棒高跳びの日大・江島が関東インカレ大会新、5m80にも自信
陸上の関東インカレ3日目の5月25日、江島雅紀(日大3年、荏田)は5m61の大会新記録で初優勝を決めた。そしてバーを10cm上げ、秋の世界選手権の参加標準記録である5m71に挑んだ。1回目、江島の体はバーを大きく越えていた。しかし、胸が触れてしまった弾みでバーが落下。大きな歓声は一転、ため息になった。残り2回もクリアはならなかった。
炎天下で応援してくれる仲間のためにも
江島は大学1年生の時から5m65を跳ぶような実力者だったが、過去の2年の関東インカレと全日本インカレはすべて2位。大学生になってからの優勝は、意外にも昨年9月の関東学生新人選手権ぐらいだった。「大学に入って初というぐらいの優勝なので、すごくうれしくて。71を跳びたかったという思いもあったんですけど、今日は優勝と大会新記録を狙ってたんで、最低限の目標が達成できてうれしい気持ちでいっぱいです」。江島の笑顔が広がった。
江島は5月19日のセイコーゴールデングランプリ(GGP)大阪にも出場し、5m31で5位だった。「自分の中で落ちるところまで落ちましたね。もう一回、僕も陸上界を牽引(けんいん)できる一員になりたいという強い気持ちも生まれたので、そこから1週間もなかったんですけど、いまできることをやろうと思いました」
GGPに江島と一緒に出場していた澤野大地(日大~富士通)は、関東インカレではコーチとして江島の跳躍を見守っていた。澤野は江島の試技の合間に「すごくいい!!」「次はもう跳べる!!」と、江島の背中を押していた。「いつでも跳べる状況はそろってたんで、後は自分が勝ちたいか勝ちたくないかという気持ちの問題でした」。江島自身も、そう感じていた。
5m40を1回目で跳んだ時点で、江島の優勝は確定した。あとは記録との勝負。5m45をパスし、5m50を一発でクリア。従来の大会記録を1cm超える5m61に挑み、江島はこの日初めてバーを落とした。2回目も失敗。競技を終えた選手たちもみな、江島の跳躍を見守っている。中には彼の背中を軽く叩いて励ます選手もいた。
後がなくなった3回目。江島は頭の上で2度手を叩き、お客さんに手拍子を求めた。リズムにのった江島は、余裕を持ってバーを越えた。大きな体をいっぱいに使ってガッツポーズをすると、すぐそばの観客席で応援してくれた日大の仲間の方へ笑顔で振り返った。
次に挑戦した5m71の3回目に失敗した直後、江島は日大の仲間たちに向かって両手を合わせ、“ごめん”のしぐさをした。「今日は71を跳んどかないといけなかった。みんなが炎天下で応援してくれてて、その中には試合に出たくても出られなかった選手もいて……」。そんな思いから、とっさに出たのが“ごめん”のポーズだった。
棒高跳びの存在をアピールしたい
5m71の1回目は、江島自身にも「いった!! 」という感覚があった。その瞬間に5m80のクリアも現実味を帯びてきたと実感したという。「力強く『80跳べます』って断言できるような跳躍ができました。自分は70じゃ終わらない選手だっていう確信がもてました」
6月末の日本選手権で標準記録を超えて優勝すれば、世界選手権の代表に内定する。日本選手権は大学1年生で2位、2年生のときは3位だった。「東京オリンピックに続いていく世界選手権で勝負したいです。今年こそは1番をとって、3年間で(日本選手権の)金銀銅をそろえられたらいいな」と笑った。
7月にはイタリアのナポリでユニバーシアードに出場する。江島は前回大会で5m40をマーク。試技数差で4位と表彰台を逃した。今回、同じ日本代表に橋岡優輝(3年、八王子)や丸山優真(同、信太)ら日大のチームメイトが複数いることは、江島にとっても心強い。「自分たちの世代が勝たないとこの先もないんで、そのためにも優勝をつかみたい」と、力をこめる。
実は、江島がお客さんに手拍子を求めたときの試技で成功したのは、神奈川県立荏田(えだ)高校3年生のとき、5m43の高校新記録(当時)でインターハイを制覇したとき以来のことだった。大学に入ってからも何度となく手拍子を求めてきたが、すべて失敗。手拍子はプレッシャーにはなりませんか? と問われると、江島はニヤリと笑った。「棒高跳びはマイナー種目なんで、そういうところで活躍しないと。今日はいいところを見せられたかな。棒高跳びが、みんなの印象に残ってくれたらいいなと思います」
5m71の1回目について、改めて「惜しい跳躍でしたね」と言われると、江島は「でも、いいカタチで終われたんで。何より今日は跳んでて楽しかったんで、そんな楽しむ気持ちを忘れずにいたいです」と笑顔で言った。「楽しい」という気持ちがこの先、江島の原動力になっていく。