アメフト

関西学院大DL浅浦理友 高校時代に大けが、絶望からはい上がって最前線で大暴れ

近大戦は関学のDL浅浦理友にとって会心のゲームだった(撮影・篠原大輔)

アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は第4節を終え、前人未到の甲子園ボウル6連覇を狙う関西学院大学ファイターズは開幕4連勝を飾り、10月28日に同じく無敗の京都大学ギャングスターズと対戦する。関学は4年生のチームと言われる。チームのためにすべてをかけた取り組みの中で、秋のシーズンが深まると鬼神のごとくプレーする選手が出てくる。今年はDLで副将の浅浦理友(りとも、関西学院)が、その境地に入ってきた感がある。

徹底したスカウティングが迷いのない動きに

10月15日の近畿大学戦(35-0で勝利)。いきなり相手オフェンスの2プレー目で浅浦が勝負に出た。フィールド中央付近での第2ダウン残り8yd。近大はIフォーメーションのタイトな隊形できた。プレーアクションパス。浅浦はそう読んだ。DLの中でも外側に位置するDE(ディフェンスエンド)だ。いつも通りスタートにかける。

近大のC(センター)がボールをスナップした瞬間、爆発的に飛び出す。相手の左T(タックル)の胸を一突きしてバランスを崩させる。浅浦の読み通り、ランのフェイクからのパスだった。左Tの外側を駆け抜け、QBの勝見朋征(3年、近大附)の背中側から襲いかかった。強いヒットにはならなかったが、相手の出ばなをくじくQBサックだ。

相手の2プレー目にQBサックを決める浅浦(撮影・廣田光昭)

第2クオーター(Q)にも相手のプレーを読みきって好結果につなげた。今度はディフェンスの左側から猛然とラッシュ。右からのトラップブロックが届く前に奥へ侵入し、ドロープレーでボールを託されたRBにロスタックルを見舞った。次の相手オフェンスでは、DB東田隆太郎(2年、関西学院)のタックルで相手がファンブル。転がるボールに浅浦が飛びついてリカバー。一発でリカバーするのはなかなか難しいが、このあたりにも調子のよさと勝利にかける執念がにじみ出ていた。その次のシリーズでこの日2度目のQBサック。第3Q途中でベンチに下がり、サイドラインからフィールドの仲間たちに声をかけた。

後輩を育てるのも関学の4年生の役割の一つだ(撮影・篠原大輔)

試合後の浅浦は「過去イチ調子よかったです」と笑った。徹底したスカウティング(事前の分析)が迷いのない動きにつながっているという。「相手の隊形でプレーが絞れることもあります。左右のタックルのセットの位置や体の開き方がランとパスでどう違うか。それを見ていく中で弱点を見つけて、試合で生かしてます」

スカウティングのやり方は昨年、4年生のDLだった山本大地さん(現・関学アシスタントコーチ)と亀井大智さんに教えてもらった。次の対戦相手の映像を何回も見て、気づいたことをまとめていく。近大戦の前、毎日3時間はこの作業をしていた。そして後輩たちの授業が空いた隙に個別ミーティング。分析の結果と、「だからどうする」の部分を伝えていく。「先生みたいやね」と私が言うと浅浦は笑い、「ほかのポジションも4年はみんなそういう毎日です」と言った。そして「DLは頭を使わないといいプレーができない」と言いきる。

時には相手のプロテクションの内側から勝負をかけ、QBサックを狙う(撮影・篠原大輔)

3回の手術にリハビリ……当初は試合を見るのが怖かった

浅浦は中1のとき、大阪府池田市で活動する「池田ワイルドボアーズ」に入ってフットボールを始めた。高校から関西学院に進み、TE(タイトエンド)でプレーしていた。そして2年生の終わりに、浅浦のフットボール人生は閉じかけた。

関東の強豪・佼成学園との練習試合。ディフェンスのLB(ラインバッカー)の練習も始めていた浅浦は、慣れないポジションで必死にプレーしていた。相手の低いブロックを受けたとき、浅浦はフィールドに倒れた。膝(ひざ)だ。痛い、というレベルではない。「悶絶(もんぜつ)しました」と本人。1学年上で部を引退していた河原林佑太さんが応急処置を手伝ってくれたのを覚えている。救急車で運ばれて緊急手術。複数の靱帯(じんたい)が断裂していた上に骨折まで……。気づいたら病院のベッドの上。「泣くしかなかった」と振り返る。本人のいないところで医師は両親に「もうアメフトはできないかもしれません」と告げていたと、後になって聞いた。

昨秋最初の大一番となった関大戦に勝ち、浅浦は涙を流した(撮影・北川直樹)

計3回の手術。約1カ月の入院。アメフトの仲間たちは毎日お見舞いに来てくれた。面会の場所へ行くと20人ぐらい来てくれていた日もあった。河原林さんは時間外にもこっそり会いにきてくれた。復帰のめどは立たなくても、浅浦が「また絶対にアメフトをやる」という強い思いを持てたのは、彼らの存在と両親によるサポートが大きかった。

単調でキツいリハビリの日々が始まった。大阪からの通学が不便になったため、神戸市内の親戚宅に住まわせてもらい、高校への送迎までしてもらった。高3のときは最後までフィールドに立てなかった。最初のころはアメフトの試合を見るのが怖かった。両親に声をかけてもらい、そんな気持ちを吹っ切って、仲間たちの試合観戦に車で連れていってもらった。帰りの車の中で、浅浦は決まって泣いた。「同期が高校最後の1年で練習を頑張って、試合で活躍してるのに、自分は何もできない。悔しかった」

もう一度甲子園の芝の上でプレーできるか(撮影・北川直樹)

大村和輝監督「フロントのエースになった」

大学1年もリハビリで終わった。2年生の春、ようやく浅浦は練習に復帰できた。タックルを受けるのには恐怖心があってオフェンスは諦め、初めてのポジションであるDLに挑戦することにした。いきなり春のシーズン初戦、桃山学院大学とのオープン戦で先発出場。そこからひたむきに大好きなアメフトと向き合って、3年生からスターターに定着できた。昨秋のシーズン終盤に出てきた高校からの同期であるトゥロターショーン礼が逆サイドのDEで大暴れする一方、浅浦も持ち味のスピードを生かしたラッシュで活躍。立命館大学戦ではQBサックを決めた。

この秋はここまでトゥロターの出場がない中、浅浦は4試合で三つのQBサックを決めたほか、近大戦のように最前線で相手のオフェンスをかき回している。大村和輝監督は「1対1で突破してくれる。フロントのエースになった。LB的なこともできるし、何より今年になってリーダーシップが出てきたのが大きい」と浅浦を評した。

正確な読みに裏打ちされたプレースピードの速さが浅浦の武器だ(撮影・篠原大輔)

いざ京大戦へ「自分たちの責任をまっとう」

10月28日には10年ぶりに開幕4連勝を飾った京大と戦う。相手QBの泉岳斗(4年、都立西)は投げてよし、走ってよしのアスリートだ。「1人ではタックルできない相手なので、DLとして全員で集まる。相手の弱点を見つけて、自分たちの責任をまっとうします」

アメフトができなくて泣いた日があった。仲間や両親の支えもあって、あの日からここまで駆け上がれた。膝にはもう、テーピングさえ巻いていない。その膝を見ながら、浅浦は「あのとき以上につらいことはない。就活でも、どん底からはい上がった話をしました。あれが一番のターニングポイントだったと思います」と言った。

大学最後のシーズンもあと2カ月。KGディフェンスの最前線で、44番が暴れる。

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