大学野球

「松井5敬遠」の河野和洋さんが帝京平成大の監督に「やるからには5年で日本一」

河野監督のバッティングは、いまも学生を上回る飛距離を誇る(撮影・栗山司)

昨年11月、帝京平成大学硬式野球部のコーチだった河野和洋(こうの・かずひろ)さん(45)が監督に就任した。この名前に見覚えのある方も多いだろう。高校野球の伝説の一つである「松井の5敬遠」で、投げた側の明徳義塾高校(高知)のピッチャーだ。2月1日から5日間に渡り、静岡市内で部として初めてのキャンプ。チームの一体感を高めた。 

昨年11月にコーチから昇格

キャンプの一日は朝のゴミ拾いから始まる。宿泊先から草薙球場までの約2kmの道。約90人の選手たちが、歩きながらゴミを見つけては丁寧に拾っていく。「ゴミを拾って、運を拾う。いいことをしておけば、神様からご褒美をもらえるかもしれない。それに、せっかく静岡に来たんだから、来たときよりも美しくしようって。そういう考えで始めたんです」。河野監督が熱く語る。 

春になれば河野さんの監督として最初のシーズンが始まる(撮影・栗山司)

あの夏から28年が経とうとしている。明徳義塾の背番号8をつけた外野手兼投手の河野さんが甲子園のマウンドに立った。1992年の全国高校野球選手権。星稜(石川)の主砲・松井秀喜を5打席連続で歩かせた「松井の5敬遠」は、社会問題化した。 

当時はバッシングも受けた河野さんだが、高校を出てからもずっと、野球とともに生きてきた。そして、確かな実績と経験を積み重ねてきた。 

1992年夏の甲子園2回戦で、明徳義塾高の投手河野(右奥)は星稜高の4番松井を5打席連続で敬遠(撮影・朝日新聞社)
星稜戦で先発のマウンドに立った河野(撮影・朝日新聞社)
三塁に進んだ明徳義塾の河野(左)と星稜のサード松井(撮影・朝日新聞社)

専修大では強打者として活躍

専修大に進み、東都の2部で戦った3年間で16本塁打をマークした。3年生の秋の入れ替え戦で1部昇格を果たすと、主将を務めた4年生のときは春に1本、秋には4本のホームランを神宮球場で放った。大学通算21本塁打は立派だ。 

当時の専修大の監督だった望月教治さん(84)は、こう言って懐かしむ。「敬遠で有名だったけど、入ってきたときに『ちょっとピッチャーじゃ厳しいかな』と思って、野手に専念させたんです。人間的にしっかりしてる子で、よく練習してね。大きなスイングでバッティングがよかった思い出がありますよ」 

望月さんは長年に渡って専修大の監督を務め、多くの選手をプロに送り出してきた。「その中でも飛ばす能力なら河野はトップクラスだった」と回想する。 

専修大時代の河野さん(撮影・朝日新聞社)

本人は、専大での4年間で学んだこととして、二つを挙げる。一つ目はコミュニケーション能力、二つ目は考える力だ。

「明徳では高知と大阪ばかりだったから、大学で全国の人たちと知り合って、コミュニケーションをとる大事さを知りましたね。練習も高校のときは監督から『やれ』って言われたことをただガムシャラにやってただけ。でも大学になると、自分で考えなくてはならなくなる。そこで知恵がつきました」 

「どこまでもついていきたくなる監督」

その後、社会人野球のヤマハに2年半いたあと、アメリカの独立リーグ3球団でプレーしながらプロを目指した。その後、日本のクラブチーム「千葉熱血MAKING」で選手兼任監督として白球を追った。 

45歳になったいまも、バッティングなら学生にも負けてはいない。主務の大井駿之介(3年、啓新)によると、キャンプ初日のフリーバッティングでは、自らバットを持ち、なんと草薙球場のライトスタンド中段まで飛ばしたという。「あの人は行動も言動もすべてがすごくて、どこまでもついていきたくなる監督です」。大井の目が輝いた。 

初のキャンプはチーム改革の第一歩

帝京平成大は千葉県大学野球連盟の所属。昨年の秋は2部の3位だった。目標はまず1部に昇格すること。そのために「当たり前のことを当たり前にできるチームになろう」と、基礎から見直している。 

主将の山田柊斗(3年、市立船橋)は自信を持って話す。「監督が代わって、全員の目標に対する気持ちが強くなりました。チームの雰囲気もよくなりました」 

主将を務める山田柊斗(手前)。50m5秒9の俊足とシュアなバッティングでチームを引っ張る(撮影・栗山司)

現在、1年生から3年生まで約100人の部員のほとんどが健康医療スポーツ学部で学ぶ。柔道整復師や理学療法士などの国家資格を目指す選手も多く、講義や実習の関係で、平日は全員で練習するのが難しい。 

そんな状況下で、河野監督はチーム改革を推し進める。その第一歩が今回の静岡キャンプだった。資金を貯めるために、選手たちはオフ期間にアルバイトをした。そこまでして実現したかった初のキャンプ。手探り状態にあっても、河野監督が舵をとると「何とかなる」という雰囲気が漂う。 

「ウチは合宿所がなくて、通いの選手がいたり、アパートで暮らす選手がいたりで、生活環境がバラバラです。しかも、平日は2時間程度の練習です。僕は高校、大学ってずっと寮生活だったから、四六時中みんなと一緒で、やっぱり一体感があったんですよ。今回は5日間で短いですけど、こういう経験は絶対に必要だと思いました」と河野監督。

朝から晩まで動き回って指導

キャンプはプロの公式戦でも使う草薙球場、サブグラウンド、室内練習場をフル活用。河野監督はその3カ所を休むことなく、朝から晩まで動き回った。気になっている選手がいれば、身振り手振りでアドバイスを授けた。 

ときにはブルペンにも目を光らせる。球の回数数や腕の角度を測定する機材を導入している。「これでピッチャーは丸裸や」と言っては選手たちを和ませていた。

チームとして初のキャンプを終えて記念撮影(撮影・栗山司)

「いまは昔と違って、どれだけ選手をその気にさせるかが勝負です。能力がない子たちじゃないので、取り組み方次第でチームは変わると思ってます。やるからには5年で日本一を狙いますよ」 

松井の5敬遠について、「あの一件で僕はいろんな人と出会えて、得をしてます」と語る新監督。熱量たっぷりの指導で、大学野球のてっぺんを狙う。

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