立命館大・福永楓花 走れなかった全日本の後「苦手」とも向き合い、富士山で区間新
2024年12月30日に開催された全日本大学女子選抜駅伝競走(富士山女子駅伝)は、立命館大学が7年ぶりに制し、昨年10月の全日本大学女子駅伝に続く「二冠」を達成した。富士山での優勝に大きく貢献したのが、6区を走った福永楓花(4年、安田女子)。全日本で出走できなかった悔しさをぶつけ、区間記録を塗り替える快走だった。
3位からトップに押し上げ「前しか見ていなかった」
レースは各チームのエース級がそろう最長区間(10.5km)の5区を終えた時点で、女子5000mの日本学生記録を持つサラ・ワンジル(2年、帝京長岡)が走った大東文化大学がトップ。足の状態が万全ではなかったために4区を任された主将の山﨑りさ(4年、成田)が意地の走りを見せ、5区で尾方唯莉(4年、東海大熊本星翔)が粘った日本体育大学が26秒差で2位。立命館大学はさらに5秒差の3位で、土屋舞琴(3年、興譲館)から福永に襷(たすき)が渡った。
「土屋がどういう状況で来るのかということは、前日のうちからいろいろ考えていました。走る前、土屋に『後半は任せて』と言っちゃったので、『自分のところでどうにかする』という心づもりでスタートしました」と福永。設定タイムなども決めてはいたが、区間記録を狙う以上に、6区で先頭に立ってアンカーの中地こころ(4年、立命館宇治)につなぐ思いの方が強かった。「コーチからも『中地に1秒でもプレゼントしてくれ』と言われていたので、前しか見ていなかったですし、1秒でも10mでも稼ぎたいと思っていました」
日体大と一緒に、31秒先にスタートした大東文化大の背中を追い、ラストスパートの切れ味も鋭かった。2位の日体大には6秒先着して中地へ。福永個人としては、前回大会で名城大学の増渕祐香(現・第一生命グループ)がマークした区間記録を15秒更新した。
ジョグだけでなく、流しや動き作りにも注力
9年ぶりに優勝した約2カ月前の全日本で、出走メンバーの中に福永の名前はなかった。3年時は日本インカレ女子10000mで4位に入り、全日本と富士山ではいずれも最長区間を任されていたから、意外に映った。杉村憲一監督は、福永にとってのラストイヤーで全日本の出走がかなわなかった理由をこう語る。「走れる状態でしたけど、相手校もいる中で、どういうオーダーを組めば勝つことに近づくのかを考えました。たまたま走る機会には恵まれなかったんですけど、走る力は十分にありました」。それだけチームの選手層が厚いということを示唆した。
福永自身は全日本で出走メンバーから外れたとき、仲間の前で涙は見せられないという思いから、はじめは平静を装っていたと振り返る。ただ、部屋に戻った途端に悔しさがあふれ出た。優勝後の記者会見で当時の心境について尋ねると、「全女が終わってからの練習では、一人で泣きながら走ることもありました。いま思い出すだけでも、めっちゃ悔しいんですけど……。そこから『富士山は自分が走って優勝する』と決めました」。こみ上げてくる涙をこらえながら語った。
競技に対する向き合い方も変わった。「自分はジョグでいつも長めの距離を走るんですけど『本当にそれでいいのか』と思うようになって。『自分が走って優勝するためには、もっと自分の苦手なところを見直さないといけないんじゃないか』と」。流しや動き作りなど、ジョグ以外のところにも力を入れるようになった。
チームとしては全日本優勝後の約2カ月間、上位7人による5000mの平均タイムを15分50秒にすることを目標に掲げた。「優勝するのに15分台は必要だと思うんですけど、15分50秒まで上げられたら、自信を持って富士山に挑める」と主将の村松灯(4年、立命館宇治)。今回のエントリーメンバーで計算すると15分40秒台となり、目標をクリアしている。福永も昨年11月末の日体大記録会で15分54秒45の自己ベストを出し、平均タイム向上に貢献するとともに、富士山へ向けて自信をつけた。
杉村憲一監督「お手本となる選手の一人」
入学当初から力があるタイプの選手ではなかった、と杉村監督は言う。「入ってきた時からのタイムで言うと、一番伸びていると思います。コツコツと努力を積み重ねて、今回の会心のレースにつながった。本当にみんなのお手本となる選手の一人。『強くなりたい』という気持ちを秘めながら練習を継続することで、こうやって強くなれる。ただ『区間記録で走りました』ということだけじゃなくて、裏にはこういう努力があったということを、みんなに知ってほしいです」
学生アスリートの可能性や小さなことを積み重ねる大切さを、福永は教えてくれる。本人は「サポートしてくださっている皆さんや家族、見てくださっている誰かしらに、『何かを残せる駅伝にしたい』と思って走りました。出走選手として初めて優勝を体験して、走り終わった後にみんなが喜んでくれて、改めていろんな方々に支えられていたんだなと。ここまで頑張ってきて良かったなと、すごく思えました」。感謝の言葉を口にして、このチームで戦う最後の駅伝を終えた。