陸上・駅伝

特集:第50回全日本大学駅伝

Wの衝撃 選手・監督で優勝5度、渡辺康幸

わたなべ・やすゆき 1973年、千葉市出身。市船橋高3年時に全国高校総体1500m、5000m優勝。全国高校駅伝1区で2年連続区間賞。早大でも駅伝や世界選手権などの国際大会で活躍。エスビー食品に進み、96年アトランタ五輪10000m代表に選ばれた。02年に引退。03年に早大のコーチとなり、04年から長距離監督。15年、住友電工陸上競技部監督に就任。

「名門」「伝統校」と言われる早大が、全日本大学駅伝(日本学生陸上競技連合、朝日新聞社、テレビ朝日、メ~テレ主催)に初出場したのは第24回大会、1992年だった。そこからの4連覇など計5度の優勝すべてにかかわったのが、渡辺康幸・住友電工監督だ。エースとして、母校の監督として優勝を果たした伊勢路の思い出を振り返ってもらった。

三羽がらす擁し、トップ譲らず

鮮やかな伊勢路の第一歩だった。「早大三羽がらす」と言われた武井隆次、櫛部静二、花田勝彦が3年生で、指導は名マラソンランナーだった瀬古利彦コーチ。そこに、10000mで当時の高校歴代1位の28分35秒8をマークした渡辺が加わったスター軍団。全日本に早大は初めて出場し、一度もトップを譲らずに初優勝を飾った。

「夏合宿が終わったころだったと思います。瀬古さんが『全日本にも参戦するぞ』と言い出したんです。高校でトップクラスだった選手が早稲田に集まっていて、戦力的に整っていた。出るからには優勝、というのはありました。急に出場することになってビックリというのはなかったですよ。僕らはいろんな試合に出たかったので」

1年で2区をつないだ渡辺。2年は1区1位、チームで大会記録となる圧勝の流れを作り出した。3、4年では8区のアンカーを務めていずれも区間新、4連覇を果たした。

「2年目は1区で、独走で区間賞を取ってこい、と送り出されました。『三羽がらす』の先輩方がいたので、プレッシャーが4分の1。気持ち的にはすごく楽でした。その先輩が卒業で抜けてからは、僕一人がエースとして『W』の期待を背負っている部分があったので、精神的にはきつくなった。年々、選手層が薄くなって、駅伝を戦うのが難しくなってきていた。よく4回勝てた。中でも一番記憶に残っているのは、やはり最後の優勝ですね」

エースの意地、最終区で大逆転

大会史に残る大逆転。最終区、同タイムで首位の中大と神奈川大から1分31秒遅れの3位でたすきを受けた。山梨学院大のケニア人留学生マヤカが、渡辺に19秒遅れの4位で追う。そこからフィニッシュテープを切った。

「中継所でマヤカに『俺のこと抜くなよ』みたいなことを言っていた。前も追わなきゃいけない、後ろからも彼に追われてて、挟まれるしんどい位置だった。あのプレッシャーのかかる状況で百%のパフォーマンスをよく出せたなあと、今では思います」

高校時代から活躍してスポーツ推薦で入学する渡辺のようなエリート選手だけでなく、「早稲田で駅伝を走りたい」と入ってくる「一般入試組」の活躍がある。初優勝時は5区小林修、6区豊福知徳、7区富田雄也がそうだった。

「浪人までして入る選手もいて、『W』に対する強いあこがれを持っていた。えんじのユニホームを着たいという気持ちは人一倍強い。僕は高校の延長線上でなんとなくやっていた。それが、彼らと寮で一緒に生活して競技を続けることでマインドが変わってくる。大学や部の伝統への感謝の気持ちとかが大きくなりました」

練習は競技レベルに合わせて別メニューだが、寮生活は関係なかったという。

「一緒に電話番して先輩の彼女から伝言を受けた話をしたり、食事をしたり、楽しかったなあ。プライベートな話をするようになるんで、結束は強くなりますよね。一般組はよく練習します。朝一番に起きて、雨の日にドロドロになって寮に帰ってくる。夏合宿も僕は涼しい北海道でできるのに、費用もかかるので彼らは暑い所沢で居残り練習。そういうのを見ていると心が打たれて、自分たちがいかに恵まれた環境でやらせてもらっているかと思いました。長距離種目は努力でなんとかなる時代だった。3年生くらいで花開いて駅伝の戦力に加わってくる。そうでないと層が厚くならない」

早大5度目の優勝は2010年の第42回大会。渡辺が低迷していた母校の長距離監督になって7季目だった。このシーズン、出雲、箱根と学生駅伝3冠を飾った。

「選手より監督としての方が、1回勝つのはこんなに大変なのかと。駅伝は一人一人が自覚した選手が集まって、お互いにいい方向へ引っ張り上げる組織力が重要だと思っています。一人でも『負けてもいいや』となるとそちらに引っ張られてしまう。箱根駅伝で4連覇した青山学院大はそこが徹底していると感じます。自分勝手な行動は許さない。伸び伸びやっているが、その部分だけは締めている。それを選手が自分たちでコントロールして、結果を出し続けるのは相当難しい。原監督は相当気を使って組織を作り上げていると思いますよ」

優勝しか経験していない全日本で、渡辺は近年、テレビ中継の解説をしている。

「伊勢路はスピードのある選手も生かせる距離の設定がいい。時期的にも、夏合宿があけてスタミナがついてきており、スピードも求められる。そういう意味では、この駅伝を勝ったチームが全国のナンバーワンだと僕は思っています」

 

※本記事は朝日新聞2018月3月27日付朝刊より転載

in Additionあわせて読みたい