関西大学・越川海翔 金丸夢斗の球を受ける「努力家」、高校時代は部員不足に悩まされ
大学生ながら3月に侍ジャパントップチームの強化試合に招集された関西大学の金丸夢斗(4年、神港橘)は球速、制球力、変化球のすべてで高いレベルにあり「大学ナンバーワン左腕」の評価は揺るがない。他にも関大には実績十分の選手が集う。その中でバッテリーを組む越川海翔(4年、串本古座)が歩んだ道は少々異なる。部員不足に悩まされる公立校出身で、公式戦勝利は2年秋と3年夏に1勝ずつ。そもそも高校選びの段階で重視したのは、甲子園を狙えるかではなく、卒業後の進路だった。
地道にスキルを磨き「C」から「A」へ
大阪府出身の越川は大学野球での活躍を志しつつ「進学先が良かったから」という理由で、和歌山県の串本古座高校に進んだ。15歳で早くも始まった一人暮らし。朝は弁当を作ってから登校し、午後8時ごろに帰宅すると自炊や洗濯をこなした。
中学までは得意ではなかった勉強にも力を入れ、指定校推薦で関大へ。室内練習場もなく普通の校庭で白球を追っていた球児からすれば、専用グラウンドをはじめとした充実の設備に胸が高鳴った。「練習環境めっちゃいいですし、みんなうまいし、ワクワクと楽しみばっかりでした」
ただ一方で、レギュラーを張るまでの道のりが簡単でないことも痛感させられた。先輩たちの力量を目の当たりにした感想は「うますぎやろ。何このバッティング」。特に同じポジションには、3学年上に久保田拓真(現・パナソニック)、一つ上には有馬諒(現・ENEOS)という大学トップクラスの捕手がいた。「これがプロ注か。技術もそうなんですけど、考え方やキャッチャーとしてのスキルレベルがものすごく高くて、考え方も盗めたら盗んで、リーグ戦でも見て学んでました」
自主性を重んじる関大の方針のもと、地道にスキルを磨き続けた。「下級生のときはすごい先輩がいっぱいいたので、うまいところを盗んで徐々にレベルアップしていった感じです。ブロッキング、キャッチングに重きを置いて。それとスローイングには自信があったので、キャッチボールを大事にしてました」
その努力は想像以上に早く身を結んだ。1年の冬、野球部全体のグループLINEでメンバー発表があり、「A」の中に自分の名前を発見した。CからAへの飛び級に「入ってるやん! と思って家族に報告しました。喜んでくれました」。リーグ戦初出場は2年秋。有馬の故障という事情があったにせよ、スタメンマスクをかぶった。これまでの3年間を「うまくいきすぎて、びっくりするぐらいです。最初はCにいたので、急にAに上がってベンチ入りってなったんで、出来すぎちゃうかというぐらい。練習頑張って良かったなと思いました」と振り返る。そして最上級生となった今春は、開幕マスクの大役を任された。
「日本一を取って金丸を優勝投手にしたい」
開幕戦の相手は、データを駆使する京都大学。金丸のストレート狙いで挑んでくるとの読みから、緩急をつけた配球で組み立てた。四回までパーフェクトに抑え、死球で初めての走者を出した五回は、バント処理で二塁送球1.78秒を誇る自慢の強肩を披露。1死一塁から、2-6-3の併殺を奪った。両チーム無得点の六回、走者を三塁に置いても、金丸に低めを要求し、何度もワンバウンド投球を止めた。「冬でだいぶブロッキングが成長できたと思ってるので、自信を持ってサインを出しました」。オフの間は毎日動画を撮って、止める形やタイミングの細かい部分まで追求し、無意識に反応できるまで体に染み込ませた。
開幕戦は0-1で敗れ、連敗で勝ち点を落としてしまったが、下を向いてはいられない。目標はリーグ優勝ではなく、もっと高いところにあるからだ。「絶対に優勝して全国大会に行って、そこで日本一を取って金丸を優勝投手にしたいなと思ってます。金丸の良いところを引き出したら絶対勝てると思うので、キャッチングとか自分の出来ることをやって金丸を引っ張っていきたいと思います」
ピンチのときでも、どっしりと
リーグ戦初出場となった2年秋の立命館大学戦も先発投手は金丸だった。当時について「緊張でガチガチ。キャッチャーとしては10点です。初回から打たれるし、頭が全く整理できてなくて、焦って焦って焦りまくって、結果は勝ったんですけど思い通りにリードできなかったです」と振り返る。ただ、心も技術も成長した今なら、そんな心配は必要ない。
金丸は越川を「野球に対して真面目でとても考えてくれる選手。肩も強いですし、そんなに(有馬がいた)去年と変わることはないかなと思ってます」と評価している。「チャンスでの1本と、キャッチャーとしてはスローイングを徹底して盗塁を刺せるように。ピンチのときでも焦らず、どっしりとチームの要としてやっていきたいです」と越川。大学ナンバーワン投手がマウンド上で左の拳を突き上げるとき、努力家の捕手が真っ先に駆け寄るはずだ。