日体大・山田千沙、バスケから転身した長身エース「日本代表に呼ばれるような選手に」
関東学生女子1部リーグ準決勝
10月27日@駒沢オリンピック公園
青学大 9-8 日体大
日体大にとっては3年ぶり、青学大にとっては6年ぶりの出場となったファイナル4は、サドンデス方式の延長で決着した。サドンデスは最初の「ドロー」でボールを奪ったチームが圧倒的に有利。まさにその通り一瞬で青学大サイドは歓喜に包まれ、日体大側は涙に暮れた。しょっぱなのボールの奪い合いで負けた日体大のMF山田千沙(ちさ、4年、相模女子)は試合後、チームメートに抱きかかえられるようにしてフィールドを後にした。
氏名が似たプロ選手にあこがれて
ラクロスでは試合開始や得点後の試合再開時にドローをやる。両チームから「ドロワー」と呼ばれる選手が1人ずつ出てきて、女子の場合は両者のクロスでボールを挟み、審判のホイッスルでボールを飛ばし、奪い合う。攻撃の起点となるドローには、空中での競り合いを得意とする長身の選手が出てくることが多い。中学、高校とバスケットボールで鍛えた170cmの山田は、1年生のときからドロワーを務めてきた。
山田は同じ日体大出身である母の影響で、バスケを始めた。高校では神奈川県のベスト8が最高の戦績だった。大学に入ったら新しいことをやってみたいと思っていたところに、母からラクロスの存在を聞いた。どんなスポーツなんだろうと思い、YouTubeで見たのが、日本初のプロラクロッサーでオーストラリア代表としても活躍していた山田幸代(さちよ)さんのプレー。なんてかっこいいんだろう。それに「やまだ・ちさ」が「やまだ・さちよ」に親近感を持つのも自然の流れ。その3時間後には、女子ラクロス部に入っていた。
身体能力の高さを評価され、1年生のときからDFのメンバーに選ばれた。先輩には日本代表の高橋実緒(現FUSION)もおり、「私も日の丸を背負ってみたい」という思いが芽生え、ラクロスにのめり込んでいった。できる技術が増えると、さらに欲が出始めた。2年生のときには、攻守の要となるMFに転向。「自分、欲がすごいんです。あれしたいこれしたいって、何でもやりたがる。ディフェンスができてアタックもできたら最強だろうな、って。そんなタフなプレイヤーになりたかったんです」。ボールを持って走り、アタックを仕掛けては戻り、もう一度ボールをもらってシュートを決める。そんなオールラウンドな働きに、これ以上ないやりがいを感じた。
山田はとんとん拍子に成長していった。3年生のときにはU22日本代表に選ばれ、代表での経験をチームに還元。山田の成長は、チームの成長へとつながった。杉山美歩ヘッドコーチによると、4年生になったいまも、山田の進化は止まっていないという。選手層が厚くなった日体大は日本一を目指せるチームとなり、今シーズンは1部リーグのBグループを1位通過。3年ぶりのファイナル4に進んだ。
熱戦の末に敗北、「外国でやってみたい」
そして迎えた青学大戦。追いかける展開の中、山田はグラウンドボールを何度も奪い取り、攻撃の起点となった。しかし相手のプレッシャーも強く、シュートまでいかない。3-4で前半を終えた。後半、日体大はサポート役を近めにつけてボールを動かし、相手ディフェンスを崩す作戦で勝負に出た。
パスは回り始めたもののカウンターを許し、失点を重ねた。6-8で試合終了が迫る。そこでAT(アタッカー)松井有紗(3年、都立飛鳥)が決めた。あと1点。山田の渾身のシュートがゴールネットを揺らしたところで後半終了の笛が鳴った。劇的な同点劇に、日体大サイドはがぜん盛り上がった。
杉山ヘッドコーチに「自キャ(自分でキャッチ)できる?」と聞かれ、「やります」と山田は答えた。サドンデスは自分のドローで決まる。その思いでセンターサークルに立ったが、ボールを奪われる。青学大にそのまま決められ、ラクロスにすべてをかけた4年間が終わった。
敗戦後、しばらくしてから山田に声をかけた。ラクロスはこれで終わりなのか、と。間髪を入れずに返した。「やっていきたいです。今後も日本代表に呼ばれるような選手になりたいですし、外国のスポーツなので外国でやってみたいです。ダメならそのときかな」
山田は来春からの進路をまだ決めていないが、この競技との出会いのきっかけが山田幸代さんだったこともあり、ラクロス留学への憧れがずっとあった。そんな山田の背中を、両親が押してくれている。「オーストラリアかアメリカか。いまは冷静になって自分を客観的に見られてるかどうか分かりませんけど、そう思っています」と言って山田は笑った。山田が自覚している欲の強さと、そしてこの日の悔しさがまた、彼女を新しいステージへと突き動かしていくのだろう。