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連載:OL魂

ボール託された「秘密兵器」 九大・小澤文生

九大のOL小澤は西南戦の負けをかみしめた
5人でひとつ、涙の初勝利 近畿大・若山涼

九州学生リーグは西南学院大が昨年まで4連覇。連覇が始まる前の2013年に勝ったのが九大だ。10月13日、平和台陸上競技場で両雄の3戦全勝対決があった。個々の身体能力で勝る西南に九大がどう挑むかが注目されたが、西南が35-9で快勝。規定により最終節を残して、西南の5年連続優勝と全日本大学選手権進出が決まった。九大に、先はなくなった。

九大の試合ぶりから、挑戦者としての準備はうかがえた。オフェンスの11人を左から2人、5人、4人に3分割してセット。その変則フォーメーションから、さまざまなプレーを繰り出した。オフェンスの獲得距離では西南を23yd上回る360yd。しかし2度の一発タッチダウンや、インターセプトリターンタッチダウンも食らい、完敗だった。

元陸上部で元RB

変則フォーメーション以外にも準備していたプレーがある。それはOL(オフェンスライン)#68 小澤文生(おざわ・ふみお、4年、四條畷)をRB(ランニングバック)の位置に置き、ボールを持たせるプレーだ。

このシリーズでは、さんざん「球技なのに基本的にボールに触れることもない」と、OLの悲哀を表現してきた。そしてついに、「基本的」でないケースに出くわした。というのも、5人のOLが最前線にセットしてさえいれば、本来OLの選手をRBとして起用することもできる。ただ、普段ボールを持つ練習もしていない、そして俊足であるはずもない大男にボールを託すのはリスクこそあれ、メリットが少ない。だから、やらないのだ。

しかし、九大にはそのリスクを冒すだけの理由があった。小澤はいま身長176cm、体重107kgと誰が見てもOL体形だが、入学時は72kgでRBをしていた。さらに言えば、大阪の四條畷高時代は短距離の選手だった。

実は小澤はこの春、右足の骨を折った。いまも骨はくっついていなくて、今シーズンは西南戦までの3試合には出ていなかった。だがOLとしてプレーするだけなら、もう少し早く試合に復帰できたという。九大は「RB小澤」を西南戦の秘密兵器にとっておいたのだ。もちろんロングゲインは望めないが、西南にいろいろ考えさせるだけでも意味がある。

大学最後のシーズン、ようやく出番が来た。痛み止めの注射を打って、小澤はフィールドに立った。OLの左T(タックル)として先発出場。最初の攻撃シリーズの5プレー目。フィールド中央付近からの第2ダウン残り6ydで、背番号68がRBの位置に入った。「ロクハチ(68)がバックに入ったぞー」。西南ベンチから声が飛ぶ。そして、その瞬間はやってきた。ボールを手渡された小澤が突進。目の前の密集に突っ込み、足をかく。モール状態になった。会場に「オーッ」という歓声が広がる。西南の選手が小澤の足にしがみつき、ようやく倒れた。7ydの前進で攻撃権更新。まずは成功だ。

小澤は試合序盤、ボールを抱えて突進した

またOLに戻った。第3Qにも同じようにボールを持ったが、これは3ydの前進にとどまった。2回のランで10yd。味方がファンブルしたボールを拾うのではなく、RBとして起用されて、ボールを持って突進する。世の中のOLにとって夢のまた夢のプレーを、小澤はやった。1回目のランのあと、「OL魂」の筆者としての私に電気が走った。「小澤を書かずしてどうする」という思いの電気が。

「お前にどこまでもついていく」

第4Q、九大のQB八木駿輔(4年、近大新宮)が、この日2度目のインターセプトを喫した。ベンチに戻ると、小澤は八木に詰め寄った。「おい、八木! 俺はどんなことがあっても、お前についていく! だから絶対に気持ち落とすな!」。八木は両目を見開いてうなずいた。ここに極上の「OL魂」があった。博多で出会ってしまった。また私に電気が走った。

