中央大、伝統の「C」復活のために 4年生から引き継がれた戦い続けるスピリッツ
伝統の「C」の復活への道のりは長い。総合タイムでは中央大記録を更新するなど、選手たちは想定タイム以上の走りで箱根路を駆け抜けた。それでも他校はもっと速く、そして強かった。結果は総合12位と、8年ぶりのシード権奪還を果たせず、部員たちは報告会で悔しさをにじませた。
「エースがいない」中で戦い続けた1年
この1年、田母神一喜主将(4年、学法石川)と舟津彰馬駅伝主将(4年、福岡大大濠)の2人を中心に、戦う意識をチームに浸透させた4年生たち。しかしその陰で、3年生たちの存在が主力メンバーとしてチームを大きく支えていた。
今大会、5人の3年生が出走した。3年生世代は、7人が箱根駅伝を経験するなど層が厚い。それぞれが一定の走力と実力を兼ね備え、安定した走りを見せる。しかし彼らを含め、チーム全体には共通したある認識があった。「エースがいない」。その思いを人一倍強く抱くのは、池田勘汰副主将(3年、玉野光南)と畝拓夢(3年、倉敷)だ。
タフさを身につけた池田の力走
今大会、中大は前半で耐えるレースを想定していた。今回で部内最多3回目の箱根出走となる池田。昨年と同じ4区を任された。三浦拓朗(2年、西脇工業)から笑顔でタスキを受け取り、16位で走り出す。腕には「俺がエース!」と黒ペンで力強く書きこんだ。「エースだったらどんな走りをするんだろう」。池田はレース中、そんな思いを巡らせていた。
去年の箱根終了後、今度は自分が2区を走ると心に決めていた。タフなコースである2区を攻略するために、池田は夏場にマラソン練習を取り入れた。将来はマラソンに挑戦したいという思いを持つ池田。夏合宿前に藤原正和監督と相談した。
「2区というタフなコースを走り切る上で、ハーフの力だけでは走り切れないかなという思いがありました。ハーフより長い距離の30、40kmを走って力をつけていければ、自然とマラソンにも対応できると思うし、2区にも対応していけるんじゃないか。その考えに対して監督も、そういうことなら(マラソン練習を)取り入れていこうとなって走りこみました」。箱根予選会直前の中大記録会での取材時に、池田は夏合宿を振り返り、そのようなやり取りがあったことを教えてくれた。夏を超え、池田は走力に加えより一段とタフさを身につけた。
確かに力はついた。池田もレースを重ねていく上でそれを実感していた。箱根予選会では暑さの中レースをまとめ、世田谷ハーフではチームトップでゴール。学連記録会でも10000mでベストを更新した。しかし、自身の思い描くエースの走りとは何かが違った。
2区は同級生の川崎新太郎(3年、水口東)が任された。どんな状況でタスキをもらっても、長い距離をマイペースで押していき、大崩れしないのが川崎の武器。川崎に2区を任せてしまったことへの申し訳なさと同時に、走りでチームに勢いをつけると池田は奮起した。
走り始めて間もなく、順位を一つ上げた。全身を使った力強い走りでひたすら前を追う。腕にはもう一つ、「畝につなげ」と書いていた。普段から仲の良い、良きライバルでもあり親友へタスキをつなぐために。小田原中継所手前で東洋大を捉え、東洋大とほぼ同時にタスキを畝へと託した。池田は昨年よりもタイムを52秒縮める走りを見せるも、区間順位は昨年の9位から11位へと下がってしまった。チームに流れを呼び込んだが、エースの走りはできなかった。
期待を一身に背負った畝の焦り
藤原監督が自信を持って山登りの5区に送り出した畝。「今年は山の畝で勝負を懸ける」と期待を一身に背負っていた。のちに区間新記録を樹立し、区間賞を獲得した東洋大の宮下隼人(2年、富士河口湖)と並ぶようにスタート。ここで畝に焦りが生まれた。「ペースが速いんじゃないか」。ただ、レース展開的についていくしかない。区間5番以内を目指す畝にとって、ついていくことに迷いはなかった。
