陸上・駅伝

特集:第50回全日本大学駅伝

その1秒をけずりだせ 東洋大・酒井俊幸監督

さかい・としゆき 1976年5月23日生まれ。福島・学法石川高から東洋大に進み、箱根駅伝に3回出場。コニカ(現コニカミノルタ)では全日本実業団駅伝の3連覇に貢献した。2005年に学法石川高の教員となり陸上部顧問に。09年4月に東洋大陸上競技部長距離部門監督に就任。撮影・加藤夏子(朝日新聞出版)

全日本大学駅伝が第50回の節目を迎えるのに合わせて昨夏に始まった特集の最終回は、学生駅伝で近年、上位安定の東洋大だ。昨季までの10シーズンで、全日本は優勝1度、2位4度など6位以上のシード圏内を続ける。箱根は常に3位以上。2009年から指導する酒井俊幸監督(42)にチーム作りについて聞いた。

初優勝、全員がスローガン体現

まず東洋大の全日本初優勝を振り返ろう。2015年の第47回大会。1、2区は服部勇馬と1学年下の弾馬(はずま)による兄弟区間賞リレー。3区の口町亮が区間賞で続く。その後、青学大に追いつかれ、抜かれても、各区間で終盤に逆転や引き離して競り勝った。

当時の青学大は、3大駅伝で前シーズンの箱根から出雲と連覇。この全日本の後に箱根を制し、翌シーズンは3冠。7大会で優勝6度と隆盛を極めていた中で唯一、土をつけたのが東洋大だった。

――この優勝は手応えがあったのでは?

「青学さんは本当に強いメンバーがそろっていて、東洋大学が勝つとしたらこれしかなかった。チームがまとまり、心技体が合致していた。1、2区のエースが流れをつくり、選手全員が『その1秒をけずりだせ』というスローガンを体現する走りができた」

――チームのスローガンは悔しい体験からできたと聞く。11年1月の箱根駅伝で往路優勝しながら、復路で早大にかわされ、21秒差で総合優勝を逃した後。

「チームを鼓舞するためにミーティング用の短い映像をつくることになり、選手にヒアリングをしたら、あと1秒自分ががんばれば勝てたかもしれない、など『1秒』という言葉がたくさん出てきた。さらに勝つシーン、負けたシーン、サポートしてくれる人、負けたくない人など、思いを込める場面や人を想定して、『その』とつけた」

――スローガンが浸透しているのですね。

「実は2年ほど前から、その精神がちゃんと伝わっていないのではないかと感じるようになった。前までやっていたトレーニングができなくなるとか、練習の質を下方修正する場面もでてきた。以前は選手が感覚的に分かっていたのではないか。試合や練習の場面だけではなく、生活の中でも1秒を大事にしようと取り組んできたが、チームカラー、東洋の走り、チームカルチャーがどういうものか、確認して共有する機会が必要になった。昨季からミーティングを増やした。今はLINEが主な伝達方法になっていて、既読だから確認しなくていい、というわけではない。熱く胸に響く言葉で継がないといけない」

技術的なこと、心つくった上で

――選手が4年で入れ替わるので、継続は難しいですね。

「柏原竜二、設楽啓太と悠太の双子の兄弟、服部勇馬と弾馬の兄弟と、学生長距離界を代表するエースたちが屋台骨だった。しかし、エースがいなくなったら弱くなるというのではいけない。東洋大学というチームは実業団で競技を続ける選手が多く、社会人の1、2年目から勝負できるように駅伝を通じて心身ともに在学中に基礎をつくれるチームに変える。その中で大黒柱が育つ環境をつくりたいと考えている」

――精神的な取り組みが大切ということですね。

「もちろん技術的な取り組みは必要。道具も進化してきている。ナイキの厚底のシューズを積極的に採り入れているが、それに合ったフォーム作りもしている。血液など体の分析や食育など科学的に走りをつくる。しかし、心をつくった上で技術的なことに入っていかないといけない。東洋大学はそういうのを無視して、走力だけで勝てるチームではない。思いとかチームカラーを共有して、結束できた時は強いよ、ということを駅伝シーズンにやりたいですね」

――今年の全日本の目標は?

「一昨年、昨年に下級生で起用した選手がだんだん力をつけてきたので、優勝を狙いたいですね」

『大学駅伝この1冊でまるわかり(週刊朝日ムック)

全日本大学駅伝が今年で50回を迎えるのを記念して、出雲、箱根を含めた3大駅伝の50年を振り返る。全成績を収録し、早大、青山学院大など強豪校の強さの秘密に監督、OB、選手へのインタビューで迫る。大学駅伝のすべてがわかる一冊。本誌では、酒井監督と駒澤大の大八木弘明監督の対談も収録している。

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