陸上・駅伝

進学校から来た努力の新主将 駒大・原嶋渓 

原嶋は昨年8月の黒姫・妙高山麓大学駅伝で、大学での駅伝デビューを果たした

「原点と意欲~努力の継続~」をスローガンに、駒大陸上部の新チームが始動した。主将を務める原嶋渓(けい、3年、刈谷)は、幼少期から箱根駅伝を観戦し、いつしかチームを勝利へ導く“駅伝ヒーロー”になるという夢を持っていた。

進学校で駅伝の神髄に触れた

中学から陸上を始めるつもりだったが、進学先に部がなかった。そのため、小学校のころと同じサッカー部に入った。駅伝への思いは消えず、高校進学とともに陸上部へ。原嶋は「チャレンジしてみようと思って、高校から陸上を始めました」と、当時の心境を明かす。

県立刈谷高校は愛知トップレベルの進学校だ。原嶋が2年のときの県高校駅伝で「6番以内に入ろう」という目標を立てた。県高校駅伝の6位までが東海大会の切符を得られるからだ。

「それぞれがもっとタイムを伸ばそうと。『自分がチームのためにやる』という気持ちを持ってました」と原嶋。エースだったため、少しでもタイムを稼げるようにと、陸上漬けの生活を送った。

進学校だけに、秋に開催される県高校駅伝に3年生は出ない。しかし、受験勉強をしながら駅伝を走ってくれた先輩もいた。チームのために死力を尽くす箱根ランナーにあこがれ、飛び込んだ駅伝の世界。原嶋は「改めてそうやってみんなが走ってる姿を見て、自分ももっと頑張ろうと思いました。そういう高校時代でした」と振り返る。

結果は目標にひとつ及ばず、7位。悔しさが残ったが、駅伝の神髄に触れたこのレースで得たものは大きかった。チームのために頑張れる最高の仲間たちに支えられ、かけがえのない高校時代をすごした。

大学のラストイヤー、原嶋(右)は主将として生きる

駒大で先輩の努力に触れる

原嶋は中学時代のサッカー部でもキャプテンを経験。そのとき顧問の先生から教わった「努力に勝る才能なし」という言葉を、いまでも自らの「原点」として大切にする。

駒大には毎年、強豪高校で実績を残してきた逸材が集まる。彼らと同じ集団に飛び込んだ原嶋は「強い選手ほど練習をしないこともあるので、自分もやらなくて大丈夫かな、なんて思ったこともあります」と明かす。しかし、寮で同部屋だった先輩の紺野凌矢(2017年度卒、鯖江)の姿勢を見て、すぐに思い直した。

「紺野さんは体のケアを怠らず、毎日コツコツとすごく努力されてました。強いところにいても、自分のスタイルを変えずやるべきことをやる姿を見て、こういう風に真面目に努力できる人になりたいと思いました」

だからここまでの3年間、原嶋は努力を怠らなかった。その姿勢は、大八木弘明監督からも高く評価されている。昨年11月24日の「10000m記録挑戦競技会」のあと、監督は選手たちの前で「原嶋はそこまで力はなかったけど、コツコツ努力して、こうして29分台という結果も出てきた。下の者はこういう選手もいるというのを見て頑張ってほしい」と話した。

昨年11月に10000m29分台を記録した原嶋

大八木監督は「言われたことを自分で感じるのが大事」「感性を大事にしてほしい」としばしば口にするという。時に厳しい言葉を発するのは、選手への熱い思いがあるからだ。

「言われたことに対して、自分で『こうしないと』というのを感じて、行動に移すのが大事だなと思います」と原嶋。原点となった言葉、陸上を通して出会った熱い言葉の数々。そこから自分で感じ、学びとったものが、彼の支えとなっている。

ラストイヤーに並々ならぬ思い

刈谷高校3年のときだった。原嶋は3000m障害に出場した県高校総体で駒大の高岡公元総監督に出会い、駒大進学の道が開けた。願ってもみなかったチャンスを得てから、はや3年。ついに最終学年を迎えた。まだ箱根駅伝を走ったことはない。

主将という立場になり、目指しているのは「駅伝のメンバーだけでなく、1年生から4年生まで全員が『このチームでよかった』と思えること」だ。さらに、目指す人として吉川大和前主務(4年、倉敷)の名も挙げた。今年の箱根駅伝で総合4位になれたのは、常にチームのために動き、サポートしてくれた先輩がいたからこそ。
「全員が箱根を走りたいという気持ちを持ってやっていかないと、選手層が厚くなっていかないんです」と原嶋。 Bチーム以下の選手たちのモチベーションを下げないように、誰にでも寄り添える存在でありたいと考えている。

選手から転向し昨年のチームを支えた吉川前主務(右から2人目)

原嶋のチームへの思い、そして、あこがれの舞台へのラストチャンスにかける思いは人一倍だ。個人としての目標はただ一つ「絶対箱根に出る」。常勝軍団の系譜をつなぐ戦いは、すでに始まっている。

in Additionあわせて読みたい