最初の1km通過は2分48秒。不安は的中した。ハイペースで走る宮下との距離は、徐々に離れていった。「いきなり自信を喪失してしまいました。序盤から自分が想定していたペースよりも速く入っていて、駅伝なのでしょうがないんですけど、山に入ってから止まってしまいました」と畝。小涌園手前までで順位を2つ上げるも、その後は見えない前のランナーを追いかける苦しい走りが続いた。
沿道には多くの友人が応援に駆けつけていた。それでも、畝には声援に応える余裕はなかったという。「全然体が動かなくて、体感的には区間15番くらいの走りかなと。ほんとにきつくて早く終われと思っていました」
そう不安に駆られながら畝は走っていた。その一方で、後ろで運営管理車に乗る監督からは力強い檄をもらった。「明日のためにしっかり出し切るぞ。今まで苦しんできた練習の成果をぶつけるんだ」。監督からの激を励みに、苦しみながらも13位で往路のフィニッシュテープを切った。ただ区間順位は9位と、池田同様に納得のいく結果を残すことはできなかった。
1年次に5区を区間10位で走るも、その後は相次ぐ故障に悩まされた。2年次には、けがで全くレースに出場できず、箱根も走れなかった。陸上が嫌いになる時期もあった畝だが、「いつか走れる時がくる」と腐らずに地道な体幹トレーニングに取り組んだ。
大舞台での公式戦復帰は今年の全日本大学駅伝予選会。18秒差でチームは本戦出場を逃す悔しさの残る大会となったが、畝は走れる喜びを感じていた。「まだ練習を継続できていない状態は続いているんですけど、こうして試合に出られてうれしいです」。全日本予選後、畝は走れる喜びをかみしめながら、そう口にしていた。
着実にけがから復活していった畝。箱根予選会ではチーム2番目でフィニッシュ。上尾ハーフでもチームトップの1時間2分台と、自己ベストを更新した。箱根では同じ5区山登りを走った双子の兄、歩夢(中央学大)との双子対決も話題となった。歩夢には3秒差で初めて公式戦で負けた。兄に負けたことに関しては、「お互い満足のいくレースじゃなかったと思います。あっちも力をつけてきているし負けられないというか。微妙な結果になって悔しいです」。この負けは、きっと畝をさらに成長させる発奮材料となるに違いない。
3年生世代に引き継がれたスピリッツ
レース後、池田と畝の2人に来年への意気込みを聞いた。「エースって呼ばれる人間を2、3人育成して底上げしないとシードには届きません。今何が足りないかをしっかり分析して、自分がエースになれるように頑張ります」と池田が言えば、畝は「今年は7割方の復活。来年は完全復活して、来年(5区で)リベンジするか分からないんですけど、まずは僕たち3年生世代がチームを引っ張って、エースになりたいと思います」とまっすぐ目を見て答えてくれた。
チームを引っ張るエースとなるための覚悟を持つのは2人だけではない。今回調子を崩し、本来の走りができなかった7区の森凪也(2年、福岡大大濠)や、3区で流れを変えた三浦ら2年生2人を中心とした下級生たちも、闘志を胸に秘めている。
4年生の出走は二井康介(4年、藤沢翔陵)のみとなった今大会。中大には11人と多くの箱根経験者が残る。池田、畝、川崎に加え、8区を2年連続で走った矢野郁人(3年、須磨学園)、復路のエース区間である9区を走った大森太楽(3年、鳥取城北)、昨年3区と5区をそれぞれ走るも、けがでエントリーから今年は外れてしまった三須健乃介(3年、韮山)と岩原智昭(3年、仙台育英)など、3年生世代を中心として、新制中大陸上部はどのようなチームとなっていくだろうか。
先輩たちの果たせなかったシード権奪還、そしてさらなる上位進出へ。4年生たちの最後まで諦めない、戦い続けるスピリッツは後輩たちへとしっかりと引き継がれたはずだ。今回の負けは必ず無駄にはしない。中大にとって、真価の問われる1年はすでに始まっている。