陸上・駅伝

強い味方を得て、明治大・古賀友太は2024年パリ五輪へ歩き始めた

古賀(中央左)は先頭集団につき、ラスト2kmで仕掛けようと考えていた(能美大会の写真はすべて撮影・山口裕起)

全日本競歩能美大会 男子全日本20km

3月15日@日本陸連公認能美市営20kmコース(往復1km) 
1位 池田向希(東洋大) 1時間18分22秒
2位 高橋英輝(富士通) 1時間18分29秒
3位 鈴木雄介(同)   1時間18分36秒
4位 古賀友太(明治大) 1時間18分42秒

3月15日に石川県能美市で開催された陸上の全日本競歩能美大会(20km)は、池田向希(東洋大3年)が優勝して東京五輪代表に内定した。一方で明治大2年の古賀友太の存在感も大きくなった大会だった。トップ集団に15kmまで食い下がり、1時間18分42秒(学生歴代5位)で4位に入ったのだ。昨年のユニバーシアード20km競歩では池田、50km競歩東京五輪代表の川野将虎の東洋大コンビに次いで3位に入っているが、二人の陰に隠れた存在だった。東京オリンピック後の代表争いに加わってきそうな古賀とは、どんな選手なのか。 

学生競歩界「第三の男」

能美のレース、先頭集団は20kmの世界記録保持者である鈴木雄介(富士通)、池田、高橋英輝(富士通)、藤澤勇(ALSOK)と、日本代表経験者がズラリ。その中に1人、明治の紫紺のユニフォームを身につけた古賀がいた。 

代表経験者たちの前に出て先頭を歩くシーンはなかったが、集団に必死についているというより、勝機をうかがっている雰囲気さえあった。

15km以降に日本代表経験者たちとの力の差が出た

「前回は最初から第2集団で歩きましたが、逃げてたところもあったと思います。今回は先頭集団について、ラスト2kmで仕掛けられたら、と思って出場しました。(1kmごとの)タイムには表れない上げ下げが何度かあって、いままで以上に対応はできたのですが、そこで体力を使ってしまいました。最後(引き離された15km以降)は力の差が出ましたね。でも記録は、ここまで出るとは思ってませんでした。積極的にいったのがよかったと思います」 

昨年の能美大会は、半年後の世界陸上で金メダリストとなる山西利和(愛知製鋼)が優勝し、7カ月後に50km競歩の日本新記録をマークする川野が2位、そして池田が3位と、東京オリンピック代表に内定する3人が上位を占めた。 

能美大会は日本学生20km競歩選手権も兼ねている。昨年、学生選手権としては川野が優勝し、池田が2位。その2人が学生新記録(川野1時間17分24秒、池田1時間17分25秒)をマークし、古賀は3分差の1時間20分24秒で3位だった。 

古賀は先頭集団に加わらなかったことを「逃げ」と言ったが、昨年の学生選手権は7月のユニバーシアード代表選考会だった。ユニバー代表に入ることが最大目標なら、先頭集団について終盤失速したり、歩型が乱れて失格したりするリスクを取るより、第2集団でレースを進める方が目標に達する可能性は大きかった。

ユニバーシアードでは池田、川野、古賀の順で日本勢が表彰台を独占し、チーム戦でも日本が圧勝した。古賀は優勝した池田とは46秒差。学生だけの大会でレベル的には高くはないが、国際大会を経験できたことは大きなプラスになったはずだ。 

勝ってきた一方、失格もしてきた

古賀の戦績を振り返ると、“勝てる選手”であることがわかる。 

高校駅伝強豪の福岡・大牟田高で長距離を走っていたが、けがから復帰する過程でリハビリの一環として競歩を始めた。5000mの自己ベストは高2のときの14分54秒18で、3年生で記録を伸ばせたなら、箱根駅伝を目指せたレベルにはいた。 

古賀は競歩ですぐに頭角を現し、3年生のインターハイ5000m競歩と、全国高校選抜3000m競歩で優勝した。明治に入学後も1年生からインカレなどで上位に入り、昨年9月の日本インカレ10000m競歩では、東洋大コンビが不在だったとはいえ、学生初タイトルを獲得した。翌月の国体10000m競歩は、オリンピック2大会連続代表の藤澤を破って優勝した。 

