アメフト

独学で歩んだアメフトの道は、日本代表QBに続いていた 神戸学院大OB石井僚介

子どものころは引っ込み思案だったが、中学時代を過ごしたアメリカで変わった(すべて撮影・北川直樹)

アメフトの日本代表とTHE SPRING LEAGUE選抜との国際試合が3月1日、アメリカのテキサス州フリスコ市で開催される。5年ぶりに日本代表をつくるためのトライアウトが2月上旬にあり、55人の代表候補が選ばれ、練習を経て45人の代表メンバーが決まった。大学時代に関西学生リーグ2部のチームで奮闘し、花形ポジションで日本代表まで上り詰めた男がいる。 

70ydを投げる強肩、中学時代はアメリカ

野球時代は外野手。肩の強さには絶対の自信がある

神戸学院大OBの石井僚介(26)は、社会人Xリーグ1AREALIXILディアーズに所属するQB(クオーターバック)だ。今回は社会人、学生合わせて11人のQBがトライアウトを受け、3人が代表候補に残った。練習を経て、1月のライスボウルで富士通フロンティアーズの日本一に貢献した高木翼(27、慶應義塾大)と石井が日本代表となった。身長181cm、体重88kgの石井は動きながらのパスが得意で、70ydを投げる強肩の持ち主だ。「日本代表に選ばれて非常にうれしかったんですけど、代表での練習を重ねて、そういうメンタルではダメだってのを痛感してます。このメンバーでアメリカに勝ちにいく。やったらなあかんな、って思ってます」

野球少年だった。兵庫県小野市に生まれ、1歳で千葉県浦安市へ。小学生になるとき小野市に戻り、3人きょうだいの長男として育った。父の仕事の関係で、中学生になるときアメリカ南部のアーカンソー州へ。日本人学校はなく、現地の学校に入った。日本人は石井だけ。日本では人に何か言われるのを待つ子どもだったが、ここでいい方向に変わった。「自分から仲間に入っていくしかなくて、コミュニケーション能力とかメンタルの強さが身についたと思います」 

高校時代まではプロ野球選手を目指していた

アメリカでも野球を続けた。チームの強さによってプロのようにメジャー、3A2A1Aという格付けがある。石井のチームは入った当時は2Aだったが、2年目は3Aで戦った。ピッチャーとショートでプレーしていた石井はメジャーのチームから誘われた。メジャーのレベルになるとチーム数が限られていて、チームがない州もある。だから試合のたびに飛行機で移動するという世界。もちろんあこがれもあったが、甲子園に出たいという思いが勝った。日本でいう中3の秋に帰国した。 

阪神の近本と一緒に外野を守った高校時代

小野市の中学校に入ると、すぐに学校の軟式野球部が出場する大会があった。先生に出場を打診されたが、アメリカから帰ってきたばかりの自分が、それまで練習してきた部員に代わって出るのは違うと思った。母も「やめとき」と言ったが、半ば強引にメンバーに入れられた。最初の試合でマウンドに立った石井はノーヒットノーランを達成。「地区の中学との試合やったんで、そんなにレベルは高くなくて、まっすぐさえ速ければ抑えられる感じでした」。その試合を強豪の兵庫県立社(やしろ)高校野球部の監督が観戦していた。「ウチでやらへんか?」と声をかけられた。強豪の私立校からも誘われたが、「野球だけになるのは嫌だった」と社への進学を決めた。 

部員は100人超。ピッチャーだけで20人いた。1年生の冬の練習から外野手にコンバート。2年生から試合に出た。1学年下に、小柄ながらセンス抜群の後輩が入ってきた。のちに関西学院大、大阪ガスを経てドラフト1位で阪神タイガースに入団。新人だった昨シーズンに盗塁王に輝いた近本光司(25)だ。石井が3年生だった2011年は春に兵庫で準優勝。甲子園をかけた夏の兵庫大会は準々決勝で同じ公立の川西緑台に1-3で負けた。この試合に石井は9番センター、近本は1番ライトで先発している。「近本は高校のときから自分を持ってて、頑固なヤツでした。バッティングのタイミングの取り方が抜群にうまかったです。でも、まさかプロにいくとは思ってなかったですけどね」と石井。最近も近本のふるさとである淡路島で一緒にトレーニングした仲だ。 

プロ野球選手になった後輩の大活躍に刺激を受けている

高校野球が終わった。プロを目指してはいたが、実力が届かない。野球を楽しめなくなっている自分を感じていた。「もう一回、新しいことを始めたときのワクワクした気持ちを味わいたい」と思うようになった。その当時、社の野球部から数年間続けて、先輩が神戸学院大のアメフト部に進んでいた。野球部の監督から「どうや?」と言われた。そう言われて、アメリカで暮らしていたときにタッチフットのような遊びをしたのを思い出した。楽しかった。神戸学院でアメフトを始めることにした。「実は高3の春に関学のアメフトから声がかかってたんです。あのときは甲子園で頭がいっぱいで断ったんですけど、もし行ってたらどうやったんでしょう? QBはできんかったやろな」。石井は笑う。 

