アメフト 沖縄から、日本一のど真ん中へ
9月24日のLIXIL戦。IBMのDL(ディフェンスライン)樫本翔(琉球大、27歳)は、途中出場で守備の最前線に立った。身長178cm、体重117kg。それでもXリーグのトップチームでは平均より少し小さいぐらい。相手のOL(オフェンスライン)にバチッと止められたり、いなされたり。なかなか思い通りのプレーとはいかなかったが、必死でボールを持つQBやRBを追いかけた。「今年5年目なんですけど、やっと出番が増えてきたんです」。34-10で勝ったあと、樫本はうれしそうに言った。
無名の琉球大から、Xリーグ強豪チームへ
彼は琉球大学アメリカンフットボール部の出身。全国的にはまったく無名の国内最西端かつ最南端の学生チームだ。後輩たちはこの秋、九州学生リーグ2部で戦っている。Xリーグ1部のチームには現在、4人の琉球大OBが所属している。その中で最も日本一に近いのが、樫本のいるIBMだ。2014年と17年にXリーグ王者を決めるジャパンエックスボウルに進出したが、ともに敗れた。樫本はそんな強豪チームで、関西や関東のトップ校から集まった選手や外国人選手たちに食らいつく日々を過ごしてきたのだ。
いろんな巡り合わせがあって、樫本はクラブチームのIBMビッグブルーへやってきた。
小学校から沖縄で育った彼は、琉球大入学後にアメフト部の勧誘を受けた。バーベキューに海遊び……。立て続けの新歓イベントに、「いい雰囲気の部活だな」と感じて入った。当時はまだリーグに加盟していないチームだった。というのも琉球大は1987年に創部したが、県内にほかに大学のチームはなく、米軍基地内の高校生や米兵のチームと年に数試合を戦っていた。2000年代になってイラク戦争激化の影響などで試合数が少なくなり、服部敦監督を中心に九州学生リーグの加盟へと動いた。正式加盟したのが2010年で、樫本は2年生だった。
まず2部Aブロックでの戦いから始まった。4チームの総当たり。2年生の樫本はDLとTE(タイトエンド)で攻守両面で出ていた。2試合を戦って1敗1分け。リーグ最終戦の九州工業大戦は、ともに無得点で第4Qに入った。ここで樫本が輝く。左サイドでQBからのパスを受けると、前がぽっかり空いた。巨体を揺らしてサイドライン際を駆け抜けてTD。6-0でチーム史上初のリーグ戦勝利となった。決勝TDの樫本は、琉球大の歴史にしっかりと名を刻んだ。
九州学生リーグの試合はほとんど福岡で開催されるため、琉球大にとって遠征費が大きな問題になってくる。選手たちは日ごろ居酒屋や家庭教師、コンビニでアルバイトして遠征費を稼いだが、樫本は一気に稼ぐ派だった。毎年2月から3月にかけ、神奈川県へ約1カ月の出稼ぎ。引っ越しのアルバイトに明け暮れた。そんな苦労も、フットボールを頑張れる原動力になっていた。
樫本が4年生のときに2部で優勝。入れ替え戦にも勝って、初の1部昇格を決めた。その瞬間、「1部でもやってみたい」との思いが樫本の心を支配した。幸い、2年生からリーグに加盟したため、あと1年はプレーできる。後期試験を頑張れば卒業できる状況だったが、親に頼んで留年させてもらうことにした。2年前のあのTDが、樫本をフットボールに引きつけて放さなかった。5年生として戦った1部のレベルは想像以上に高く、1勝しかできなかったが、やりきれたことに満足して大学生活を終えた。
就活がIBMとの接点に
就職活動のときは、東京に住む中学時代の同級生の家に居候して面接に通った。その家の周囲をランニングしていると、アメフトの練習が目に入った。東京国際大のアメフト部だった。たまらなくなって、近づいていった。ヘッドコーチの人と話をして、練習に入れてもらえることになった。その人こそ、かつてIBMでOLとしてプレーし、日本代表でもあった村上崇就(たかなり)さんだった。練習に加えてもらい、ラインとしてのアドバイスももらった。
東京での就職が決まり、アメフトのことを考えた。琉球大の先輩で最初のXリーガーとなった河合史生(しき)がアサヒ飲料チャレンジャーズでプレーしていて、そのチームのことしか知らなかったが、いかんせん関西のチームだ。働く場所に近い関東でやろうと考えたとき、村上の顔が浮かんだ。IBMのチームについて調べてみると、外国人選手が何人もいる。大学時代に米軍チームと交流があっただけに、「楽しそうだな」と思った。トライアウトを受けて、IBMビッグブルーへの加入が決まった。
しかし、IBMの練習に参加して打ちのめされた。あまりにもレベルが違う。1年目の2014年は選手登録の枠から外れ、練習生に。初めてジャパンエックスボウルに進出したチームをまぶしく見つめるしかなかった。正直、何度も「やめようかな」と考えた。「もっと下のレベルのチームだったら、試合に出られるんじゃないか」と思った。でも最終的に、「日本一を目指せるチームでやりたい」との思いが勝った。
とにかく当たり負けだけはしないようにと、トレーニングに力を入れた。体がデカくなり、2年目は登録メンバーに入った。そのとき、「よし、頑張ろう」と心から思えた。昨年はキッキングゲームの出場だけだったが、ジャパンエックスボウルの晴れ舞台を経験した。満員の東京ドームの雰囲気を味わい、ほとんどお客さんがいなかった大学時代の試合を思い出した。
24日のLIXIL戦では、光るプレーはできなかった。それでもサイドラインに戻ってくる樫本に、チームメートから「いいラッシュだったよ」との声がかかった。「ああいうのが最高にうれしいんです」。トップレベルのチームの輪に、しっかり自分が入っている。そう実感できる瞬間なのだろう。
九州リーグのみんなにも挑戦してほしい
いまはDLとしてのテクニックを一つでもたくさん身につけるのが課題だという。「九州リーグだと、当たりの強い人の勝ちでした。でもXリーグだと、それだけじゃダメで、うまくないと生きていけないんです」。その先に何を見るのか。「体が動く限りフットボールを続けて、日本一を経験したいです。そのときに主力としてフィールドにいられるようにしたいと思ってます」。表情を引き締めて、未来を語った。
琉球大の練習には、年に1回は顔を出す。「九州リーグにも、Xリーグでやれる人はいる。挑戦してほしいです。いまは、ほんとにフットボールをやってよかったと思ってます。挑戦してよかったと思ってます。こういう経験はなかなかできないし、楽しい人生になってますから」。樫本は柔らかく笑いながら、そう言った。
日本の端っこのチームから、日本一達成のど真ん中にいる選手に――。男として何ともしびれるチャレンジを、樫本はやっている。