京大アメフトの「親子鷹」植木宏太郎 くすぶり続けた走り屋、残り2戦にかける
関西学生リーグ1部 第5節
10月15日@大阪・エキスポフラッシュフィールド
京大(2勝3敗)21-14 同志社大(5敗)
台風19号の影響で延期されていた第5節の1試合が10月15日にあり、京大が同志社大を21-14で下した。RB(ランニングバック)植木宏太郎(4年、高槻)にようやく力強い走りが出てきた。
5戦目でようやくエースの走り
京大のエースに復調の兆しが見えた。第3クオーター(Q)の中盤、13-14と1点を追う京大が自陣35ydからオフェンス開始。植木にボールを託すと、OL(オフェンスライン)の5人が、ほぼ完璧に相手をブロック。植木は中央やや右にできた大きな穴を駆け抜ける。1対1になったLB(ラインバッカー)をスピードでかわすと、右からきたCB(コーナーバック)のタックルに対し、左へ小さくステップを踏んでかわす。前にいたSF(セーフティー)は味方がブロック。小さく右へ踏んで、その二人の塊を避け、あとはエンドゾーンへまっしぐら。惜しくもゴール前2ydでタックルされたが、この一連の動きを極めて滑らかに、ほとんどスピードを落とすことなくできるのが植木だ。
残り2yd。京大は続けて植木に託す。中央付近を突き抜けるようにエンドゾーンに飛び込むTD。逆転に成功し、2点コンバージョンのパスも決まって21-14とした。これが5戦目にして今シーズンの初TD。遅すぎる感もあるが、植木は言った。「久しぶりって感覚がありました。もがいて、もがいて、もがき続けた結果です」
この日の試合会場だったエキスポフラッシュフィールドは、植木にとって特別な場所だ。高槻高校(大阪)時代に、ここで何度も独走TDを決めてきた。高3の春、関西大会を制したのもここだった。大学のリーグ戦をここで戦うのは、9月7日の近大戦が最後のはずだった。だが、もともと10月12日に大阪の別会場で開催予定だった同志社戦が、台風のためにこの日のエキスポに変更になった。植木は「ラッキーにも、また“ホームグラウンド”のエキスポでやれました。やっぱり得意ですね」とニヤリ。
高槻高校時代は無敵のランナー
植木は高校では無敵のランナーで、1浪して京大に入った。父の努さんも京大ギャングスターズのOBで、1986、87年度の連続日本一に貢献したCBだった。京大のオールドファンはみな、胸を高鳴らせた。しかし、けがが多かったこともあって、過去3年と今シーズンの前半まで目立った活躍ができなかった。「まだ期待には応えられてないんですけど、それと向き合えるのも最後です」と植木。この日は13回のランで122ydをゲインした。
この秋から銭湯巡りを始めた。京大の周辺は老舗の銭湯が多い。植木は疲労回復も兼ねて、一人で行くようになった。最初は近場ばかりだったが、足を伸ばすようになった。イチ押しは、京都御所の近くにある銭湯だ。浴場のわきに、金魚が泳ぐ大きな水槽がある。金魚を眺めながら、湯船につかるのが最高に気持ちいいという。「練習でつかんだ感覚や次の試合のプレーを、湯につかりながら考えてます」
父は言う。「京大は最後の最後に化けることがある」
同志社戦の植木はいつもとは違う43番をつけていた。これまでは父がギャングスターズ時代につけていたのと同じ17番。中学からずっとそうだった。しかしトレーニングの成果でサイズが小さくなり、この日はチームに大きなサイズがあった43番のユニフォームを着た。「無理して17番を着てたんですけど、プレーに支障が出てきたので……」。悲しそうな表情で言った。
リーグ戦で父と同じフィールドに立てるのも残り2試合だ。父はいまDB(ディフェンスバック)のコーチとして後輩の指導にあたっている。父の努さんに試合後、息子について聞いた。「大学に入ってから期待に応えられてないことは、本人が一番よく分かってると思います。でも京大の選手は最後の最後に化けることがある。残り2試合をやりきってほしいです」。優しい口調だった。
父の思いを、息子も感じ取っている。「親父は気をつかってくれてる。とやかく言わずに応援してくれてます。親父がきっかけでアメフトを始めたので、感謝してます」
もう本当に最後だ。父の言うようにギャングスターズらしくやりきって、化けるしかない。