アメフト

関大LB山根一真 野球でもレスリングでも破れた夢をアメフトで!

3年ぶりの京大戦勝利をかみしめる山根(撮影・安本夏望)

関西学生リーグ1部

8月31日@大阪・エキスポフラッシュフィールド
関西大(1勝)38-7 京都大(1敗)

アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部の第1節で、昨年3位の関大が3年ぶりに京大を下し、好スタートを切った。

第4Q、値千金のインターセプト

嫌な流れを断ち切った。17-7で迎えた第4クオーター(Q)の序盤だ。関大のLB(ラインバッカー)山根一真(かずま、4年、近大附)が京大のパスをインターセプト。直前のオフェンスでフィールドゴール(FG)を外し、いい流れが京大に渡りそうになっていただけに、関大サイドの喜びがはじけた。オフェンスがすぐにTDを奪って24-7。試合は決まった。殊勲の山根は言った。「2年連続で負けてた京大に勝ててうれしいです。がむしゃらにやってきたので、出しきれてホッとしてます」。その目は、少し潤んでいた。

インターセプトを決め、叫ぶ山根(中央、撮影・篠原大輔)

この初戦を迎えるまで、気持ちが高ぶりすぎていた。8月6日〜17日の夏合宿。この夏からLBのスターター格となり、少し気負いがあった。気持ちが入りすぎて、試合形式の練習に入るときに涙が出た。足がまったく前に動かなかった。「完全に空回りしてましたね」と山根。そんな日々を経て、肝心の京大戦では落ち着いていたが、試合後はまた感極まって涙目に。人一倍アツく、情に厚い男なのだ。

いい思い出のない高校時代、勉強は頑張った

高校進学にあたっては野球で甲子園にいくために、大阪の名門近畿大学附属高校の門をくぐった。朝練に向かうのに、高校の最寄り駅からローファーを履いて全力疾走。いきなり足を骨折。名門野球部の厳しさにも耐えきれず、1カ月でやめてしまった。そのとき、声をかけてくれたのがレスリング部だった。初めての競技に打ち込んだ。近大の選手と実践練習を積み重ねた。66kg級での大阪府2位が、山根のレスリング人生最高の成績だ。高校最後のインターハイ予選は、けがを抱えたまま出て負けた。「あまり、高校でいい思い出はないですね」。本人がそう言うように、踏んだり蹴ったりの3年間だった。

高校でレスリングに取り組みながら、山根には野球のために近大附へ行かせてくれた両親への申し訳なさがあった。だから勉強は頑張った。関大の環境都市工学部へは、指定校推薦で進んだ。

京大のQBに対してタックルに入る山根(右端、撮影・安本夏望)

大学で始めたアメフトでも、体はボロボロになった。皮肉にも高校時代のレスリング経験があだとなった。「初めのころはレスリングのタックルの癖が残ってて……。思いっきり低くいきすぎて、けがしまくりでした」。首のヘルニアを患った。昨年の春にもタックルした際に左足首を痛めて入院。けがばかりの3年間を経て、ラストイヤーにようやく光が差した。

リスペクトするからこそ、関学を倒したい

実は山根がアメフトを始めたきっかけは、ライバル関学への憧れだ。高校3年生のときに関学-立命戦を観戦。当時の関学の副将、LB作道(さくどう)圭吾のかっこよさに惹(ひ)かれた。作道にスポットライトを当てたしたドキュメンタリー番組を見て、さらにあこがれた。そして山根はいま、作道と同じ背番号43をつけている。ポジションも同じだ。

関学へのあこがれは、いまもある。「関学のことを尊敬しています。だからこそ、そこを倒せたらかっこいいじゃないですか」。ニヤッと笑いながら言った。1回生、2回生と秋のリーグ戦で関学に敗れたが、昨年は19-19の引き分けに持ち込んだ。10月27日、最後の関関戦にかける。

高校3年間に大学での過去3年間と、雌伏の6年を過ごした男、山根一真。ニックネームは「会長」だ。ラストシーズンに、すべてを出しきれ!

山根(手前右)は情に厚い男だ(撮影・安本夏望)

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