早大・池田賢将、雑草魂でたどり着いた最高の景色
神宮の空へ舞い上がった打球が落ちてくる。早大のセンターが白球をつかむ。池田賢将(4年、高岡南)は両手を上げ、勝利をかみしめた。負ければ引退となる10月28日の慶大2回戦。彼は、たしかにその場所に立っていた。
全早慶戦の2長打で道は開けた
早慶戦はたくさんの人のあこがれの舞台であり続けてきた。池田もその魅力に取りつかれた一人だ。池田が初めて早慶戦を見たのは中学生のとき。全早慶戦だった。当時の早大のエースは斎藤佑樹(現北海道日本ハムファイターズ)。大観衆の中、ひたすらに腕を振り、慶大打線を三振に仕留める――。圧巻のピッチングに、引き込まれた。早大野球部OBの父の影響もあり、早大に対するあこがれは小さいころからあったというが、早慶戦との出会いで、それは一層強くなった。早大に進学して野球がしたい。強いモチベーションを胸に、勉強に励み続けた。
1浪の末に早大野球部の門をたたくと、同期には甲子園球児が勢ぞろい。池田は数少ない一般入試組であるだけでなく、1年のブランクがある身。ハイレベルな練習についていくどころか、衰えた体力を戻すのに精いっぱいだった。髙橋広監督は池田の入学当時を振り返り、「レギュラーに絡むとは思ってなかったですよ」と語った。誰よりも長い時間走らされたことは、池田にとって大学の4年間で一番つらいことだったという。それでも池田はあきらめず、自分は何をすべきか、常に考えていた。
2年生になると、東京六大学新人戦にサードとして出場。春、秋の新人戦計4試合すべてにスタメンで出たが、2失策。これでは試合に出られないと、この年、内野手から外野手への転向を決意する。打撃には定評があった池田だ。翌春には一気に1軍へとのぼりつめた。しかし、オープン戦に代打で出るも三振の山。つかみかけていた念願のリーグ戦出場は、遠い世界になってしまった。
ともに練習している仲間であり、ライバルでもあるチームメートに勝ちたい。その思いとは裏腹に、突きつけられる現実。このままでは寮にさえ入れないという事実と向き合い、日々練習に明け暮れた。自分に必要とされていること、どうすればレギュラーとして出場できるかを、模索し続けた。
その苦労が報われたのは、新チームの発足から間もない3年の11月。早稲田を目指すきっかけにもなった全早慶戦だった。戦いの地は皮肉なことに、春にオープン戦で結果を残せなかった沖縄だ。スコアボードの9番打者の枠には「池田」の文字があった。9番は最も打席に立つ回数は少ないが、上位打線につなぐチャンスメイクの役割がある。その役割を見事に果たした。4打数2安打で、ともに長打。その日の早大打線は全体でわずか5安打だったから、首脳陣へ十分なアピールになった。普段の練習では味わうことのない、大声援に包まれた中での一戦。「あの試合があったから、いまがある」。決死の努力が実を結んだ瞬間だった。
4年生になると、打撃の調子はさらに上向いた。どんなピッチャー相手でも、積極的にバットを振り抜く。相手が社会人でも変わらない。オープン戦でヒットを量産し続けた。念願のスタメン出場を果たした春季リーグ戦の開幕戦でも、初打席で初ヒット。順風満帆の野球人生に転じたかと思われた。
「思い残すことはありません」
しかし、2カード目以降、攻守ともに精彩を欠くようになり、レギュラーから外されてしまう。2カ月間のリーグ戦で好調を維持する難しさを初めて感じた。それでも池田には、再びはい上がる雑草魂があった。徐々に調子を取り戻すと、夢にまで見た早慶戦にスタメンとして出場。慶大からの4シーズンぶりの勝ち点奪取を経験した。このときの早大は、早慶戦の結果次第で3位か5位に落ちるかという状況。あこがれの場を楽しむ余裕などなく、ただただ必死だった。
そんな早慶戦の記憶を塗り替えたのも、もちろん早慶戦だ。秋季リーグ戦では、主に代打での出場。結果を残すのに必死だった春とは違い、出番は少ないながらも感情豊かにプレーできた。「チームの雰囲気をよりよくするのを心がけてたからじゃないかと思います」と池田。その思いを抱いていたのは池田だけではない。チーム全員が願い、それがパワーとなって何度も試合に生きた。
春は早々に勝ち点を2つ落とし、開幕から1カ月足らずで優勝争いから脱落したが、秋は一変。開幕カードを落としながらも、驚異の粘りで優勝への望みをつなぎ続けた。立大には6シーズンぶりの勝利、さらに東大には2試合連続完封。加えて春に大量失点で負けた明大には、1回戦は引き分けたものの、その後連勝で勝ち点をつかみ取った。
なかでもチームの思いが最も鮮やかに描かれたのは、1勝1敗で月曜日までもつれ込んだ慶大3回戦だろう。多くの4年生にとって野球人生最後の試合。46年ぶりの3連覇をもくろむ慶大に挑んだ。同点にした直後の5回裏に勝ち越され、2-4になってもあきらめない。総力を挙げて8回表に1点を返すと、9回表には逆転。1点のリードを守り抜くと、早大のメンバーから歓喜の涙があふれ出した。
「思い残すことはありません」。3日間におよぶ激闘の末、慶大から勝ち点を手にしたことは最高だったと、池田は晴れやかに言った。スターにはなれなかった。でも早慶戦があったから神宮の舞台に立ち、最高の景色を見られた。池田にとって人生の目標だった早慶戦は、これからも彼の未来を照らし続けるだろう。