野球

同志社大・松井涼太 春秋ともに首位打者で有終の美、中日・石川昂弥の姿に背中押され

関西学生リーグで春秋連続の首位打者となった松井(東邦時代を除きすべて撮影・沢井史)

春は4割6分7厘、秋は3割7分5厘。

これは同志社大学の松井涼太(4年、東邦)が残した今季の打率だ。2年春に関西学生リーグ戦でデビューした際は4番打者を任されたが、以降は3番だけでなく、時には7番、9番と下位打線に回ることもあった。最終学年となった今年から4番に固定された左の強打者。春、秋いずれも打率トップで首位打者のタイトルを獲得し、個人的には有終の美を飾って学生野球を終えた。

「侍ジャパン」大学代表合宿に参加し、高まった期待値

春は近畿大学のリードオフマン・坂下翔馬(4年、智弁学園)とリーグ終盤まで激しい首位打者争いを繰り広げ、手にした念願のタイトルだった。外野手でベストナインも獲得し、ラストシーズンへ弾みをつけようと意気込んでいたが、この秋は春に比べて満足のいく当たりは少なかったという。

「秋はほとんどがクリーンヒットでした。その中でラッキーなヒットが2、3本あったという感じで、長打を打っても二塁打。春に比べれば調子は良くなかったですけれど、それでもヒットになってくれていました」

この秋は、春と比べて納得の当たりが少なかったと振り返る

春に首位打者となったことで、松井への注目度は一気に上がった。6月には神奈川県平塚市で行われた「侍ジャパン」大学日本代表の合宿にも参加。日米大学野球選手権大会のメンバーには選ばれなかったが、以降は周りから求められる期待値も、ぐんぐんと高まった。

本人も周囲から期待されることは当然だと感じていた。春以上の成績を残すこと、そしてリーグ優勝をつかむことを大きな目標とした。ただ一方で「背伸びをしてはいけない」とも思っていた。

「自分では意識していないつもりでも、(何とか良い結果を残そうと)勝手に頭や体が動いてしまうんです。そういうところから精神的に追い詰められた部分は少しありました。(タイトルを)取って以降の行動が大事になってくるんだと思います。分かったつもりでも、この秋はうまくいかないことも多かったですね」

「割り切るしかない」と臨んだ金丸夢斗との対戦

秋のリーグ戦は開幕節で関西大学とのカードが組まれ、すでに来秋のプロ野球ドラフト会議での目玉とされている最速153キロ左腕・金丸夢斗(3年、神港橘)と最初の試合でいきなり対戦した。

「金丸投手のすごさは見ていたら分かると思いますが……。真っすぐが来たと思って『とらえられる』と振りにいったら、(手元で沈み込んで)バットの2個下をボールが通っていましたね。ストレートの質が高くて空振りを取れるから、変化球も生きてくる。もう『早くプロに行ってほしい』って思いますよ(笑)」

金丸に限らず、対戦した他のピッチャーからもコースを厳しく突かれ、春までとは違う攻め方をされた。それでもリーグを代表する打者としては、さらにその上を行かなければならない。しかし、なかなかとらえ切れず、当たっても単打になることが多かった。

「オープン戦の序盤はヒットどころかいい当たりすら出なかったです。タイミングが全然合わずに終わった試合もありました。三振はなかったけれど、自分の間が取れていない試合もありました。それでもオープン戦の後半は自分なりの振りができていたので、万全な形ではなかったですが、十分やっていける状態でリーグ戦に入れました。『もう、割り切るしかない』と思ったリーグ戦の最初に金丸投手と対戦して、打てなくてもそこで崩されるのが一番嫌だった。打てなくても引きずらずに臨めたので、結果的に(リーグ戦を通じて)ヒットを打てたのかなと思いました」

打てなくても引きずらなかったことが、好結果につながった

代表合宿で、高校時代の仲間と再会

高校3年の春、選抜高校野球大会で優勝した。当時は「背番号3」をつけ、主にセンターやライトを守った。1番打者として決勝までの5試合にフル出場。ただ「3番ピッチャー」を任された石川昂弥(現・中日ドラゴンズ)が投打に躍動していた姿の方が印象に残った。

現在は中日の中心打者の一人として活躍する石川の姿に、松井は何度も背中を押されたという。「細かくチェックはできていないですが、ホームランを打ったとか、情報が入ると、いつも『すごいな』って思います。熊田(任洋)も早稲田大学で活躍していますし、結果を見たら『自分も頑張らなきゃいけない』と気合が入ります。自分が頑張ったことで向こうも意識してくれたらな……と思いますが。熊田はレベルが高い東京六大学なので、相手にしていないと思いますけど(笑)。でも、相乗効果が出たらいいなと思いながら、ずっとやってきました」

東邦高校時代、選抜高校野球大会で1番打者を務めた(撮影・朝日新聞社)

熊田とは大学代表の合宿で再会した。日米大学野球選手権のメンバーに選出され、侍ジャパンのユニホームを着た仲間の姿に感銘を受けつつ、自身も負けじとここまで走り続けてきた。

最上級生になって苦しみながらつかんだ勲章は、今後の世界でもきっと生きるはずだ。

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