関西学院大・藤田貫太郎(下)「やり切ったけど後悔」勝利への使命感と難しさを学んだ
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今季、前人未到の甲子園ボウル7連覇を目指した関西学院大学アメリカンフットボール部ファイターズは、リーグ戦で5年ぶりに立命館大学に敗れて順列2位で全国トーナメントに進んだ。そしてその後、準決勝の法政大学に延長タイブレークの末敗れ、2024年シーズンが終わった。トレーナーの藤田貫太郎(4年、須磨翔風)に聞く後編では、選手からスタッフに転身してからの、勝利を追い求めた戦いについて語ってもらった。
仕事は当たり前 その上で日本一を選手に求め続ける
藤田がトレーナーとして大事にしていることがある。それは「求める」ことだ。関学では、4年生を目前にした年始にある学年ミーティングで、全員の前で1人ずつ目標を宣言していく。ここで藤田は「どんなにしつこくても求め続ける」と宣言した。
前年、リーグ戦で立命館大に勝って、その次の関西大学に負けた。その2週間で何があったかと振り返ったとき、漂う空気の緩さがあった。その緩さが負けに直結したと藤田は考えている。「自分もそこにいて変えられなかった後悔です。自分たちの代では絶対に日本一になりたい。後悔してからでは遅いっていうのをずっと思っていました」
しんどい中でやってる選手に求めるとなれば、自分が一番大きい声を出して誰よりもしつこく求めないといけない。
「他のスタッフだって関学独自のリードボイスに返したりはするんです。でも求める、変える部分までは行ってないと思ってたんです。選手と一緒にやるのは当たり前なんです。そんなのは関学のスタッフには求められてないと。関学のスタッフはコーチと同じ目線、選手よりも一段視座が高く、視野が広いことが求められてると思ってます。選手にどう思われようが、同じミスが起きないように求め続けて、変え続ける。これにこだわってやってます」
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スタッフは試合中、グラウンドに立つことはできない。試合に直接関わることはできない。でも、選手がストレスなく試合に取り組むための準備として、作戦面、運営面、テーピングなどでスタッフがいないと成り立たない部分がある。
「そこまでの仕事をやった上で、選手に任せるのが普通の学生スタッフだと思うんです。でも僕らは日本一を目指しているので、その仕事は当たり前。その上で日本一を選手に求め続けるのが僕らに必要なこと。何か間違ってることがあれば、その選手の耳元までいって『それは違うぞ』と指摘するんです」
藤田は日頃の練習でも、試合前の練習でも常にフィールドの真ん中にいる。「真ん中にいれば360度見渡せるじゃないですか。僕の大きい声と視野の広さを掛け合わせて、とにかく指摘し続けるようにしています」
東鉢伏高原ロッジかねいちや(兵庫県養父市)で行われる夏合宿で、こんなことがあった。関学には9泊10日の合宿中、毎晩幹部が日替わりで1人ずつ部員の前で話をするしきたりがある。ある日、練習態度が情けなくて悔しかった藤田は、幹部に言って話をする機会をつくってもらった。藤田は泣きながら話した。
「お前らその1プレー、そんな軽くやってるけど、グラウンドに立ちたくても立てへんやつがおんねん。甲子園の地に立ちたくても立てないプレーヤーが日本中にたくさんおんねん。何万人というプレーヤーがおる中で、俺らは恵まれてんねん。そいつらの分も背負ってプレーしてるってことを忘れるな。それは他の大学だけじゃなくて、今お前らの目の前にいる俺でもあんねん。頼む。グラウンドに立てるありがたみ、喜びを知った上でちゃんとプレーしてほしい」
仲間の前で本気の思いをぶつけた。もう、選手じゃないことに気後れはなくなった。
主将から「チームを鼓舞し、求め続けてくれ」
3年生になってからグラウンドの近くに住み始めたとき、一つ上の階の部屋に住んでいたのが、昨春卒業したDLの浅浦理友(現・SEKISUIチャレンジャーズ)さんだった。