1回生の秋のシーズン、神戸学院は2部から3部に落ちた。「最悪の雰囲気でした。練習に取り組む姿勢もサークルみたいな感じで。これじゃまずいなと思いました」。こう思っただけで何もしなかったら、いまの石井はなかったかもしれない。ここがターニングポイントだった。

動きながら投げるのが得意だ

大学では2回生でオフェンスリーダーに

2回生からQBとして試合に出始めると、オフェンスリーダーに名乗り出て、プレーも考えるようになった。それでも2部との入れ替え戦には届かなかった。3回生となり、オフェンスリーダーに加えて、プレーの決定権を持つオフェンスコーディネーター(OC)もやると言い出した。「プレーしながらOCなんかできるはずないやろ」と反対の声もあった。春のシーズンでそれなりの結果が出せなかったら、OCは続けられないと感じていた。だから4回生の先輩に呼びかけて、毎日のように夜中まで一緒にプレーを考えた。たたき台になるプレーは全部、石井が考えていった。まさに現代風の独学だ。アメリカのカレッジの動画を110時間ぐらい見て参考にした。カレッジによってはプレーブックをネット上に公開しているところもあって、それを片っ端からプリントアウトして、神戸学院向けにアレンジした。石井が英語に不自由しなかったのも大きかった。 

練習を重ね、春のオープン戦では50点以上取れるオフェンスに変貌(へんぼう)していた。秋の本番も石井自身がプレーコールして試合を進め、2部への復帰を果たした。 

大雨の中、投げまくった4回生の同志社戦

4回生になり、OL(オフェンスライン)のステップやブロックについても勉強して、より効果的なプレー構成にしていった。いよいよ2部での戦いだ。チームとして、初戦の同志社大戦に照準を合わせた。同志社は1部から2部に降格してきたチーム。神戸学院は3部から2部に上がったチームだ。同志社に勝てれば勢いに乗れる。大雨になった。同志社はほとんどパスを投げなかったが、石井は投げまくった。接戦に持ち込んだ。24-26で試合残り2秒、石井はタッチダウン狙いのロングパスを投げ込んだが、決まらなかった。悔しいスタートとなったが、3年ぶりの2部で32敗と勝ち越せた。大学から「強化クラブB」の指定を受け、土のグラウンドは人工芝になった。スポーツ推薦での採用枠も増えた。石井のがむしゃらな取り組みが仲間を巻き込み、サークルのようだったチームは変わった。 

代表に選ばれただけで満足してたら意味がない。勝ちにいく

2016年の春、石井は大手コンピュータ周辺機器メーカーのエレコムに入社し、Xリーグのエレコム神戸でプレーを続けた。初めて日本のトップレベルでプレーできた。しかし社会人1年目が終わると退社し、ふるさとの小野市に戻った。長男である石井が実家の農業を手伝わなければならない状況になったからだ。近所の会社にも就職し、家の仕事と両立。さらに週末は神戸学院の後輩たちを指導し、試合ではOCを務めた。その生活で2年が経ったとき、親から「もう大丈夫。もう一回アメフトやりたいんやろ? 挑戦しといで」と言われた。2年のブランクの間も声をかけてくれていたLIXILでプレーするため、昨年の春に東京へ出て働き始めた。 

2年のブランクのあと、絶対的エースのいるチームへ

LIXILには不動のエースQB加藤翔平(31、関西学院大)がいた。加藤は口数が少なく、自分から教えてくれるタイプではなかった。だから、石井はどんどんいった。「聞いたら何でも教えてくれました」。加藤からパスを投げるタイミングの大事さを学んだ。石井は肩の強さに自信があるだけに、タイミングが遅れても思いっきり投げ込んで決めてきた。大学の2部レベルでは、それで決まっていた。だが社会人のトップレベルでそうはいかない。

2年間のブランクの間も声をかけ続けてくれたLIXILに入り、2年目になった

加藤と比べると、ずべてのパスを投げるのが半タイミング遅かった。昨秋のシーズンはほとんど出番がなかったが、加藤から多くを学べた。加藤はシーズン後に引退を表明。「僕ももう27歳になるんで、若いチームを引っ張り上げていかないと」。LIXILオフェンスを背負って立つ覚悟は固まっている。 

日本人QBとしてのプライド

2年間のブランクがある自分が代表になれたことに、寂しさも感じる

その前にまず、日本代表での一戦だ。代表になれたのはうれしいが、一抹の寂しさも感じているという。「こんなん言うのもおかしいですけど、2年のブランクがあって去年戻ってきた自分が代表に残れるレベルでええんか、という気持ちもあります。Xリーグの強いチームはみんな外国人QBですけど、やっぱり日本のアメフトを盛り上げるために、日本人のQBがもっと頑張らなダメなんです。今回一緒に選ばれた(高木)翼さんは、そう思って腹をくくってやってる人だと思う。僕もそうならないといけない。代表に選ばれて練習をしていく中で、日本人QBとしてのプライドを再確認できました」 

かつて自分が変わるきっかけをくれたアメリカで、たたき上げのQBが右腕を振り抜く。

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