ラクロス

慶應・石田、生きる場所を見つけたラクロスに別れ

後半、石田(右)は果敢に攻めた

全日本選手権第2日

12月9日@大阪・ヤンマーフィールド長居
女子準決勝 NeO 5-3 慶應大

公式戦では2年以上負け知らずだった慶應は、11月25日に関西学院大に負け、自分たちのラクロスを見失った。2週間後には社会人日本一のNeOとの一戦。空元気を出す選手たちを目の当たりにして、大久保宜浩ヘッドコーチ(HC)も「これでいける」というイメージが持てなかった。4年生が話し合い、自分たちの強みを見つめ返した。走力と運動量。毎朝6時半から200mを何本も必死に走ってきた。「これが私たちの強みだったじゃん」。次の日の練習で再確認し、自信が沸いてきた。慶應が再び心を一つにできたのは、試合の3日前だった。

今日の試合は理屈じゃない

慶應はこの試合、「魂」をキーワードに掲げた。「あんまり感情的なことは言わないんですけど、今日の試合は理屈じゃない。気持ち。魂。そういうゲームをしよう。非科学的ですけど、そういう試合もあるんだよって」。そんな大久保HCの思いは選手に伝わった。慶應は先制点をあげ、1-2で前半を終えた。このビハインドは慶應のプラン通り。思い描いた勝ち方は、試合残り10分でギアを入れ替え、一気に攻めるというものだった。

後半、ベンチから「足を止めるな! ボールを取りに行け!! 」の声が飛んだ。終了6分前、主将のAT(アタッカー)友岡阿美(4年、慶應女子)のパスがMF石田百伽(同、同)に渡り、石田がゴールネットを揺らした。3-4になった。慶應は全力で駆けた。しかしNeOだって、この1年間、慶應に負けた悔しさを抱えてきたチームだ。慶應のラクロスを知っていた。残り1分でNeOがショットを決めて3-5。試合終了のホイッスルが鳴った。

慶應はイエローカードを連発し、ここぞというタイミングで攻めきれないシーンが続いた。「NeOさんのファウルをとられない技術とこっちのとられてしまう技術、技術レベルに差がありました」と大久保HC。ただ、それ以外はプラン通りだった。試合の流れを引き寄せるドローの主導権は慶應が握っていた。「負ける気がしなくて、自分が思ったところに飛ばしてやろうという強い気持ちで向かいました。何回かグラウンドボールは取られてましたけど、私が飛ばしたいところには飛んでました」。そう話すドロワーは、3点目を決めた石田だ。レギュラーとメンバー外の境目でもがき、12人で戦う女子ラクロスにおいて、ドロワーとして最後の席を勝ち取った選手だった。

一時は1点差とするゴールを決めた石田(右から2人目)に仲間が駆け寄った

ラクロスに無限の可能性を感じて

石田は高校までテニス部だったが、最後の2カ月だけは誘われてバレー部に入った。みんなで勝利をつかみとる団体競技の楽しさを知った。大学進学後、いくつか候補があった中でラクロスを選んだのは、広いフィールドをボールを持ってどこまでも走れるラクロスに無限の可能性を感じたからだ。

ドローは背の高い方が有利だ。身長172cmの石田はドローを担う「ドロワー」としてMFになった。しかし、「1枚目」のドロワーになるまでの道のりは険しかった。2年生のときはドローだけで交代させられた。アメリカの選手のドローを見ては、吸収できるところを探した。「向こうの選手はドローに対する愛、というか熱が強いんです。私もそれだけは誰にも負けないぞと思ってました」

石田(左)が活路を見出したドロー

慶應女子ラクロス部には「トップチーム」「サブチーム」「1年生」と三つのカテゴリーがある。石田は3年生のときの早慶戦で初めてトップチームに上がったが、力を発揮できずサブチームに降格した。選手のほか、1年生の育成役も担った。同期では友岡とDF櫨本美咲(同)も育成役を兼任していたが、二人はその後、トップチームのレギュラーになり、育成から離れた。なんで私だけ試合に出られないんだろう。なんでベンチにも入れないんだろう。残された石田は思い悩んだ。それでも、1年生の練習を見に行くときは強いプレイヤーの姿を見せたいと思い、つらい気持ちを押し隠した。「もう一生やりたくない1年だと思いました」。そう振り返る石田の目に、涙が浮かんでいた。

自信の芽生えた瞬間

4年生になったとき、急に吹っ切れた。自分がやりたいラクロスをやろう。レギュラーを目指しつつも、チームの流れを変えられるプレーヤーに意識を向けた。迎えた5月の早慶戦、ファーストドローを取りきると誓い、センターサークルに立った。上がったボールを狙い通りに飛ばし、MF伊藤香奈(同、同)がキャッチ。その瞬間、トップチームのドロワーとしての自信が芽生えた。それからレギュラーとして臨んだ試合もあったが、関東リーグが始まるとまた外された。それでもチャンスを待った。リーグの準決勝、ドロワーとしての力を買われてレギュラーをつかんだ。

関東リーグを1位で抜けたが、学生日本一をかけた試合に敗れた。再び立ち上がり、慶應が目指してきた「日本一」に向け、NeO戦に臨んだ。石田は試合終了間際に相手選手をけがさせてしまった。その選手のことを考えているとホイッスルが鳴った。少し遅れ、負けたんだと悟った。つらかった時代を乗り越え、4年生になってようやくラクロスが本当に楽しいと思えるようになった。これまでの日々が頭の中を走馬灯のように駆け巡り、涙が止まらなかった。

戦いに敗れ、石田(中央)は仲間の前でうなだれた

「私はおしまいと決めたらおしまいにしたいタイプ。これでラクロスはおしまいです」。試合後、石田は言いきった。悔しさは残るが、自分たちがやりたいラクロスができないまま終わった関学戦とは違い、最後までみんなと一緒に必死にボールを追い駆けられた。ドロワーとして最初にボールに触れ、流れを変えられるプレーに誇りを持っていた。ゴールを決め、みんなが笑顔で駆け寄ってくれたのがたまらなくうれしかった。「100回生まれ変わってもラクロスを選びます」。ラクロスにかけた石田の4years.が終わった。

in Additionあわせて読みたい