ある大学生ラガーマンの思い「アイツは体現してる。4年生としての生きざまを」
9月22日、神奈川・上智大秦野キャンパスグラウンド。ラグビーの関東大学対抗戦Bグループ第2節で、上智大が一橋大を66-7で下した。この試合に途中出場した上智大の4年生が4years.に寄せてくれた文章を、みなさんにお届けします。
上智が11年ぶりの一橋戦勝利に涙
入学以来ずっと、心から待ちわびた瞬間だった。
66-7。上智は11年ぶりに一橋大学から勝利を挙げ、ずっと目標にしてきた「打倒一橋」を達成した。試合前からハドルの中で泣いてしまったぐらい、思いを込めた試合だった。私は後半18分から交代で出た。勝ったあと、サポートメンバーが泣いているのを見ると、また目頭が熱くなった。
上智にとって、一橋は絶対に負けられない相手だ。ともに内部推薦やスポーツ推薦がなく、条件は同じ。だが、練習環境は彼らが上をいく。専用の人工芝グラウンドに、隣接するトレーニングルームとクラブハウス。クラブハウス内には、風呂まで完備されている。一方の上智は砂のグラウンドで、雨の日は使えない。大学生にもなって公園で練習することも稀ではない。しかも、大学受験で一橋に落ちて上智に来た部員も少なくないのだ。
その相手に、上智はこの10年間負け続けてきた。1年生のころ、一橋に負けた後、当時のキャプテンが「お前ら、4年になってからじゃ遅いぞ」と泣きながら説いたのを鮮明に覚えている。だから、後悔しないために下級生のころから準備してきた。そして「今年こそ歴史を変えよう」と、春から全員で走り込んできたハードワークが実った試合だった。
言葉にならないくらいうれしかった。うれしくてしょうがなかった。
でも、心のどこかに引っかかりも残っていた。
一橋には中学時代からの親友がいる
一橋のラグビー部には、中学のころからの親友がいる。当時も学校は違ったが、ともにラグビー部にいた。最初は顔見知り程度だった。彼は目立ったプレーこそしないが、愚直なタックルを繰り返す姿と、仲間を励ます熱っぽい声が印象的だった。私たちの関係は、高校で濃密になった。
彼は灘中から灘高に上がった。日本でもトップクラスの進学校だ。灘高ラグビー部は3年生の6月で引退する。そのため3年生は秋にある全国大会の予選に出られない。そこで彼らの最終目標は、6月に開催される「灘甲戦」で勝つことになる。その「甲」とは、私が通っていた甲南高校だ。彼らは中高6年間のすべてを、甲南を倒すためにぶつける。60回を超える伝統の一戦は熱く、毎年のように大接戦になる。
私たちはお互いにけがの多い選手だったが、高3になると、そろってキャプテンを務めた。交流が増え、キャプテン特有の悩みを話し合ったものだ。私の実家と灘高が近いこともあり、よく食事にも行った。
そして最後の灘甲戦。前夜、私は彼に電話をかけた。
「ごめん。俺、けがしとって出られへん」
数週間前の試合で私はけがをした。出場を断念せざるを得なかった。心底悔しかったが、彼には事前に伝えておきたかった。電話越しに落胆する彼の声を聞きながら、泣きそうになるのをこらえた。
「残念やけど、いつか、お前とできたらええなぁ」
彼はそう言った。私たちは、灘甲戦で1度も対戦することなく、高校ラグビーを終えた。
アイツのけがで、ラストイヤーの対戦に暗雲
だが、これも運命なのだろうか。私が上智に、彼は一橋に進学した。両校のラグビー部は同じ関東大学対抗戦Bグループ。大学のプライドとプライドが激突する対抗戦で、また私たちは顔を合わせることになった。「また、お前とやるん嫌やわ〜」。そう言いながらも、彼はうれしそうだった。
そして昨年、やっと対戦することができた。1、2年生のころはけがやメンバー漏れで実現しなかった分、いつにも増して気合いが入った。彼らを倒すために、ハードワークに取り組み、「打倒一橋」の目標を公言してきた。積み上げてきた準備には自信があった。だが、結果は19-29。言葉にならないぐらい悔しくて「勝ったけど、やっぱお前強いわ」と慰めてくれる彼の前で「来年は勝つから見とけよ」と強がることしかできなかった。
お互いに最終学年になった。4月の対抗戦Bグループセブンス大会。偶然、トイレで会った彼に、いつものように話しかけた。
「俺、ほんまはけがで出ん予定やってんけど、メンバーに欠員出たから、急きょメンバー入りしてん」
「なんでそんなこと、俺に言うてくれるねん」
「いや、お前やから言うんやん」
すると彼は切り出した。「じゃあ、とっておきの情報を俺も……」
「また、けがしてもうた。もうお前とはできひんかもしれん」
一瞬、頭が真っ白になった。驚きを隠せなかったが、なんとか励まそうと口を開いた。
「手術せんでも、何とかなるやろ?」
「いや、もう俺、ええかなって思ってる」
その後、いくら前向きになってくれそうな言葉をかけても、彼の顔は曇ったまま。そんな彼は初めてだった。いつも熱い言葉で仲間を励ます彼には、まったく似合わない姿だった。
自分もけが。彼に告げると前向きになれた
そんな矢先、今度は私がけがをした。一橋戦の2カ月半前の出来事だった。「なんでやねん」という言葉が頭の中をグルグル回り、落ち込んだ。心配してくれる周囲に「絶対間に合わせる」と豪語していたが「また試合に出られるのか?」という焦りに押しつぶされそうだった。
いても立ってもいられなくなり、彼にけがしたことを伝えた。すると「引退したら一緒に手術しようや」と、からかってきた。何か特別な言葉をかけられたわけではないが、不思議と前向きになれた。そして「これも神様が与えた試練なんや」と、ようやく受け入れられた。
いままでにないぐらい、真剣にリハビリと向き合った。チームに貢献するのはもちろん、あいつともう一度、戦うために。毎日の地味なトレーニングに、必死で食らいついた。松葉杖を卒業したころには少し走れるようになっていて、トレーナーも驚きの早期回復だった。多くの人に支えられ、9月8日の開幕戦にリザーブでメンバー入り。戦列復帰を果たした。
最後の対戦、彼は間に合わなかった
そして一橋戦の当日。試合前、ロッカールームの前で会った彼は、申し訳なさそうな顔で言った。
「ごめん。間に合わんかった」
メンバー表に、彼の名前はなかった。どんなに一橋が劣勢になっても、ベンチから飛ぶ檄(げき)の主は、まぎれもなく彼だった。私が交代で入ったときには「中矢入ったぞー」と叫んだ。
親友、葛淳一よ。お前がいたから、ここまで来られたと思う。けがしたときも、あきらめなかったんだと思う。ありがとう。だから謝らないでほしい。結局、対戦できたのは1度きりだったけど、大学でも縁があった俺らのことだ。この続きは、またどこかに何らかの形で存在するのだろう。
関東大学対抗戦Aグループのトップ選手には、まだまだ輝ける場所がある。しかし、Bグループの私たちはそうはいかない。これほどラグビーに時間を割けるのも、おそらく今年が最後だ。だから、やりきりたい。それが4年生の見せるべき姿であり、生きざまだろう。葛は、それを体現している。私も、何があっても最後までやりきる4年生でありたい。
(文・上智大学ラグビー部 中矢健太)