中央大時代にMGC出場権を得た堀尾謙介、東京オリンピックをあきらめはしない
2020年東京オリンピックのマラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」が9月15日、東京・明治神宮外苑を発着点とするコースで争われた。
トレードマークの黒縁メガネは、9月の強い日差しが差し込んだMGCの大舞台でも変わらなかった。スポーツ用のフレームにレンズの色は、いつものクリア。男子の出場選手中最年少、23歳の堀尾謙介(トヨタ自動車)はとくに緊張することもなくスタートラインに立ち、持てる力を出し尽くして、30人中15位でフィニッシュした。「一瞬で終わった感じです。いまは悔しさしかありません。少しでも先頭争いがしたかったです」
鈴木健吾の飛び出しに対応できず15位
中央大を卒業したばかりで、MGCが2回目のフルマラソン。出場30人の中で最も経験値は低かったが、本気で東京オリンピックの切符を狙っていた。
「中間地点前まで第2集団の前の方で走ってたのも、そのためですから」
誰が飛び出しても反応できるように準備していたのだ。15km地点では5番手につけていたが、中間地点付近での鈴木健吾(富士通)の飛び出しに反応できず、徐々にペースダウンする。レース後は唇をかみ、力不足を痛感していた。
「もっといけると思ったんですけど……。スタミナがなくて、バテました。マラソン経験のなさが出たと思います」
8カ月前は中大の赤いタスキをかけ、箱根駅伝の2区で力走していた大学4年生だった。しかし、MGCが終わって本気で悔しがる表情にはもう、日本のトップを争う実業団ランナーのプライドがにじんでいた。
箱根から2カ月後、初めて42.195kmに挑んだ東京マラソンで日本勢トップとなり、大学生でただ一人MGCの出場権を獲得。冷たい雨が降り注ぐ悪天候のレースで結果を残し、一躍脚光を浴びた。卒業後はトヨタ自動車に進み、東京オリンピックの出場権をかけたレースに備え、マラソンの準備をしてきた。40キロ走を苦もなくこなせた。「距離に強くなった」と手応えも得ていたが、夏のマラソンは想定以上に体にダメージを与えた。
「きょうの暑さはこたえました。レースの途中で水を飲むのもキツくなるぐらいでした。暑さ対策はもっと入念にするべきだったと思います」
汗が黒縁メガネをつたってはしたたり落ちた。思うようなレース運びができずに苦戦。中間地点付近では周囲のペースの上げ下げに翻弄(ほんろう)され、必要以上にスタミナを消耗した。これこそがマラソンの駆け引きである。
「冷静に自分のペースを保っていればなと、終わったあとに思いました」
スタート前のプランでは30km付近までは体力を温存し、後半に勝負をかけるつもりだった。2位でオリンピックの出場権を得たチームメイトの服部勇馬(トヨタ自動車)の後ろについていきたかったが、現実は厳しかった。ギアが一段上がった第2集団にどんどん引き離された。必死に食らいつこうとしても、背中は遠いまま。
「粘ろうと思っても、粘れなかった。足がもう残ってませんでした。山本憲二さん(マツダ)と一緒にいけたので、まだよかったと思います。一人だったら、もっとタイムが落ちてたかもしれません」
縁起のいい東京マラソンでラスト1枠を
何ひとつ満足できなかった。順位、タイム、レース内容。課題を挙げたらキリがない。厳しく自分と向き合うのは、まだ東京オリンピックの夢をあきらめていないからだ。秋以降は11月の中部・北陸実業団駅伝、八王子ロングディスタンスの10000mのレースに出場予定。来年1月のニューイヤー駅伝の出場にも意欲を燃やしている。そして、照準を合わせるのは2020年の東京マラソン。前回番狂わせを起こした縁起のいいレースにかける思いは強い。
「東京で最後の1枠を狙いたい」
黒縁メガネの奥からのぞく両目に力がこもっていた。MGCの経験を糧にして、マラソンランナーとして飛躍していくことを誓う。
「次のオリンピックもこのような選考レースがきっとあると思います。それを考えると、いい経験を積めました」
MGC参加選手中最長身、183cmの上背があるからだけではない。少し前まで"箱根ランナー"だった男の存在感は、大舞台を経験するたびに大きくなっている。