ボート

特集:第88回早慶レガッタ

漕がずにボートを進める 早稲田コックスの苦悩と喜び

コックスの菱谷(左)はどんなレース展開になっても冷静さを保っている(写真は早稲田大学漕艇部提供)

ボート界の早慶戦「早慶レガッタ」が4月14日、東京・隅田川を舞台に開催される。1日がかりとなる戦いの中でとくに注目を集めるのが、大学生の種目である女子対校エイト、第二エイト、対校エイトの3種目だ。この「エイト」は、8人の漕手(そうしゅ)と舵取りを担うコックスの計9人が一つのボートに乗る。ただ一人オールを持たないコックスは、実は大きな責任を負っている。

ボート上のコーチ

鍛え上げた体で力強く漕ぐ選手たちを見ていると、「ボートは力勝負」と思ってしまいがちだが、実際はもっと繊細な競技だ。早稲田を代表して対校エイトに乗るコックスの菱谷泰志(新3年、米子東)は「ボートは漕手の動きをいかに合わせるかが大事なスポーツです。それ次第で格上の相手にも勝つことができます」と言いきる。そのために、コックスがいる。

コックスの主な役割は、舵をきること、そしてコールをすること。水上に出てしまうともう、監督やコーチの声は届かない。コックスはボートの中で唯一客観的に自分たちを見られる存在だ。刻一刻と変わる状況を正確に把握し、どのように修正すればまっすぐ進めるのかを瞬時に考え、漕手たちに指示を出す。そこに迷いがあるとボートの調和は崩れてしまう。さらに相手の動きを見て、どこで勝負をかけるか判断しなければならない。

早稲田も慶應も、埼玉の戸田漕艇場を練習拠点にしている。直線2000mの戸田漕艇場とは違って、早慶レガッタの舞台である隅田川には、カーブも波もある。しかも3750mという長丁場だ。一つのカーブでミスをすると、それだけで大きな差がついてしまう。12~13分にも及ぶレースの間、漕手たちはひたすら漕ぎ、コックスは絶え間なくコールをする。「どんなに熱くなっても相手の状況と自分たちを俯瞰的に見ないといけないので、絶えず頭は冷静に、というのを気にかけてます」と菱谷は言う。

漕手に信頼されないと勝てない

コックスには研究が欠かせない。早稲田にはコックスのまとめ役を担うチーフコックスがおり、そのチーフを中心にコックス同士で技術を高め合っている。とくにいまのチーフコックスである徐銘辰(セオ・ミョンジン、新4年、St. Andrew's college)は、大学からボートを始めたこともあり、高校からの経験者に追いつこうと勉強を重ねてきた。定期的にミーティングを開いて、その豊富な知識を部員たちと共有しているという。

山田(左端)は「コックスはコミュニケーション力が不可欠」と言う(写真は早稲田大学漕艇部提供)

「コックスには技術以前に必要なものがあるんです」と言うのは、今回、第二エイトの一員として初めて早慶レガッタで戦うコックスの山田侯太(新3年、早大学院)。「漕手からの信頼や、コミュニケーション力です。例えば練習中に僕が『こういうところを狙っていこう』と言っても、みんなに疑問を持たれたらまとまらない。でも信頼があれば『まずはやってみよう』という雰囲気になりやすいんです」

菱谷はコックスとして、メンバーのメンタルを人一倍気にかけている。「寮で一緒に暮らしているので、その人がどういう性格なのかは自然と見えてきます。その日のメンタルの状況なども見て、『きょうは元気ないな』とか『調子よさそうだな』というのをつかむようにしてます。もし落ち込んでそうだなって思ったら、練習では『いいよいいよ!! 』というコールをちょっと多めにします」。コックスの勝負はメンバーの気持ちを高めるところから始まるようだ。

コックスはメンバーの状態を常に確認し、力を引き出すための心配りをしている(右端が菱谷)

55kgより重いと迷惑をかける

なかなか見えないコックスの苦労に減量がある。ボートを速く進めるためには、もちろん軽い方が有利だ。コックスは体重55kg以上と定められており、コックスはみな、55kgギリギリに調整してレースに臨む。

菱谷も山田も高校までは漕手として体を鍛えていた。とくに山田は高校時代、最高で72kgだったという。高3で引退してからは自然と63kgまで減ったが、そこから55kgまで落とすのは苦しかったという。「自分が調整してないと、メンバーに迷惑をかけてしまう。みんな頑張ってるんだから、55kgにしてなるべく運ぶ重さを少なくしてあげたいと思うと、あまりたくさん食べられないなっていうプレッシャーはありますね」。レース前は食事を減らし、サプリで栄養補給をしている。

ボートにファインプレーなし

早慶レガッタに向けた練習は約90日前から始まる。決して負けられない戦いということももちろんあるが、長くて複雑なコースゆえに、レースに向けた準備内容は多岐にわたる。菱谷は昨年、第二エイトで戦ったが、今年は花形の対校エイトに出場する。小2でボートを始めた菱谷にとって長年あこがれてきた夢の舞台だが、いたって冷静だ。

菱谷(右)も山田も、いま一番の目標は「慶應に勝つ」

「対校に乗れると分かったときは『うれしいな』という気持ちもあったんですけど、いまはそれよりも『慶應に絶対勝たないといけない』という思いの方が強いです。高校のときの先生が言ってたことなんですけど、ボートにはファインプレーがありません。スタートについたときには9割5分、結果が決まってます。いままでやってきたことを確認するのが試合。だから去年の第二エイトで圧勝したとき、『僕たちがやってきたことは間違ってなかった』と確信しました」

冷静に、しかも誰よりも熱く。コックスの情熱も、力強くボートを押す。

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