関学の最後尾を守る元ラガーマン宮城日向、福岡で自信つかむリターンタッチダウン
アメフト全日本大学選手権 西日本代表決定2回戦
11月16日@福岡・春日公園球技場
関西学院大(関西2位)47-26 西南学院大(九州)
甲子園ボウルの西日本代表を決めるトーナメントの2回戦が11月16日にあり、関西学院大(関西2位)が九州学生リーグ6連覇の西南学院大学(九州)を47-26で下した。24日の準決勝で神戸大(関西3位)に勝てば、西日本代表をかけて立命館大(関西1位)と再戦できる。福岡での試合ではDB(ディフェンスバック)の宮城日向(ひゅうが、2年、洛北)が、秋の試合では初めてスターターとしてデビューを果たした。
浮いたパスを待ち構えてインターセプト
この日、関学は西南の「打倒関西」の勢いに押され、第4クオーター(Q)に一時は10点差まで迫られた。しかし第4Q3分すぎに関学がタッチダウン(TD)を決め、37-20と突き放した。その直後の西南のオフェンス。QB(クオーターバック)の伊藤嵩人(4年、福岡・新宮)が左へロールしながらパス。その先で西南のエースWR城代慈英(2年、筑陽学園)がフリーになっていた。ビシッとしたボールがいけばロングゲインのケースだったが、右利きのQBが左へロールしながら投げるのは難しい。伊藤のパスは不用意に浮いてしまった。宮城が待ち構えてインターセプト。タックルにきた西南のWR、そしてOLをかわし、エンドゾーンへ向かって加速。一人残っていたQB伊藤は、DL板敷勁至(4年、池田)がきれいにブロックしてくれた。44ydのリターンTDになった。
インターセプトもTDも秋の試合では初めて。「時間帯と点差からパスと予想して、深めに守ってました。自分の前に人が少なくて『いける』と思った。うれしかったです」
関学では毎年、春に鳥内秀晃監督と選手が面談をする。宮城も緊張した面持ちで監督室へ入った。関学DBの大先輩でもある監督に「どうすんねん?」と言われ、「V(バーシティ=1軍)に上がって、試合に出ます」と答えた。秋のシーズンに入り、DBの中でも最後の砦(とりで)であるSF(セーフティー)のVメンバー2枚目に昇格。近大戦では終盤から試合に出たが、フル出場は西南戦が初めてだった。「監督には試合中に『もっといけ』って言われますけど、目標は達成できてよかったと思います」。初々しい笑顔を浮かべて言った。
京都のラグビー一家で育った
中学、高校時代はラグビーに没頭した。ラグビー一家で、祖父は関学、父は大阪体育大のラグビー部出身。父は花園出場63回、優勝6回の名門である天理高校(奈良)の出身でもあり、高校で全国優勝を経験している。家にはラグビーボールや優勝したときの写真が飾られてあり、幼いころからラグビーに触れた。宮城自身は京都市立修学院中でラグビーを始め、ずっとCTBだった。府立洛北高でも主力選手で、京都大会ベスト8が最高成績。「父と比べると絶対に負けるんで、あまり試合のことは言わないようにしてました」と笑った。いまでもラグビー熱は高く、ファイターズのラグビー出身の先輩とともに、ワールドカップの時期は盛り上がったという。
関学へは指定校推薦で入学した。体育会の部には入ろうと思っていたが、ラグビーへのこだわりはなかった。「初心者でもチャンスがある」とアメフト部に勧誘され、入部を決意。家族の影響で始めたラグビーをやめることについて、父は「好きなことやったらいい」と賛同してくれた。ポジションはチームの方針でDBに決まったが、その中でも最後尾を守るSFは自ら選んだ。「ちょっと失敗したなって思ってます。一番後ろでカッコいいと思って選んだんですけど、覚えることが多くて、頭の面で大変です」と苦笑い。副将の畑中皓貴(4年、滝川)や小学校からずっとアメフトに取り組んできている北川太陽(2年、佼成学園)からアドバイスを受け、ようやく一人前になった。「(アドバイスは)感覚的な部分が多いんですけど、助かってます」と、ほほえんだ。
昨年から大きくメンバーが入れ替わったDBはシーズン前からウィークポイントと言われてきた。それでも1回生から出場する北川に加えて、竹原虎ノ助(追手門学院)や和泉智也(関西学院)、宮城といった2回生の台頭で充実しつつある。宮城も「同期の活躍は刺激になってます」と話す。11月24日の神戸大戦でも、出場の可能性は高い。「いつ出てもいいように、しっかり準備したいです」
関学が強いときは、決まって頼りになるSFがいる。迅速に周囲に的確な指示を出し、確実で強烈なタックルを決める。宮城はそんなカッコいい関学のSFとなり、大学では父に誇れるような結果を残せるか。