試合後、九大と西南大の選手たちは競技場の出口に列をつくり、お客さんに観戦のお礼を言った。九大の面々は泣きながら、西南の面々は笑顔でお客さんを見送った。関東でも関西でも見たことのない「お見送り」。最初はほほ笑ましい取り組みだと感じたが、あまりにも対照的な両校の様子を見ていると、切なくなった。

それが終わり、九大のメンバーは試合後のミーティングをする場所へ向かった。私は小澤の大きな背中に近づき、「あとで話を聞かせてください」と言った。「え、僕ですか?」。涙目のまま、彼は答えた。また西南に勝てず、全日本大学選手権へ進めない。重苦しい話し合いが終わったあと、小澤と話した。

私は、あのQB八木への檄(げき)について尋ねた。「僕の中ではもう、点数とかインターセプトされたとか、まったく関係なかったんです。この試合で復帰するにあたって、この1年やってきたことをすべて出しきることだけ考えました。だから、まだ終わってないのに気持ちが落ちるのだけは嫌でした。全力で、八木とも一緒に出しきりたかった。だから、どこまでもついていくって言いました」。この境地だ。

負けたことに関しては、「結果を後悔しても意味ないです。次にこれを含めて、やりきるしかない」と話した。ただ一つ後悔があるとすれば、同学年の一人のOLへの思いだ。彼は半年前、脳に腫瘍(しゅよう)が見つかり、プレーができなくなった。そこから対戦相手の分析など、裏方として頑張ってくれた。その後の治療で、全日本大学選手権へ進めば、一緒にプレーできる可能性が出てきていた。「アイツを出してやりたかった。それは悔しいです」

何よりOLが楽しい

大阪で浪人生だったころ、志望校だった九大のパンフレットを手に取ると、アメフト部の写真が載っていた。かっこいいなと思い、合格したらアメフト部の新入生歓迎イベントには行ってみようと思った。農学部に合格。練習を見学して「しんどそうやな」と思ったが、いつの間にか入っていたのだそうだ。最初は陸上部出身だし、細かったからRB。けがが重なり、体重も増え、2年でOLになった。3年の春に、また負傷。復帰するとDL(ディフェンスライン)やTE(タイトエンド)と転々。4年になってOLに戻ったら、またけがをした。「トータル2年ぐらいしかアメフトしてない感じです」と言って、苦笑いした。

ポジションを転々としたが、4年になってまたOLになった

さあ、聞こう。OLをやってよかったですか?

「それは、すごく思います。このポジションに誇りを持ってますし、OLのコーチには魅力的な人が多かった。5人のユニットで戦うというプライドが、すごくあります。最初はRBがかっこいいと思ってましたけど、5人全員が役割を果たして初めて少しずつオフェンスが進むっていうOLに、いまは思い入れがあります。けがの間、みんなに迷惑かけたし、OLじゃない人に入ってもらわないといけないときもありました。自分が戻らないといけないという責務も原動力になって、必死でプレーのことを考えたり、トレーニングもしました。何よりOLが楽しい。この1年はその気持ちだけでした。ほんとにOLでよかったです」

やっぱり、極上の「OL魂」の持ち主だった。

リーグ戦は、まだある。九大は10月27日、久留米大と最終戦を戦う。「僕が復帰して1戦1敗ですから、次は絶対に勝ちたい」。小澤が涙目で前を見た。

私は忘れていた。「RB小澤」の感想も聞かないといけない。「いつかあのプレーが入ってくる、とは思ってたんですけど、あんなに最初の方とは思ってませんでした。とにかくボールを確保して、ひたすら足をかくことだけが頭にありました。アドレナリンが出てた分、練習よりちゃんと走れました」。ボールを大事に大事に抱えながら倒れた小澤の姿を、私は忘れない。

誰かのヒーローでいたい 甲南大・岡崎玄竜

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