「あの人は普段は少しおちゃらけてるところがあるんですが、夜中まで試合や練習のビデオを見てるんです。僕ら窓をずっと開けっ放しだったんで、音とか聞こえてきてて。けがしてたときも理友さんはマッサージガンを当てながらビデオをずっと見てはりました。責任を持ってやってる人だっていうことが痛いほど伝わってきました。自分もちゃんと向き合わないといけないということを見せてくれました」
副将を務めた浅浦さんと行動することが多かった3年生時の1年間、藤田は4年生時に主務になることを目標にしていたという。日本一の集団を作るためにチームを変えるには、主将か主務になるのが一番だと考えたからだ。
「ほんま情けないんですけど、『主務ならこう言うやろ』とか、『こういう行動するやろな』って考えてて、それで関大戦であんなことになって。自分でチームを変えたいから主務に立候補したんです。最終的にマネージャーの松浦(佑月、川西北陵)と僕の2人が候補になって話し合ったんですが、決まらなくて。最終的に永井が決めました」
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今になって思うのは、主務にならなくてよかったということだという。「永井に『貫太郎には主務の立場とかそういうのを気にせず、チームを鼓舞しつづける、求めつづけることにフォーカスしてほしい』って言われたんです。最終的には、これにめちゃくちゃ納得していましたね。本当に自由にさしてもらいましたし、それが僕には合っていたと思います」
そうは言っても、3年生までは遠慮があった。「去年(23年シーズン)の関学なんて、守備はスーパースターばっかりじゃないですか。そこに未経験の自分がなんか言うのは、確かに遠慮もあったんです。でも去年関大に負けてから、それは違うなと思いました。勝つために、遠慮はいらないとわかったんです。こないだの立命戦で負けたのも、僕のせいやと思っていて。タックル、スタート、フィニッシュをやりきっても勝てなかった。そこに、こだわりきれてない自分がいたんだと思うんです。選手に言ってやれてなかった、伝えられてなかったと」
チームが一つになるためにも、1個のプレーとその精度に対してスタッフが遠慮していたらいけない。黙って選手のミスをなあなあにしてはいけない。どれだけ一つのプレーを選手にこだわらせるかが試合に直結する。
「それで負けてしまうということの危機感を選手に伝える、その雰囲気作りをするのが、僕らスタッフの仕事です。関学のスタッフには、ビデオを撮ってるだけ、自分の仕事をしてるだけっていうスタッフは1人もいません」
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漂う「勝てるやろ」の空気に流されてしまった
全国トーナメント初戦で慶應義塾大学に勝ち、東京で迎えた法政大との準決勝。大方の予想では、前年の甲子園ボウルで大勝している関学が有利だと思われていた。しかし、関西大戦で負傷したエースQB星野秀太(3年、足立学園)だけではなく、主将の永井も慶應大戦に負ったけがで出場できない。チームは、弟の星野太吾(足立学園)や永井秀(関西学院)ら、1年生に頼らないといけない厳しい状態だった。
「そうは言っても『なんとかなる』って雰囲気がチーム内にはありました。全員が心のどこかで勝てるやろって考えてたんやと思うんです。新幹線で行くのか、夜行バスで行くのかを話し合ったり、いつもの前日練習をやらなかったり。『(東京へ)出かける』というような空気がありました」
試合前の週にこんなこともあった。トレーニングを無断欠席し、数値の報告もしない4年生がいた。
「僕はそれをそのままにしてしまったんです。何度か白川(虎樹、3年、関西学院)が『呼んでください、書かせなくていいんですか? ヤバいですよ』って言ってきたんですが、『アイツはもうええよ』って言ってしまった。そんなチームが勝てるわけないですよね。いま思えば全部つながってるんです。後悔でしかないです」
あのとき、ちゃんとやってれば、言ってれば——。試合から時間が経過した今でも、このときのことが夢に出てくる。『アイツはもうええよ』の所で目が覚めるという。
