大学野球

オリックス3位指名 近大エース村西良太、田中秀昌監督と二人三脚の4years.

指名を受け、村西(左)は田中監督と握手(すべて撮影・安本夏望)

10月17日のプロ野球ドラフト会議で、近畿大の村西良太(4年、津名)がオリックスバファローズから3位指名を受けた。村西はサイドに近いスリークオーターから、最速152kmの直球を投げ込む右ピッチャー。阪神タイガースの糸井嘉男や読売ジャイアンツの畠世周らに続き、近大から67人目のプロ選手誕生となる。

オリックスの好きな投手を問われて「西投手」

ドラフト当日は東大阪キャンパスのパブリックビューイング会場に、約300人が集まった。午後6時15分から始まった3巡目の指名で村西の名が呼ばれると、「おーーーっ」と会場が沸いた。それまで笑顔だった村西は、キリッとした表情になった。「うれしいです。プロに入って終わりじゃないんで、これからが勝負やと思って頑張ります」。左隣に座る田中秀昌監督(62)と握手した。

オリックスとは今年8月のプロアマ交流戦で対戦した。村西は先発して5回を投げ、被安打1で無失点。T-岡田からは三振を奪った。「あの試合があったから名前を呼ばれたのかもしれないですね」と村西。オリックスの印象を問われ「地元兵庫の球団でうれしいです」と、間違えた。オリックスで好きなピッチャーを尋ねられ、「西(勇輝)投手」。報道陣から「阪神やん」とツッコまれた。

入学当初は自分が見上げていた仲間たちに、胴上げしてもらった

田中監督の「片思い」から始まった

「最初は片思いやったんです」。村西のプロ入りを支えた田中監督が振り返る。村西は淡路島の県立津名高校出身。高2のときに右肘を剥離(はくり)骨折した。痛くて投げられていなかったが、秋の兵庫大会前から投げられるようになった。津名は明石トーカロ球場で神戸国際大付との準決勝に臨んだ。その球場にたまたま田中監督がいた。ほかの選手のリクルートで来ていたが、村西がリリーフで投げる姿を見た。「こいつや、と思って会わせてもらいました」と田中監督。だが、そのときの村西は野球を続けるつもりはなかった。村西は「(近大を)全然知らなくて、強いってことも知らなかった」と振り返る。しかし田中監督が“ラブコール”を送り続け、スポーツ推薦での入学が決まった。

村西の入学後、監督には心配があった。「やめるんちゃうかなぁ、思って。おとなしいまじめな子で、環境に合わんのちゃうかな? と思いましたね」。近大は星稜や智弁和歌山をはじめ、甲子園常連校出身の選手がそろう名門だ。全寮制で、厳しい練習でも有名だ。生まれて初めて親元を離れた村西は「帰りたかった。抜け出そうと思ったくらいです。みんな有名な高校の人ばっかりで、やっていけるんかな、と思いました」。それでも1回生の秋にリーグ戦デビューを果たしたが、その後3シーズンの登板はわずか2試合。コンディション不良で、ベンチに入れない時期もあった。2回生の春はチームが大学選手権に出場したが、神宮球場のスタンドから仲間の活躍を見つめるだけだった。「自分が(神宮のマウンドに)立てなかったのが悔しかった」。その反骨心から、エースにまで上り詰めた。

大学で初めてエースになった村西が、プロの世界に挑む

1回生の秋から、監督の厳しい言葉を浴び続けた

プロ志望は早々と1回生の秋に決めた。そこからは田中監督から大きな声で、常に厳しい言葉を浴び続けた。厳しい練習にも耐えた。村西は言う。「プロに入れたのは近大に来られたおかげです。嫌われてるんかなって思うほど、監督は1回生の秋から僕をプロへ行かせるために厳しく接してくれました。(指名されたあと)握手してもらったときはうれしかったですね」と、感謝の言葉を口にした。

ドラフト前、田中監督にこんなことを尋ねてみた。なぜ村西に厳しい言葉をかけ続けるんですか? 「彼には頑張ってほしい。近大の看板を背負う者として、まだまだなんです。だから、言い続けます。まだまだ伸びしろがある。それだけに、頑張ってほしいんです」。田中監督は力を込めて、そう言った。

5年前の秋、明石の球場で二人が会ったとき、村西に野球を続けるつもりはなかった。田中監督はそんな彼を見守り続け、近大のエースに育て上げた。そして開けたプロへの道。
村西は人生の恩人の厳しい言葉を胸に、華々しくも厳しい世界へ羽ばたいていく。

田中監督への感謝を胸に、「開幕1軍」の目標へ着実に歩む

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