その一方で失格も目についた。昨年2月の日本選手権20km競歩、5月の関東インカレ10000m競歩などいくつかの試合で失格しているのだ。 

昨年2月の日本選手権ではゴール直前で失格となった(13番が古賀、撮影・松永早弥香)

昨年の日本選手権は先頭集団で勝負したが、1月に痛みが出た左ひざをかばった動きになり、10kmまでに警告を2枚出された。集団から離れて最後まで歩くペースに切り換えたが、それでも警告が出てしまい、失格した。 

今年2月の日本選手権もスタート2分後と5分後に注意を出され、先頭集団で歩けなかった。警告を2枚出され、注意は5回受けた。前年の能美大会で出した自己ベストの1時間20分24秒に23秒差と迫ったのだが、歩型に課題が残った。 

能美でも警告が1枚出され、注意も4回受けたが、日本選手権より進歩していたのは間違いない。わずか1カ月で、歩型をどう変えてきたのだろう。

「今回はキツくなってから、よりピッチを意識して、跳ねない動きを心がけました。去年の前半までは疲れるとピッチが落ち、ストライドに頼る動きになって、攻められませんでした」 

日本選手権からの1カ月で変えたわけではなく、昨年の後半から取り組んだことが、今回のレースで形になってきたのだ。 

昨年の後半からの取り組みが古賀を進化させた

1カ月前の日本選手権との違いは?

歩型を修正したり、失格にならない動きを維持したりするためには、練習段階から歩型をチェックする第三者の目が必要になる。 

東洋大では元競歩選手の酒井瑞穂コーチがおととし就任し、歩型についてより細かい指導ができるようになった。池田は能美大会で警告も注意もゼロだった。川野も以前は疲れが出ると警告を受けたが、日本記録を出した昨年の全日本競歩高畠大会では、警告を1枚も出されず50kmを歩ききった。 

明治も昨年10月に、“世界陸連CECS-Level Ⅰコーチ講師資格”を持つ三浦康二氏が競歩コーチとして着任。古賀も歩型をしっかり指導してもらえるようになった。ストライドに頼りすぎず、ピッチを強調した歩きへの変更も、三浦コーチの発案だ。

「ストライドを広めようとすると、ほとんどの選手が間延びした動きになり、上下動が生じて審判の印象が悪くなって警告を受けやすくなります」 

日本選手権と能美大会の違いについては、以下のように説明してくれた。

「日本選手権は3分55~56秒、速くても3分50秒を想定した準備でした。寒さや(注意や警告によって影響を受ける)心理戦でやられたこともあって、先頭集団につけませんでした。ストライド調整もまだ、完璧には実行できてなかったですね。トレーナーを帯同しなかったので、アップのときに動きの調整もできませんでした。能美へはトレーナーを帯同し、アップのときに関節なんかの可動域を出し、緊張してる部位はほぐしてもらえた。心理戦に関しては日本選手権がリハーサルになりました」 

古賀(前列右端)には継続してトレーニングができるという強みがある

古賀の特徴を大きく見た場合、「疲労回復が早いし、トレーニング負荷が局所的に集中しない。だから継続してトレーニングができる」と三浦コーチ。これが強さの背景にあるという。 

東京オリンピック代表にはなれなかったが、今後、歩型の不安がさらになくなっていけば、代表争いには必ず加わってくる選手だろう。 

三浦コーチは過去のデータから、「20歳のときにオリンピックを狙っておくことで、次のオリンピックへのステップになる」と考えている。 

古賀もそのつもりで能美大会の先頭集団を歩いた。

「いままで歩けなかった位置(集団)で歩けました。トップとの差もいままで以上に小さくできて、この中でも勝負できると実感しました。(1学年上の)池田さん、川野さんに勝てば、実業団の選手にも勝てるようになる」 

池田と川野はあと1年、古賀は2年、学生としての競技生活が残っている。リオデジャネイロオリンピック7位の松永大介(富士通、当時東洋大)や山西(当時京大)が学生だったころは、学生ひとりが実業団選手に混じって奮闘していた。今後は学生競歩選手全体のレベルアップで、日本の競歩界を活性化させる時代になる。能美大会の古賀の歩きが、そう予感させた。

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