立教アメフト主将・田邊一将 けがに泣いた男の地道な取り組みで、チームは変わった
立教大学ラッシャーズは昨年の秋、アメフトの関東大学リーグ1部TOP8で3勝4敗の5位だった。チームを率いた主将の田邊一将(4年、立教新座)は、ほとんど試合に出ていない。3年生からの度重なるけがに泣かされた。ただひたすらに声を張り、サイドラインからチームを勝たせようとした。
2年生までLB、3年でTE、4年はOL
大学4年間の後半は、フットボール選手としては闇の2年間だった。田邊は立教新座高(埼玉)で競技を始め、大学2年生まではディフェンスのLB(ラインバッカー)だった。3年生になった春に大けがを負い、1年間を棒に振った。激しいヒットを受けることもあるLBは、もうできなくなった。4年生になる前にオフェンスのTE(タイトエンド)になった。4年生の春にようやくフィールドに戻ったが、まもなく明治との試合でけが。今度はOL(オフェンスライン)に転向した。OLの背番号は50番から79番の間と決まっているため、これまでの47番から64番になった。
田邊は高校時代も主将だった。大学3年生のシーズンは試合に出られなかったが、リーダーとしての信頼は厚く、チーム内投票で主将候補の一人になった。「初めは自分のどんな部分が買われたのか分からなくて、それを気にしてました。でも、いまの自分があるのは周りが支えてくれたから。そのことは高校のときから感じてました。自分の名前を挙げてくれたチームメイトのためにも、やろうと決めました」。最終的には自ら立候補して主将に就いた。
全員で話し合えるチームを目指した
どんなチームをつくりたいか考えた。3年生のシーズンは1部TOP8で3勝したが、早稲田、明治、法政といった上位チームにはことごとく負けた。この3校に勝てるチームに生まれ変わるためには、ポジションや学年の垣根を越えたコミュニケーションが必要だと思った。田邊は言う。「アメフトはどうしても、オフェンス、ディフェンス、キックとチームが別れてしまう。そんなの関係なく、全員がいろいろ指摘しあえるような集団を作りたかったんです。ちょうど自分はディフェンス出身で、オフェンスに転向しました。自分なら、できるんじゃないかと思いました」
まず、毎週土曜日に学年ミーティングを開くことにした。加えて、春に取り組んだトレーニング合宿では、学年に関わらず10グループに分かれ、「当たり前の行動」について議論した。「私生活だとか、アメフトに関係ない部分から全員で討論して、チームをよくする手がかりがないかと徹底的に話し合いました」
練習でも、常に試合を意識した「ゲームライク」を打ち出した。試合と同じように練習用ジャージも「イン」する。フットボールパンツからひざをむき出しにしない。基本の「き」からやった。小さなことでも徹底することで、少しずつ「チーム」になってきた。
新米OLとしては苦しんだ
一方で新米OLとしての田邊は苦しんでいた。OLはアメフトの中で最も熟練が必要とされるポジションだ。ランプレーのときのブロック、パスのときのプロテクション、隣のOLとのコンビネーションも非常に大事になってくる。長くディフェンスの選手だった田邊には難しかった。自分のプレーに入り込んでしまうと、主将として全体を見るのがおろそかになる。その逆もあって、苦悩の日々を過ごした。
迎えた学生最後の秋のシーズン、田邊は第2節の中央戦からフィールドに戻った。しかし、またけがで戦線離脱を余儀なくされた。プレーでチームを引っ張れないもどかしさに苦しめられた。「毎日、本当に悩みましたが、次第に『シンプルにやれることをやろう』と考えるようになりました」。自分で全部やろうとせず、仲間の助けを借りることに決めたら、気持ちが少しだけ楽になった。
