陸上・駅伝

800mのトップレベルに駆け上がった国立大医学部生 大分大6年・山夲悠矢

セイコーゴールデングランプリ大阪ではペースメーカーとして必死で引っ張った

5月19日に開催された陸上のセイコーゴールデングランプリ大阪。男子800m決勝には5人の外国人選手を始め、日本記録保持者の川元奨(スズキ浜松AC)や昨年の日本選手権2位の西久保達也(早稲田大4年)ら9人が出場した。トップランナーたちが集ったレースでペースメーカー(PM)を務めたのは、大分大学医学部医学科6年生、医学部陸上部に所属する山夲(やまもと)悠矢(長崎西)だった。

トップランナーが集う大会でペーサーの大役

山夲にとって、これほど大きな大会で走るのは初めての経験だ。PMはレースに流れをつくり、ほかの選手たちを引っ張らなければならない。ペース配分を意識してイーブンペースで走るのが理想だ。山夲はこれまでにもPMの経験があったため、そのあたりの難しさは知っていた。

レース本番は風が強く、難しいコンディション。「ホームストレートが向かい風だったんですけど、かといってバックストレートでスピードを上げるわけにはいかないので、配分には気をつけました」。さらに今回は、川元の日本記録を約3秒上回る1分42秒台の自己ベストを誇るケニアのアルフレッド・キプケテルを筆頭に、山夲の自己ベスト1分49秒20を大きく上回る外国人選手たちがいる。「大会のパンフレットに『ペースメーカーが大事』って書いてあったから緊張してたんですけど、会場に慣れてきたというか、意外と走るときは緊張しなかったです」と話す山夲は、ダイナミックな走りで9人を引っ張り、トラックを駆け抜けた。「最初の400mを指定通りの51秒でいけたから、いいペーサーができたかな」。レース後の山夲は、爽やかな顔にホッとした表情をのぞかせた。

スタート前、大阪の空を見上げる

長崎の公立進学校から2浪して医学部へ

昨年10月の福井国体で8位に入った山夲は長崎出身。陸上を始めたのは小学6年生のとき。足が速く、先生から陸上クラブを勧められた。高校は公立の進学校、長崎西高校へ進む。インターハイには届かなかった。本格的に走りの指導も受けたことがなかった。大学進学を考えるときも、陸上のことは頭になかった。「とにかく医学部を目指してました」。医師として働く親を見てきたら、自分も自然と医師を目指すようになっていた。「ただ、成績が全然ダメで……」。受験に失敗して予備校の寮に入った。そして2浪の末、国立の大分大学医学部に合格した。

入学後は「2年間の浪人で走ってなくブランクがあったし、高校でも特別な記録を出したわけでもない。こんな自分が大学で頑張っても中途半端に終わるかもしれない。いっそ違う競技に挑戦したほうが……」という気持ちもあった。だが、ある先輩の存在で考えを変えた。「当時の医学部陸上部に速い先輩がいたんです。一緒にやりたいと思いました」。走り続ける選択をした。

橋本コーチとの出会いで能力開花

山夲に転機が訪れたのは2年生のときだった。元自衛隊で800mの選手だった橋本裕太さんがコーチになってくれた。「自分のダイナミックな走りが魅力的だと、声をかけていただいたんです」。いいところをどんどん褒めて伸ばしてくれた。「お前ならやれる」と、ずっと言い続けてくれた。それが山夲の性格にも合っていて、モチベーションにもなった。「いい感じに僕を洗脳してくれたんです」と山夲は笑う。

医学部陸上部所属のため、インカレには出られず、国体を目指すしかなかった

日々の練習環境には恵まれてはいない。「1レーンしかない土のトラックで練習してます。1周が315mで、急なカーブもあれば、滑りやすいところもあるんです」。隣接する大学病院の患者が散歩やランニングに使うこともあるグラウンドだ。週3回の部活と、残りの日は自主練。橋本コーチから月に2回ほど直接指導を受け、ほかの日は練習メニューを送ってくれる。「ひとりで練習することが僕のスタンダードになっているので、孤独さもそんなに感じない。僕みたいな環境で活躍している人は絶対にいるはずだし、環境どうこうと言ってたら上にいけないと思ってます。恵まれた環境でやってる人よりハングリー精神では負けないと思ってます」。

医学部という環境も同じ。「勉強と練習があることによって生活にメリハリが生まれる。医学部でももっとやれるというのを証明して、陸上に本気で取り組む人が増えたらうれしいですね」。環境を言い訳にしない強い男が山夲だ。

橋本コーチがついてくれてから、けがをして走れない期間もあったが、そのときはウェイトや体幹トレーニング、ストレッチを地道にやり、治ったらまた橋本コーチの練習メニューをこなした。そして2017年の愛媛国体に出た。これが初の全国大会だった。昨年は九州陸上選手権で初優勝。福井国体では決勝に進んだ。最下位の8位だったが、日本のトップレベルを肌で感じられた。

10月のかわさき陸上競技フェスティバルでは、1分49秒20まで記録が伸びた。日本のトップが見えるところまで来た。「国体で入賞して、周りの僕に対する見方が変わった気がします。大分の人たちはすごく僕のことを応援してくれるし、大分は中距離のレベルも高い。ぼくはその期待に応えられるような走りをしたいんです」。大分への地元愛も忘れないナイスガイだ。

27日からの日本選手権がひとつの区切り

山夲は現在医学部6年生。来年2月には医師国家試験も待ち受けている。「まだ何科に進むかは考え中ですけど、スポーツ整形に興味があります。医師免許があれば、整形外科に進まなくてもスポーツ整形でやっていける可能性がある。だからどの科に進んだとしても、将来は陸上に関われたらと思ってます」。

日本選手権でどんな走りを見せてくれるのか

今月末の日本選手権(福岡・博多の森陸上競技場)を、競技生活のひとつの区切りにするつもりだ。「今年がラストイヤー。陸上選手と医師の掛け持ちはできないと思うし、そんな気持ちで医師をやってはいけないと思います。陸上で夢だけ追いかけて、休学したり医師になれないなんてことになるなら、きっぱりとやめることも大事ですよね」

とはいえ、日本選手権で記録をまた伸ばし、さらに上のレベルに挑む彼の姿も見てみたい気がするが……。まずは今月末の福岡でどんな走りを見せてくれるのか、注目したい。

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