常勝駒大12の刻印 全日本大学駅伝の足跡
50回目の記念大会を迎える全日本大学駅伝で、最多の優勝回数を誇るのが駒大だ。第30回大会(1998年)で初優勝し、4連覇や3連覇、2度の2連覇など、昨年までの20大会で12度も制した。藤色のたすきをつなぐ常勝軍団を作り上げた大八木弘明監督と、初優勝時のアンカーだった藤田敦史ヘッドコーチに、伊勢路で最強を誇る駒大の足跡を振り返ってもらった。
コーチ4季目、3冠狙い初V
――全日本初優勝は大八木監督がコーチに就任してから4シーズン目。出雲で2連覇を果たしてから伊勢路に乗り込んだ。
大八木 学生駅伝3冠を狙っていて全部勝つつもりだった。高校で(5000mが)13分台だった1年生の揖斐(祐治、現岐阜経大監督)が割と練習ができていたので4区に使って、ここが無難にいけば勝てる、という感じだった。その時のアンカーが藤田?
藤田 はい。出雲で連覇して「力的にはあるな」と確認できた。コーチから発表された区間オーダーも、自分たちが考えていたようなオーダーだったので、「いける」という感覚があったのは覚えている。
――自信があった?
藤田 ただ私自身は調子が上がらなかった。夏合宿から日本インカレ、世界ハーフ、出雲と続き、疲れが抜けなかった。良いときの7割の状態。後輩たちが約50秒の差をつけて先頭で来てくれたが、自分の状態と後ろから来ていた山梨学院大の選手の力を考えると気が抜けないと思い、安全運転に切り替えた。前半は貯金を使ってイーブンペース、相手が突っ込んでくるので、最後の皇学館大がある辺りからの坂でペースアップして差を広げる展開をイメージしたら、その通りになった。フィニッシュしたときはホッとした。
夏の走り込み、生きる伊勢路
――優勝回数は出雲が3度、箱根が6度。12度の全日本が突出している。
大八木 出雲ではアンカーで逆転されたことが多かった感じがする。全日本は距離が長くなるので逃げ切れる。新人でも走れる(短い)区間は一つか二つくらいで、しっかり練習ができたチームが勝てるのではないか。19キロなど長い区間がある全日本で勝てば箱根につながると選手たちには言っていた。優勝できたことで、チームの勢いはさらに上がった。夏合宿で鍛えた脚力が全日本のころにちょうど発揮できるという流れもあるかもしれない。
藤田 うちは夏合宿で、けっこう走り込む。10月の出雲の頃は疲労が抜けきれずに精彩を欠くことがある。ただ出雲で一つ刺激が入って、体が変わってくるんでしょうか。少し涼しくなり、合宿の疲労が抜け始め、走り込みが生きてくるタイミングがバシッと合うのが全日本のころなのか。あとは距離。出雲と違ってスピードだけでは押し切れない。スピード持久力というか、ある一定のスピードで押していく力が必要で、その練習ができているんだと思う。
――今回は区間距離が変更され、7区に17・6キロの長い区間ができて、これまで同様に19・7キロの8区につながる。
大八木 これまで全日本はアンカーに1人信頼できる選手がいると強かった。去年優勝した神奈川大もそう。区間距離が変わり、エースを7区に持っていくか、8区にするか。前半は、離れないようにするしかない。短い距離の区間が続いて、揺さぶりがあって、上げ下げのきついレースになるかもしれない。
――ここ3大会は優勝していない。初優勝以降、駒大にとっては優勝の空白期間は最長。
大八木 今は選手層がそれほど厚くないので、とりあえず前半から行かなくちゃいけない。後手に回ったら終盤は追いつけない。5番くらいには確実に入れるようなレースをしないと厳しい。
――藤田さんは母校のヘッドコーチに就いて4シーズン目。自分の現役時代との違いを感じるか。
藤田 われわれのころはゼロからのスタートで、なんにもなかった。私はインターハイに行けなかった選手だった。駒沢に取っていただいたという感覚があって、ここで一生懸命やるしかないという思いだった。強いチームになったことで、グラウンドや新しい寮など練習環境は整った。駒沢に入った時点で満足してしまっていると見える選手もいる。駒沢だけでなく、全体的に学生の気質も変わってきているのだろうか。私は試合で走れなかった時に、あそこで練習ができなかったからとか、自分に原因があると考えたが、今の選手は自分以外のせいにしたがる傾向を感じる。そういう中で強くすることを考えなければいけない時期に来ていると思う。
大八木 うちで強くなる子は藤田のような選手。今年の片西もインターハイに出られなかった。そういう選手がエースになっている。宇賀地、高林、高津と実績のある新入生が同時に入学したことがあったが、そういう学年はあまりない。最近の学生は基礎体力が足りない気がする。大学に入ってから距離を踏ませるまでに、以前よりも時間がかかる感じがする。これからも育てて戦わないといけない。
※本記事は朝日新聞2018年7月29日付朝刊より転載