東商戦の対校エイト11連勝、一橋大端艇部・増田主将の次なる決意
第71回を迎えた東京大学と一橋大学の対校競漕(ボート)大会、通称「東商戦」が、4月28日に開催された。花形の対校エイトは通算42勝27敗(第8回大会はメルボルンオリンピックのため開催せず)で東大が大きく勝ち越しているが、直近は一橋大が10連勝中だ。
一橋大主将の増田創史(4年、市川)にとって、今回の東商戦は長いリハビリを乗り越えての復帰戦だった。そして、東大に3秒差をつけてのゴール。増田は勝利を確認すると、ボートの上で上半身を前に倒し、しばらく動かなかった。
昨年10月末から始まったリハビリ
11連勝をかけた勝負の前、増田には少し気負いがあった。目標であるインカレ優勝に向けて部全体にに勢いをつけるためにも、対校エイトで、両校を通じて最多の連勝記録を更新したいという思いが強くあった。
「実は今朝も試合の夢を見たんですよ。夢の中で勝つには勝ちましたけど、なんとか勝ったという勝ち方で……。現実はすっきりした勝ちでいきたいところです」
久しぶりの実戦に対する緊張もあったのだろう。増田は昨シーズン終盤から腰痛に悩まされてきた。痛みをこらえて出場し続けていたが、10月末の全日本選手権終了後にボートから離れ、リハビリに入った。
「以前に剥離骨折をした部分が、うずくように痛むんです。痛みを我慢して試合に出続けている間に、悪化させてしまいました。完治は難しいそうで、痛みと付き合いながらやっていけるところまでは回復させたくて。そのためのリハビリでした。もちろんリハビリの間はボートには乗れませんでした」
主将である自分が練習に参加できない。当初はもどかしさや焦りもあった。
「漕ぎたいし、漕ぐことで部を引っ張っていきたかったんですけど、それはできませんでした。『つまらないな』と感じることもありましたよ。でもそんなときに同級生や先輩が一緒に考えてくれたことで、決意しました。リハビリと練習は別ものですけど、そのリハビリを真剣に取り組む姿を見せることで部を引っ張っていこう、と」
東商戦の3週間前に戻ってきた
今年4月に入ってから、ボートに乗り始めた。東商戦の約3週間前のことだった。リハビリの間もトレーニングで体をつくり、できる準備はしてきた。それでも試合に入ってみないと分からない部分はある。
午後4時半過ぎ、2000mで争う対校エイトがスタートした。一橋大は東大に500m通過で3秒、1000m通過で3秒半ほどの差をつけた。ところがスピードに乗りきれず、1500m通過では2秒弱の差まで詰められてしまう。それでも一橋大はここから盛り返し、最終的には6分23秒88で、東大にちょうど3秒の差をつけてフィニッシュラインを通過した。
「中盤に失速したところで東大に迫られたのに、そこから8人の動きを合わせられなくて焦りました。追いつかれる前にラストスパートは決められましたけど、大切なところで試合勘の鈍った部分が出てしまいました。ようやくここまで戻ってきたといううれしさの一方で、まだ体力や判断力が戻ってないと痛感しました。でも、一番はホッとしました。なんとかつなげられた。11連勝で来年につなげられました」
日本一を目指す部にあこがれて
増田は昨年、3年生ながらインカレのエイトでクルーのストロークとして全体のリズムをつくり、準優勝に貢献した。そんな増田も高校まではボートと無縁だった。千葉の進学校である市川高校時代はサッカー部だったが、全国大会を目指すようなチームではなかった。一橋大に入って、何か高い目標に挑戦したいと考えているときに、ボート部が日本一を目標に掲げているのを知った。一橋大は増田が入学する直前の13、14年にもインカレの対校エイトで準優勝を飾っていた。
「高校のサッカー部は県大会出場が目標でした。一橋に入って、端艇(ボート)部の日本一という目標を見て、純粋にあこがれました。練習環境も高校とはまったく違って、ここで本気になって日本一を目指したい、と。それで端艇部を選びました」
一橋大は合宿生活を送っている。朝5時半に全体朝礼、6時から朝練に入る。朝練後は身支度をして国立(くにたち)キャンパスまで登校。授業が終わり次第、戸田へ戻って午後練。練習と勉強で戸田と国立を往復する毎日を送っている。
ボートは全員が同じ技量でないといけない
「高校時代には経験したことのない大変さや厳しさがありますけど、日本一になるには必要なことだと思ってました。サッカーだとパスがうまい選手、シュートを決める選手……と、異なる役割の選手たちでチームをつくります。ボートは全員が同じ技量であることが必要です。そこに難しさや、逆に日本一になれる可能性を感じて、続けてきました」
東商戦のあとには、5月に全日本選手権、9月に引退試合となるインカレがある。一橋大はインカレで過去10年間で3度の準優勝をしているが、優勝は1885年の創部以来ない。全日本選手権は半世紀ほど前に優勝したのが最後だ。
「部員のほとんどが大学に入ってからボートを始めています。高校では文化部や帰宅部だったという人もいます。そのような部だからこそ、総合力で勝負していけると思います。」
増田は今年のインカレを最後に、選手生活に区切りをつける。部員は2年生から4年生までで69人、新入生が入部すれば100人くらいになる。ここからのラスト半年、増田は部員たちを一つにまとめ、悲願のインカレ優勝を目指す。