アメフト 全員! それが立教フットボール
1990年以来28年ぶりの慶應戦勝利にも、立教のキャプテンであるDB森上衛(まもる、4年、関西学院)は淡々としていた。まず自分たちを支えてくれた観客席にあいさつ。そしてフィールドレベルで後押ししてくれた応援団のところへ行き、全員で感謝を伝えた。
将来を考え、立教の経営学部へ
今シーズンは日大がリーグ戦に出られないため、TOP8は7校の争いになった。節ごとに1校、試合のないチームがある。立教は第1節の試合がなく、これが初戦。慶應が中央に勝った試合を徹底的に分析して臨んだ。試合後、森上は言った。「僕らには2週間のアドバンテージがあったかから、準備の面では負けることはなかった。地に足がついてました。勝って泣いてるメンバーもいましたけど、みんな満足してない感じはありました。ここがゴールじゃないという思いの方が強いです」。立教の主将から出てくる関西のイントネーションが、いい。
それでも、さすがに試合前はさまざまな思いがこみ上げてきたという。「なんか、ゾワゾワする感じがありました。試合が始まればいける、と思う反面、これまで3年間勝てなかったこととか、新チームになって悩んだこととか思い出して」。そう言って、主将は遠くを見た。
3年前の春、私は立教のメンバー表に森上の名前を見つけて驚いた。「え、なんで立教なん?」。というのも彼は前年、関西学院高等部(兵庫)の主将だった。ディフェンスの最後尾を担い、12月のクリスマスボウルでは関学の10年ぶりの日本一に貢献した。当然、関学ファイターズでプレーを続けるものだと思っていた。
将来を考えての立教進学だった。「母方が物流の会社を経営してきた家系なので、いずれそこに携われたらという漠然とした目標がありました」。高3になって内部進学の説明会に出たが、関学の商学部では、経営について専門的に学べるのは3回生になってからだと分かった。「このまま関学でアメフトやって、それなりにいいとこに就職できそうなのは分かってました。でも、それで思ってたところに到達するんかなという思いがあったんです」。かつて立教で学んだ叔父から、立教の経営学部の評価が高まっていることを聞いた。自分なりにいろいろ調べ、先生にも相談し、立教進学を決めた。チームメートたちは、ちゃんと話せば分かってくれた。
初めて知ったアメフトの怖さ
立教大学アメフト部ラッシャーズには、どこにも負けない歴史がある。1934年に当時の教授だったポール・ラッシュ博士によって創部。日本におけるフットボールのルーツ校である。1951年に甲子園ボウル初出場。過去6度の出場で4度の学生日本一に輝いている。しかし最後の出場が1965年。2部リーグ落ちも経験した。私立とはいえアメフト部のスポーツ推薦枠も限られ、強豪校に置いていかれた。森上が入った2015年も実質的な2部の1部BIG8にいた。
1年の春から試合に出た森上は、ディフェンスの最後尾にいて感じた。「アメフトが怖い」。関学の中学部でタッチフットを始めて以来、初めて抱く感情だった。
ランプレーでどんどんRBが抜けてくる。高校までは自分の守る位置までランナーが来ずに終わるプレーがいくらでもあった。前の仲間が止めてくれた。それが、どんどん抜けてくる。でっかいOLたちも自分をつぶしにやってくる。まだできていない体で奮闘した。タックル、タックル、またタックル。その秋、1部にあたるTOP8昇格を果たした。ただ過去2年もTOP8では上位争いができないまま最終学年を迎えた。
関学は一昨年、昨年と甲子園ボウルに出ている。「ああ、俺も関学行ってたらな」と思ったことはないか、森上に聞いた。苦笑いして、彼はこう言った。「そら、多少は。大学1年のときに会った高等部時代のコーチには『お前がそのまま進学してたら、もうVチーム(1軍)に入ってたやろな』って言われましたし。でも、勉強でここに来てるってのがあったし、まあ、後ろ髪を引かれたくないっていう意地ですかね。そんな気持ちもありました」。