リーグ初戦の慶應戦は落としたが、中央、日体、東大と勝った。しかし、明治、早稲田相手には序盤にリードを奪っても、ひっくり返されて負けた。「どこかで集中力が切れてしまって、崩れるのがラッシャーズの弱点で、それがなかなか克服できませんでした」と田邊。しかし、手応えがまったくなかったわけではない。ラッシャーズは確かに「チーム」になってきていた。「去年まではその瞬間にフィールドにいる11人だけが戦ってるという感じでした。でも今シーズンはサイドライン、とくにスタッフやマネージャーたちも積極的に声を出してくれるようになった。一つのプレーに全員が関わろうとしてくれてる部分が、明らかに変わってきてました」。3勝3敗でリーグ最終の法政戦を迎えた。
サイドラインに仁王立ち、叫び続けた最終戦
試合開始早々から相手の猛攻にあい、第1クオーター(Q)に二つのタッチダウン(TD)を奪われた。これまでの立教ならボロ負けのパターンだ。しかし、この日は違った。全員の集中力が切れなかった。田邊はオフェンスのときもディフェンスのときもキックのときも、サイドラインの前線に立って声を出し続けた。立教がディフェンスのときにベンチ内であるオフェンスの打ち合わせにも参加しなかった。「自分は試合に出ることはないし、技術的な部分で言えることも限られてます。そこは仲間に任せて、とにかく自分は気持ちの部分を切らさないように声を出し、意識を喚起することを徹底しました。単純なことですけど、いまの自分にできる最大限の役割だったと思います」。基本中の基本をひたすら呼びかけた。「些細なことかもしれませんが、結局こういうところがペース、いいテンポにつながると信じてやりました」。田邊の気持ちに応えるように、立教に勝負強いプレーが続いた。
印象的だったのが、第4Qの5分から始まったオフェンスシリーズだ。自陣25yd地点から地道にドライブを重ねた。第4ダウンギャンブルを二つ含めて16プレーをつなぎ、約5分をかけて75ydを攻めきった。最後はトリックプレーからエースRBの荒竹悠大(4年、立教新座)がTD。それまでの立教オフェンスは敵陣に入ってから攻め切れずにいた。最終的に3点及ばなかった。それでも最後の75ydドライブは、田邊が苦しみながら引っ張った1年の答えだった気がした。
試合後に観客席へあいさつするとき、田邊の涙が止まらなかった。
「ただただ、申し訳なかったです。下の代の選手もそろってて、個性的で、技術的にも高いレベルだったのに、最後に勝ちきれなかった。ずっとコミュニケーションを意識してきましたが、それでもシーズン中は手一杯になってしまう部分もあって、詰めの甘さが出てしまいました。勝ち越せれば来年のチームに序盤戦で少し楽をさせてあげられると思ってたんですけど、それすらできなかったことが不甲斐ないです。同期にもコーチにもよくしてもらったのに、申し訳ないという気持ちが大きかったです」
最後の最後に見えた一筋の光
そして、こう続けた。「アメフトにはいろんな役割があって、一つのプレーを成功させるために、たくさんの人が関わってると思うんです。フィールド上の全員が役割をまっとうしないとプレーは進まないし、止められない。あの(75ydを攻めきった)シリーズ中は、フィールドの11人もサイドラインにいる部員も、誰ひとり気持ちが切れてなかった。最後の最後に、チームが変わったなと感じました。大したものは残せなかったけど、後輩たちがこれからどう取り組んでいくべきか、少しは見えた試合なんじゃないかと思います」
本当は、プレーでも言動でも引っ張れる主将になりたかった。それをやれない自分が悔しく、不甲斐なかった。「途中で心が折れそうになったこともあります。でも、そのたびに仲間が支えてくれて、奮い立たせてくれた。こんな自分が何とかやってこられたことに対する感謝しかないですね」。改めて仲間への感謝の言葉が、口をついて出た。
田邊は高校、大学と7年間打ち込んだアメフトを、こう表現した。
「本当の意味での、感謝っていう気持ちを感じられるスポーツだと思います」
涙のなかに、笑顔が見えた。