陸上・駅伝

最強のメガネランナー中大・堀尾謙介、初マラソンで輝く

今年3月、東京マラソンの日本勢トップでゴールした堀尾(撮影・藤井みさ)

13回目を迎えた東京マラソンが3月3日、都庁前をスタートし、東京駅前をゴールとする42.195kmで争われた。レースを通じて冷たい雨の降る中、男子は初マラソンの堀尾謙介(中大4年、須磨学園)が日本選手トップの2時間10分21秒で5位に入った。大学生として初めて、2020年東京オリンピックの代表選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC、9月15日)の出場権を獲得した。

日本選手2位(6位)の今井正人(トヨタ自動車九州)、同3位(7位)の藤川拓也(中国電力)も2時間11分を切り、MGCの出場権を得た。また後半追い上げて8位に入った神野大地(セルソース)はワイルドカード枠でMGC出場権を手にした。優勝はビルハヌ・レゲセ(エチオピア)で2時間4分48秒。昨年10月に2時間5分50秒の日本新記録をマークした大迫傑(27、ナイキ)は29kmすぎで途中棄権した。

一躍注目のランナーに

堀尾はゴール後、中大の藤原正和監督の言葉で日本人トップだったことを知った。レース後の記者会見では大学生で初めてMGC出場権を得たことについて「これが本当に現実なのかなって、現実味がなかったです」と喜びをかみしめた。これまで大舞台で目立ったことのなかった堀尾が、4years.の最後に、一気に日本中の注目を集める大仕事をやってのけた。

初めの5kmはキロ3分を切るペースで走った(右から2人目が堀尾、撮影・松永早弥香)

初マラソンで、しかもそうそうたるメンバーがそろっていたこともあり、堀尾は順位よりもサブテン(2時間10分以内)を目標に掲げ、MGC出場権は「ワンチャンあれば」という程度に考えていた。「いけるところまでいって、ダメだったらダメでいいや」。気持ちを楽にして、初の42.195kmへ駆け出した。

堀尾は1km3分を刻むペースメーカーの率いる第2集団につけた。寒すぎる東京の街を、身長183cmの長身でスイスイと駆けていく。37km地点、給水がとれて、心身ともに楽になれた。堀尾は集団を抜け出し、追い風の助けを受けて勝負に出た。ひとりになってからはペースがうまく刻めず、振り返っては後続の姿を確認。ゴール付近では同級生の中山顕(伊奈学園総合)ら中大の仲間も応援に来てくれていたが、苦しさのあまり気づけなかった。早くゴールしたいという一心で飛び込んだ。足元が滑り、思いっきり倒れた。

残り5km地点、堀尾は力を振り絞って逃げた(撮影・西川暖乃)

初マラソンの洗礼を浴びていた。

堀尾は25km地点の給水をとり損ねた。波のように何度も押し寄せる苦しさと闘っていた堀尾は思った。「ここで水分をとらないとペースが落ちてしまう」と。そして隣を走っていた藤川拓也(中国電力)に言った。「もらえますか?」。藤川は昨年のマラソンで給水ミスをしたとき、チームの仲間から分けてもらった経験があった。「僕ももらったことがあったし、断る理由もありませんので」と藤川。堀尾は「藤川さんが優しい方でよかったです」と、メガネの奥の両目を細めて笑った。

レース中に何度も振り返ったのは、メガネが雨で濡れて見えづらかったからだという。中3のとき、いちどだけコンタクトにしたことがあった。すると、友だちに「誰? 」と言われてしまったのだという。この活躍でもう、「メガネの堀尾」のイメージは日本中に浸透した。

箱根の先にマラソンを見て練習

兵庫県出身の堀尾は小学校のとき、校内マラソン大会でいつも10位以内だった。「もしかしたら長距離が向いてるんかな」と、中学では陸上部に入り、長距離の道へ。身長と同じくタイムも毎年のように伸び、全国大会も経験した。強豪の須磨学園高校でもインターハイと都大路に出て、箱根駅伝を目指して中大へ進んだ。

「大学の4年間は苦しいことの方が多かったです」と堀尾。1年生だった2016年の箱根駅伝で中大は15位。堀尾はエントリーメンバーに選ばれたものの、当日は控え。2年生のときの箱根駅伝予選会で中大は44秒及ばす11位になり、箱根駅伝の連続出場回数が87で止まった。堀尾自身は関東学生連合のメンバーとして2区を走ったが、区間21位に沈んだ。3年生のときは予選会を突破し、箱根の2区で区間8位。1カ月半後の東京マラソンにもエントリーしていたが、箱根駅伝でけがをしたため出られなかった。

大学ラストイヤーは箱根を目指しつつ、その先も意識して練習した。「自分の持ち味は長距離を走りきること。それを生かせるのはマラソンだな」という思いがあったし、藤原監督にはずっと「おまえにはマラソンのセンスがある」と言われていた。ほかの選手が30km走をやるなら、堀尾は35kmに。少しずつ仲間より距離を踏んで、マラソンへの土台をつくっていった。

学生ラストイヤーで5000mの大幅自己記録と箱根駅伝の快走に「いままでやってきたことは間違ってなかった」と堀尾(撮影・藤井みさ)

昨年11月には5000mで自己ベストを大幅に更新。昨年の学生最速となる13分33秒51を出し、箱根駅伝では2区でトップ争いにも加わった。区間5位の走りで、3位で襷(たすき)をつないだ。箱根駅伝が終わると兵庫代表として、1月20日の都道府県男子駅伝に出場。1月後半からは10日間、40km走を始めとしたキツい練習でもまれた。2月に入ると最終調整を重ね、本番に臨んだ。悪条件下でのレースも、自分にはプラスととらえていた。「中大でいつも冷たい向かい風の吹く河川敷を走ってますから、人よりも(寒さへの)耐性はできてたと思います」。だから積極的なレースを展開できた。

次のマラソンは9月のMGCになる見通しだが、「僕自身まだサブテンはできてませんし、東京マラソンで勝てたことは忘れて、チャレンジャーとして挑みたいです」と話した。

藤原監督の記録には届かず

レース中、藤原監督の初マラソン日本学生最高記録(2時間8分12秒)が頭をよぎったという。ただ最後にペースが上がらず、「改めて監督の偉大さを知りました」と堀尾。この記録への挑戦はこれが最初で最後だが、これからも藤原監督のこのタイムは堀尾を奮い立たせてくれることだろう。

4月からはトヨタ自動車の一員になる。服部勇馬ら、MGCの出場権を持つ先輩が3人いる。「マラソンの練習はまだ100%は積めてません。トヨタには強い先輩方がいっぱいいるので、食らいついていきたいです」と堀尾。彼のマラソン人生は、まだこれからだ。

9月のMGCで改めてサブテンを狙う(撮影・藤井みさ)

また中大の同期である中山は、昨年11月の上尾シティマラソンで日本選手トップで2位になり、今年の箱根駅伝では1区2位で堀尾に襷をつないだ。4月からはHondaに入り、マラソン日本代表を目指す。「中山も長い距離を走る適性をもってると思うので、同じレースを走るときは一緒に上位を争っていけたらいいですね」と堀尾。苦しみ、悲しみを乗り越えてきた中大の仲間と、これからも切磋琢磨していく。

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