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「本当の意味での負ける怖さをわかってなかった」
法政戦は、いつもとは違うビッグビジョン、音楽、雰囲気だった。ファイターズの試合にはほぼ駆けつけてくれる、応援団チアリーダー部の姿もなかった。「法政側の観客席がすごく入ってて、いつもの試合とは違うなんかフワフワした感じはありました」。試合が始まると、違和感は現実に結びついていく。
先制こそしたものの、試合が進むにつれて勢いづく法政が関学を圧倒していく。エースRB伊丹翔栄(4年、追手門学院)のランが出ない。
「びっくりしました。ショウエイが悪いのか、OLが悪いのか、法政が良くて止められてるのか。わからんかったんです」。本来の関学らしさが封じ込められたまま時間が進み、第4Qになんとか同点に追いついて延長タイブレークに持ち込んだ。
「去年(23年シーズン)の関大戦を思い出しました。流れも、雰囲気も、止められ方も。同じにおいです。うまく行かなくて、相手にのまれてしまった。練習してないプレーをやって失敗したり、反則の取られ方一つに動揺してしまったり......」
先攻の法政がFGで3点を先制。後攻の関学は、ゴール前で法政の反則により1stダウン更新のチャンスを得たが、TDにつなげられず。同点を狙ったFGが外れて負けが決まった。
関学が、甲子園を前に負けた——。それは、理解するのに時間がかかるほどの事実だった。無論、シーズンが絶たれるという経験のない現役選手らにとっては、それ以上の重い事実だったに違いない。直後、ぼうぜんとする選手の姿がフィールド上にあった。
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「甲子園にたどり着かずに終わったことがなかったんで、本当の意味での負ける怖さをわかってなかったんです。先輩やOBの方たちにとって本当に申し訳ないと思いました。後輩には何もつなげられなかった。(ファイターズの歴史の)汚点になってしまったなと。負けた代として永遠に刻まれていくんだって」
法政大の選手らが喜んでいたことも覚えていない。それほどショックは大きかった。ロッカーに戻り「(食トレから解放され)明日から痩せるか!」などと、仲間が泣きながら話す冗談にも乗れなかった。
帰りの新幹線で、一足先に引退した関大のトレーナーからの連絡を見て、ようやく負けたことが理解できた。
「甲子園にフラれ続けた人生」
藤田貫太郎のファイターズでの4年間は、こうして終わった。「甲子園で」「甲子園では」——。この枕詞(まくらことば)は、最後の年には実現しなかった。
アメフトをはじめる前、こんな想像をしていた。
「甲子園ボウルで花道を走って、自分が活躍して観客がウワーって騒ぐような。高校野球でいうなら、ホームランを打って大歓声があがる感じです。でも、思い描いた世界とは全然違うと。カッコつけて言うなら、甲子園にフラれ続けた人生だなと思います」
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高校時代に目指した甲子園は、春夏ともに行けなかった。大学では、簡単にこの地を踏める大学野球ではなく、最後まで勝ち進んだ上で出られる“冬の甲子園”に挑戦したかった。
「選手として思うようにできず悔しかったけど、4年間やりきれたのは、僕の中に甲子園という原動力があったからです。だからこそ、自分たちの代で甲子園の舞台に立てなかったことは、一番の後悔です。自分がやりきったつもりでも、詰めが甘かった。ファイターズには熱狂的なファンがたくさんいます。ずっと応援してくれた両親。たくさんの人たちを裏切ってしまった。負けてから気づいた、一生の後悔です」
ファイターズでは組織作りを学んだ。200人の部員に発破をかけ、勝利に向かうことの使命感と難しさ。ラストイヤーに成し遂げられなかったことは、社会に出てから仕事で実現したいと思っている。その前に、来シーズンは後輩を支える1年にする。
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