サッカー 立命MF竹本「自分が変わらないと」
前期は12チーム中9位と苦しんだ立命大だが、後期は3連勝スタートを切った。不調のトンネルの出口が見えそうになったが、その後に4連敗。また長いトンネルに迷い込んでしまった。10月28日現在で勝ち点19の8位と苦しい。
この日の桃山学院大戦も、前半こそ相手の攻撃をしのいだものの、後半は崩され、0-2で「終戦」。後半16分、23分と、ポンポン点を取られてしまい、再びチームの雰囲気を盛り返すような試合にはならなかった。
高校生になるとき、広島のユースへ昇格
大学サッカーでは、Jリーグの下部組織出身の選手が大勢プレーしている。各クラブの「ユース」や「ジュニアユース」に入るには厳しいセレクションがあり、入ってからもレベルの高い選手たちによる激しい競争が日々繰り広げられる。立命大にもそうした下部組織からやってきた選手は多く、10月27日時点で登録メンバーのうち7人が下部組織出身だ。今シーズンほとんどの試合でスタメンに名を連ねるMF竹本雄飛(ゆうひ、3年、広島・吉田高、サンフレッチェ広島ユース)も、そのひとりだ。
彼は小3のころ、年上の従兄弟がサッカーをするのを見て、「かっこいいな」と思って始めた。それまでは柔道をしていたが、竹本少年はすぐにサッカーに没頭。広島県廿日市内で指折りの強豪チームに入り、鍛えられた。そして、広島のサッカー少年みんながあこがれる「サンフレッチェ広島ジュニアユース」のセレクションを受験。合格し、念願の下部組織入りを果たした。
ジュニアユースで竹本のサッカーセンスは輝き、「エリートプログラム」と呼ばれる将来の日本代表候補たちが集まりにも声がかかるほど、存在感は際立っていた。高校になるとき、ジュニアユースから4人しか進めないユース(U18)へと昇格した。ここまでは、理想的すぎるサッカー人生と言えた。
初めて知る挫折、大学で試行錯誤の日々
しかし、ユース時代にサッカーで初めて大きな挫折を味わう。周りのレベルについていけなくなり、監督やコーチに認めてもらえない日々が続いた。練習試合ですら後半途中から出られるかどうか。こんな立場は初めてだった。
そんなつらい日々に変化の兆しが感じられたのは、ジュニアユース時代に自分を見てくれた恩師がユースの監督に就任してからだった。どこか臆病になってしまったプレーも、自分をよく知る新監督の指示の下でなら、着実に進化させられた。やっとレギュラーに定着できるようになった。
それでもトップチームからは声がかからず、大学進学に切り替えた。信頼していた先輩から「立命館はサンフレッチェと似たようなサッカーをしてる」と聞いて練習に参加。高3の夏前に米田隆監督から電話をもらい、進学を決意した。
そして迎えた立命館で3度目のリーグ戦は、前期から思うようにいかない。竹本にとっても試行錯誤の日々だ。4連敗を喫した10月27日の試合後、竹本は苦笑いを浮かべながら、「今日はボールに関われなかった。自分、いま不調なんですよ。何もかも、うまくいかない」と言った。下を向いている暇はない。「自分がもっとプレーで試合をコントロールするような働きをしないといけないんです」。彼はしっかりとした口調で話した。
サッカー人生で輝きも暗黒も経験してきた。ここで竹本が殻を破り、チームを動かす男になれば、立命館は変わるはずだ。