、関西では常に注目の的だった。

3年秋のシーズンが終わった時点で「翌年はどれだけ無双するのか」と熱い期待を寄せられていたが、金丸にとってのラストイヤーは歯がゆさだけが残るものだった。「4年間はあっという間でしたけれど、最後の1年は『早くドラフトの日が来てくれ』って内心は思いました。それぐらい悔しさしか残らなかったです」。昨秋のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受けた左腕の大学生活を、前後編の2回にわたって振り返る。

侍ジャパンで衝撃的だった山下舜平大の投球

2024年シーズンの滑り出しは順調だった。3月に野球日本代表「侍ジャパン」のトップチームに大学生ながら選出され、欧州代表との強化試合で先発のマウンドに上がった。2回を投げ、4奪三振無失点。完璧な投球を披露したが、金丸にとって印象に残っているのは、試合前のブルペンで同級生の山下舜平大(オリックス・バファローズ)が投げた球だったという。

「まず体が大きいのに圧倒されましたけれど、投げていても全く力感がなくて、ブルペンで2人並んで投げた時に、自分のボールが遅く感じたんです。でも、舜平大投手は軽く投げているのに150キロが当たり前に出ているんですよ。『これがプロか』って衝撃を受けました」

侍ジャパンのトップチームに選出された際は、山下舜平大の球を見て衝撃を受けた(撮影・金居達朗)

昨年2月に金丸を取材した際には「侍ジャパンで話を聞いてみたい投手」という質問に、同じ左腕でもある宮城大弥(オリックス)の名前を挙げていた。

「宮城さんはピッチングに角度があって、コントロールがすごく良いですし、実際に色んな話を聞かせてもらいました。森下(暢仁)さんや隅田(知一郎)さんのチェンジアップとか、色んな方の話はものすごく勉強になりました」

約1カ月後に開幕した春のリーグ戦では、開幕戦の京都大学戦で8回を11奪三振、1失点。次節の立命館大学戦も3安打で完封勝ちを収め、圧巻のピッチングを披露していた。しかし、5月の関西学院大学戦で腰に痛みを訴え、4回を投げ終えて緊急降板。腰骨の挫傷を起こしていることが発覚した。

「プロに行く」強い覚悟故のストイックさ

実は3年秋のシーズンを終えた際、一抹の不安があったという。

「3年まで出来過ぎだったので、実は少し怖いなというのはありました。あれ以上の成績を残すとなると、相当頑張らないといけないですし、相手との対戦というよりプレッシャーとの戦いというのはありました」

だからこそ、3年の冬はこれまで以上に気を使った。技術面だけでなく、コンディショニングや普段の生活リズムなどで他の選手からの見本となるべく、神経をとがらせてきた。

「3年生まで出来過ぎだった」ことで、秋シーズンを終えてから不安があったという(撮影・沢井史)

金丸はとにかくストイックだ。練習への向き合い方のみならず、栄養摂取の面でも細心の注意を払ってきた。たとえばペットボトル飲料を手に取ると、まず成分表示を目にする。「ラベルに清涼飲料水と書いていたら、飲まないです。スポーツドリンクも(甘味料が多いため)口にしません」

真夏の時期も、実際に飲んでいたのは水やお茶だけ。お茶は主に麦茶で、緑茶は体温を下げる成分が入っているため、試合中や練習中は控えていたという。さらに、血液検査をした上で問題ないと判断したプロテイン以外は口にしなかった。

「果物100%のジュースとかは、朝ごはんの時に飲んでいました。牛乳は飲むにしてもコップ1杯にするとか、飲む量を決めていました。暑くてもあえて汗をかいて、水分をきちんと取るようにはしていました」

食事は栄養を重視することはもちろん、試合前はおなかを下す可能性を懸念して生野菜を控える。試合前は炭水化物、試合後はたんぱく質を多めにするなど、すでにプロ野球選手であるかのような気遣いで体のケアに努めてきた。

「とにかくやることがたくさんありすぎて……正直、パンク寸前でした(苦笑)」。それでも「プロに行く」という強い覚悟があったから、何においても突き詰めてきた。

「プロに行く」という強い覚悟から、栄養摂取の面でもストイックに突き詰めた(撮影・沢井史)

変化球→ストレート→トレーニングの順でこだわり

高校時代、金丸は決して名の通った投手ではなかった。だが、関大へ進学を志望したのは、将来はプロ野球選手になりたかったからだ。「大学入学当時は、支配下でプロに行けたらいいなと思っていました。今となってみれば、まさか1位で行けるとは、という感じです」

ここまで成長できた要因の一つに、目標設定がある。大学入学後は1年ごとに一つの目標を掲げ、必ずやり切ってきたことが結果につながったのだと言う。

「高校の時は一つの大きな目標を立てて、それに向かっていくようにしていたんですけれど、やることがたくさんあって、迷いなどもあって、なかなか達成できなかったんです。だから、小さなことからしっかりやり切って、少しずつ近づいていくことだけを考えるようにしました」

小さな目標を1年ごとに一つ掲げたことが、ここまでの成長につながった(撮影・沢井史)

たとえば1年生の時は、「一つの変化球を覚えること」を目標に掲げた。

「高校の時、自分の武器はストレートだけで、変化球が全然ダメだったので、このままではリーグ戦で通用しないと思って、一つの決め球としてスプリットを練習しました。時間をかけて練習していった結果、2年生の秋くらいから決め球として使えるようになりました」

2年生になるとストレートの質にこだわるようになった。決め球が生きてくるようになったからこそ、さらに上を目指す。トレーニングにもこだわるようになったのはこの頃で、キレや質だけでなく、スピードもアップした。

ただ、4年になるとケガとの戦いがつきまとった。3年時までの期待があるからこそ、自分も表舞台に立ちたいという思いは強くなる。だが、現実は思うようにはいかず、順風満帆だった日々に暗雲が立ち込めるようになった。

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後編は19日に公開予定です。

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