陸上・駅伝

プロランナー神野大地がつかんだMGCの意味

神野は東京マラソンで念願のMGC出場権を手にした

東京マラソン2019 マラソン男子

3月3日@東京都庁~東京駅前・行幸通り
8位 神野大地(セルソース) 2時間11分5秒

神野大地は青山学院大学時代に「3代目山の神」と呼ばれ、箱根駅伝の主役にもなった。ただ卒業してマラソンに挑戦してからは、思うように結果を出せない時期が続いたが、最後のチャンスと考えて挑んだ東京マラソンでワイルドカードの条件を満たし、ついに2020年東京オリンピックの代表選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC、9月15日)への出場権をつかんだ。

「強さ」を証明できたレース

レース前からの雨。スタート時の気温は5.7度。冷たい雨と風が容赦なく体温を奪っていく。大本命の大迫傑(すぐる、ナイキ)が29kmすぎで途中棄権。国内招待選手の木滑良(MHPS)や中村匠吾(富士通)、佐藤悠基(日清食品グループ)らも遅れる中、神野はジリジリとはい上がっていった。

MGC出場権を手にした今井雅人(トヨタ自動車九州、左端)、堀尾謙介(中央大学4年、左から2人目)、藤川拓也(中国電力、右から2人目)、神野(右端)。瀬古利彦日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーを囲んで

1km3分ペースの集団にいた神野だが、15kmすぎで遅れた。「少しキツく感じたんですけど、ラップを見たら落ちてなかったので、いけると思いました。いままでのマラソンでは28kmすぎぐらいから落ちてて、『きょうもダメなのかな』という気持ちも一瞬よぎったんですが、最後まで絶対あきらめないという気持ちで走ろうと思ってたので、走り切れました」

その言葉通り、20kmからの5kmごとのラップを15分57秒、15分46秒、15分48秒、15分57秒と大崩れすることなく刻み、1人、また1人と抜いていった。「足も最後まで動いてましたので、とにかく1人抜いたら次、と思って」。35-40kmを15分台で走ったのは優勝したビルハヌ・レゲセ(エチオピア)と神野だけ。最後の2.195kmも7分6秒と、レゲセの6分47秒に次ぐラップだった。20kmからはほぼ単独走だっただけに、強さを証明したレースとなった。

「42.195kmを崩れることなく走れたのは合格点だと思うし、いまは結果に満足してますけど、15kmから離されてしまうのは完全な力不足です。努力の積み重ねが結果だと思うし、積み上げてきたものはほかのランナーよりもあると思ってるので、プロランナーとしてまだまだ挑戦していきたいと思います」と、先を見て語った。

ケニアの過酷な環境下でのトレーニングが、間違いなく彼を強くした

次は9月のMGCに照準を合わせる。東京マラソン前はケニアの標高2300mを超す高地でトレーニングしてきたが、4月には標高2700mのエチオピアに合宿に行く計画もあるようだ。

ずっと悩まされた悪夢から開放されて…

神野のフルマラソン挑戦はこれが5回目だが、これまでは激しい差し込み(腹痛)に悩まされてきた。それが今回はまったく起きなかったという。何が効いたのかと思いきや、「今回は何の対策もせずに臨みました」と神野。「いままでは万全の対策をしてたんですが、対策して差し込みが起きるとガッカリしてしまう。今回は考え方を変えたんです。『起きてから考えればいいや。腹痛とも勝負するぞ』という気持ちでした」

レース後の記者会見では、しゃべりだしたもののマイクの電源が入っていない……という笑いが起こる一幕も

何がよかったのかは分からない。ただ、差しこみが起きなかったことは事実だ。「今回たまたま起きなかっただけかもしれないですけど、起きなかったというのは、自分のマラソン人生にとって大きいです」。神野は少しホッとした表情で語ってくれた。

大学4年間があったから

神野にとって青山学院大学での4年間は、大きく成長できた時間だったという。原晋監督にかけてもらった言葉はいまでも思い返すことがあるし、とくに走る前の準備と終わってからのケアはずっと継続している。いまの自分をつくってくれたのは、間違いなく青学での4years.だと感じている。

大学同期の橋本崚(GMOアスリーツ)が2月の別府大分毎日マラソンでMGC出場権を獲得したのも刺激になった。ずっと自分の方が前を走ってきたが、今回は先を越された。「負けてはダメだ」と心に火がついた。東京マラソンを走り終えた神野は「橋本のおかげで青学の波に乗れた」と表現した。今回ともにMGC出場権をとった藤川拓也(中国電力)は、青学の1学年先輩。まさに「いい波」がきていた。

「大学4年間があったからいまの自分がある」と神野

コニカミノルタを退職し、18年5月からプロランナーとなった神野を二人三脚で支えるマネージャー兼コーチが、高木聖也氏だ。青学で神野の1学年上の主務だった。現在は同じ家に住み、日々の練習やスケジュールの管理、練習のサポートなどあらゆる面を任せている。神野は「彼の支えがなかったらここまでは来られなかった」と感謝を口にする。二人でやってきて、やっと二人で喜びを感じられた。前例のない挑戦へ、青学で出会った二人はまだまだ挑み続ける。

MGC、そして20年東京オリンピックへ。神野は「プロランナーだからこそできる挑戦をしていきたい」と語った。大学を卒業してからも、たくさんの人が注目してくれているのは自覚していた。それだけに、なかなか結果を出せないことへのプレッシャーは大きかったという。だが彼には信念があった。「うまくいかないときも、自分が自分のことを信じなくなったら終わりだと思ってやってきました。自分はやれるんだという気持ちはぶらさずに、これからも自分自身を信じてやっていければと思います」

注目を浴びても結果を出せるとを証明できた。「これからもっと結果に執着していける」と力強く言い切った。青学での4years.から世界へ、輝く道が見え始めてきた。

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