一方で正直な思いも教えてくれた。「やっぱり、いいなあと思いましたよ。高等部の同級生に『あいつ、もう試合出てるんや』とか『あいつ、あんなすごいプレーできるようになったんや』とか思って」。無理もない。そんな気持ちと折り合いをつけながら、来る日も来る日も抜けてくるランナーをタックルし続けた。
新チームになり、森上はなるべくしてキャプテンになった。迷いなく目標を日本一に掲げた。「日本一を目指せる環境にいて目指さないってのは、僕には分からない。それに中村(剛喜)監督やコーチが情熱を注いでくれてるのに、それを踏みにじる訳にはいかないんです」
とはいえ、強豪校ではなくなった立教にあって、日本一の目標についてこられないメンバーがいるのも確かだ。「日本一と言われても、どう考えていいのか分かりませんって声もありました」と森上が振り返る。立教は初戦の登録選手で86人。対戦相手の慶應は160人だった。小さな所帯だけに、全員がその気になってやってくれないと、日本一などあり得ない。だから今シーズンのスローガンを「ALL IN」にした。みんなに日本一を目指す輪の中に、しっかり入ってきてほしい。そんな思いをこめた。
とはいえ、なかなかうまくはいかない。「当たり前のことのレベルを高くしようと思ってるんですけど、なかなか変わらない。それに、お互いに対する厳しさがない。試合に出てる選手が偉いって空気があって、出てない選手は何も言えない。そんなんで勝てるはずないんです」。そんな雰囲気を変えようと、森上はいろんな選手に語りかけ、自分の思いを伝えてきた。
裏方の本気でチームに変化
慶應戦を前に、うれしいことがあった。昨年の慶應戦は最後、逆転を狙ったFGが外れ、16-17で負けていた。ほかにもキッキングゲームでやられた部分があった。今年もそれが懸念材料だった。ある日の練習で、AS(アナライジングスタッフ)の岩月朗(3年、立教新座)が叫んだ。「これでいいのかよ。去年キックで負けたんだぞ。こんな練習で勝てるのか?」。その日から、岩月は言い続けた。
森上は言う。「もともと気持ちの強いヤツだったんですけど、慶應戦前になって、みんなに求めることをしてくれるようになりました。今日のキッキングゲームがよかったのも、彼のおかげだと思います」。分析を担当する裏方の岩月が、完全に輪の中に入ってきた。入ってきたどころか、真ん中に来てくれた。キャプテンとして、それがうれしい。「ちょっとずつ、チームが変わってきてるのかなと思います」。試合に出られない4年生たちが、出ている選手に言いたいことを言うようにもなってきたという。
森上はディフェンスが終わってベンチに戻るたび、テントの柱にくくりつけた紫色のタオルで顔を拭く。そのタオルには「甲子園」の文字がある。家族が甲子園球場に観戦に行ったときに買って、送ってきてくれたそうだ。「家から近いんすよ、甲子園」。どれぐらい近いのか聞くと、「自転車で30分ぐらいですかね」。結構遠いやんとツッコむと、主将は「いや、坂やし、道が単純なんで」。このざっくりした感じに、関西人を感じる。
タオルに書かれた場所を目指す最後のシーズンが始まった。森上にとっては関学中学部から数えてフットボール10年目のシーズンだ。甲子園で関学とやりたいね、と水を向けた。「できたら最高っすね」。いちばんの笑顔になった。関学高等部時代の仲間とは「甲子園ボウルで同窓会しよな」と言っているそうだ。「そこまでいけたら、関学は僕らみたいなチームは結構やりにくいと思うんです。凝ってこないチームっていうか。ひたすら信じたことをやり続けるチームは苦手なんちゃうかな」。森上の言葉を聞いていると、ほんとに見たくなってきた。それでも真顔に戻ってキャプテンは言う。「でも一歩一歩ですから。次の明治はランナーもいいし、OLの完成度も高い。強いです」
立教の最後尾には、今日も背番号8がいる。その名も森上衛。「まもる」と名付けられた根っからのディフェンダーは、芯が強い。チームメイトを一人ずつ輪の中に引き込みながら、ラストシーズンを戦い抜く。