関大で始めたアメフト、「ボール触りたい」と社会人で新たな挑戦 IBM・小川知輝
アメリカンフットボールの春の東日本社会人王者を決める第41回パールボウルが6月17日、東京ドームであり、オービックがIBMに快勝し、3年連続8度目の優勝を飾った。
晴れ舞台に立った57番のルーキー
IBMの試合を見るたび、私の目が釘付けになる選手がいる。それはQBでもRBでもWRでもない。OL(オフェンスライン)の5人の真ん中に構えるC(センター)の伊藤啄丸(26、桃山学院大)だ。身長185cm、体重151kgの体は、まさに幕内クラスの力士並み。いつも気になって、どんな動きをしているのか見てしまう。この日も見ていた。すると後半から、Cが見慣れない57番の選手に代わった。けが人が出たのだろう、伊藤はCの隣のG(ガード)へ。伊藤の残像があるからか、57番の選手はとても小さく、細く見える。メンバー表で見てみると、181cm、93kg。ポジションの欄にはTE/OLとある。パスが捕れるTE(タイトエンド)でプレーするときは87番のユニフォームを着けるようだ。そして、ルーキーだった。4years.にぴったりだと心が沸き立ち、試合後に話を聞いた。
「いやー、僕なんか何もしてませんよー」。そう言って私の待つところにやってきた小川知輝(23、関西大)は、よくしゃべった。関大時代はずっとCだったが、社会人では新しいことに挑戦したいと思い、ブロックもしつつパスも捕れるTEでも練習しているそうだ。「高校まで野球やってたんで、やっぱりボールに触れるとこがええなあと思いまして」
オカンは言った。「関大! 受けとき!」
強豪の東大阪大柏原高ではキャッチャーだった。1年生の夏にチーム初の甲子園出場をなしとげ、アルプススタンドで応援した。大きな活躍はできず、高校野球を引退。大学に進むつもりはなかった。なのに「関大のアメフト部から声がかかってる」と野球部の監督に言われた。
関西の私立大学といえばまず関関同立だが、大学に行くつもりもなかった小川は、その一角である関大のことも一切知らなかった。何の気なく、母親に「なんか、アメフトで関大から声かかってるらしいわ」と言った。「あんた、アホかいな。受けとき!」。オカンは言った。確かに野球では限界が見えている気もしていた。アメフトの漫画もアニメも目にしたことがなく、何も知らなかった。それでも「やってみるか」と決めた。
そもそも、野球部の監督に関大からのオファーを伝えられたとき、「高校まで野球部で、大学からアメフトで活躍してるヤツもおるから」と言われたとき、心に火がついてはいた。「もう野球では見限られたんやな、って。見返したる、と思ったんですよね」
こうして小川のアメフト人生が幕を開けた。
関大に入ると、OLになった。同期のOLはみな、高校までのアメフト経験者。未経験者は小川だけだった。ここで「よっしゃ、全員抜いたるわ」と思えるのが小川の強さ。筋力トレーニングに打ち込みまくり、ギックリ腰になったりしながらも、また鍛えた。当初はOLがボールを持って走ったりできない、しかも自分に向かってパスを投げると反則になるようなポジションだとは知らなかった。いろんなことが分かってくると、「ちょっとでもボールを触ってたい」と、プレーが始まるときQBにボールを手渡したり、スナップしたりするCを選んだ。2回生から堂々のスターター。入部したときに70kg台だった体重は、最高で118kgにまでなった。4回生のときには副将を務めた。
アメリカで触れたチャレンジャー魂
目標の甲子園ボウルには出場できずに関大での4years.が終わり、留年して5回生となった。小川は世界を放浪した。ロサンゼルスに3カ月滞在したり、フィリピンで1週間過ごしたり。アメリカのカリフォルニア州ベニスにあるベニスビーチのゴールドジム本店にも訪れ、筋トレが大好きな男は大いなる刺激を受けた。アメリカで思ったのは、現地の人たちのチャレンジャー精神の強さだ。「仕事がどうとか関係なく、自分のしたいことに挑戦してる。ああいう生き方にあこがれますよね」
とはいえ最初から仕事をしないわけにもいかない。
昨年6月には大学日本代表の一員として中国に遠征。総合商社に就職して、クラブチームのIBMビッグブルーでアメフトを続けることになった。
新たに挑戦するTEには、小川のほかに4人の選手がいる。パスのときに走るコースがなかなか覚えられず、「いまは自分が底辺」と認識している。「秋までにタイトエンドで試合のメンバーに絡めるようにしますわ。このままでは終われませんから」
思えばアメフトを始めた関大でも、挑戦、挑戦の日々だった。
向こう意気の強い大阪人は、チャレンジャーとして生き抜く。