法政大で箱根を走り、ラントリップを起業 「楽しく走る」を伝える大森英一郎さん
「M高史の駅伝まるかじり」今回は株式会社ラントリップ代表取締役・大森英一郎さん(35)です。法政大学では一般入部ながら箱根駅伝に出場し、その後は一般企業に就職、2015年に起業。箱根ランナーから新たなビジネスモデルを確立した大森さんにお話をうかがってきました。
バスケ少年から陸上の道へ
大森さんは神奈川県横須賀市出身。小学校からバスケットボールを始め、小学生のときミニバスで全国大会に出場。中学でも県大会準優勝の成績でした。バスケットボールのスポーツ推薦で法政第二高校に進みます。
ところが「高校1年の途中で手首をケガしてしまって、どうしても治らなくて、バスケをやめることになりました。手首を使わない競技……と考えたときに長距離! と思いつきました(笑)」。中学時代もバスケットボールをやりながら、脚力を見込まれて駅伝大会に借り出されるなど、走るのは得意だったそうです。
高校1年生の夏に陸上に転向し、最初は「60分JOGでもキツかった」そうですが、秋の県新人陸上では5000m15分25秒まで記録を伸ばします。さらに翌年から法政大学OBの小池進さん(現・相洋高校陸上部監督)が外部コーチとして就任します。
自宅通いで家が遠かったため、5時台の電車に乗って朝練習に参加していたそうです。小池コーチの指導のもと力をつけ、2年生のときには関東高校駅伝に出場。個人では自己ベストは5000m14分57秒、神奈川県高校総体では7位というのが最高成績でした。
法政大陸上部に一般入部し箱根を目指す
法政二高から法政大学へ進んだ大森さん。一般入部で陸上競技部の門を叩きました。「飛び込んだもののレベルが全く違い、最初は不安でした。スポーツ推薦ではないので寮に入れず、近くに一人暮らし。食事も自炊でした。正直、『箱根に出たい』というのは、イメージできない漠然とした夢。ただ所属しているだけでした」と1年目はレベルの違いに戸惑っていたといいます。
転機となったのは1年生の冬、箱根駅伝の補助員をしたときのことでした。「箱根を生で見て衝撃を受けました。自分は補助員で黄色のベンチコートを着て、道路側ではなく歩道側を向いて走路員をしていました。その後ろを同じチームで練習していた先輩たちが颯爽(さっそう)と駆け抜けていったんです。沿道からの大声援にとてつもないエネルギーのかたまりを感じました!」
それに対して自分は母校のジャージすら着れず、黄色のベンチコートを着ている。「ちゃんと本気で箱根を目指したい! 本気で出たい」と思ったそうです。
1000日計画と「努力・継続・工夫」
本気で箱根に出たいと思ったものの、スポーツ推薦で入ってきた選手たちにいきなり勝つのは至難の業です。「翌年では無理。364日の努力では勝てない。4年生の冬に箱根を走るという目標を立て、逆算していきました」
最後の箱根まであと3年間。「3年というと、つまり約1000日がんばれば、なんとかなる! まずは基盤を作って、2年生のうちにAチームにあがる。3年生で箱根の補欠に入る。そして、4年生で箱根を走る」という「1000日計画」を立てました。
そのために、けがをしないで練習を継続することを徹底したといいます。とはいえ、時には心が折れそうな日もあったそうです。高校時代の恩師・小池コーチに電話すると「焦るな」という励ましとともに、「努力・継続・工夫」という3つのキーワードを教えてもらいました。
「それぞれ独立した言葉ではなく、つながっています。努力を継続するための工夫を大切にということ。1日だけ頑張るというのはみんなできます。継続することが大事で、そのためにどのように工夫するか。調子が良いときでもやり過ぎず、抑えるときは抑える。逆につらいときでもできるところまでちゃんとやるようにしましたね」
けがをしないように徹底したメンテナンス。食事も変わらず自炊でしたが「スープ系をよく作っていましたね。色々な具材を入れたらおいしくなりますし、野菜もしっかりとれます。翌日にも活用できるので!」。学業とハードな練習をこなしながらも、栄養バランスのとれた食事をするために要領も身につけていきました。
また、恩師・成田道彦監督は選手の主体性を大事に指導されていました。その分、やらされるものがなく、自立を求められました。4年間通じて、寮ではなく1人暮らし。「誰も見ていないところで自分のメンタルと向き合っていました。逆に強制されないつらさを感じました」
コツコツと努力を続けた結果、2年生の冬にはAチームで練習できるように、さらに鍛錬を積み重ね、3年生の箱根駅伝では補欠に入りました。
ラストイヤーにかけた想い
大森さんが4年生の年、法政大学は箱根予選会からのスタートとなりました。予選会を突破しなければ、夢見ていた箱根路のスタートにも立つことができません。
「予選会は緊張しましたね。公式戦は初でしたし、自分1人のためではなくチームを背負っていて、独特の緊張感がありました」。さらに、記録会などで着用するサブユニ(サブユニフォーム)ではなく正ユニ(正式なユニフォーム)の着用で「学校を背負って走る」と実感したそうです。
「とにかく妥協しないで、苦しくても、最後までいきましたね。コース上で部員からも応援されていましたが、とにかく必死でした」
大森さんは学内9番目、全体の151 位でフィニッシュ。チームとしては9位。当時は関東インカレのポイント加算があり、ギリギリですべり込んだ形となりました。ちなみにこのとき次点となる10位で落選したのは、のちに箱根駅伝で4連覇を含む5度の優勝を果たす青山学院大学でした。
「発表を聞いたときにチームがギリギリいけた喜びもありましたが、本戦でメンバーになれるとは限らないので、決して晴れやかな気持ちではなかったですね」と当時の心境を語ってくれました。
1000日計画の集大成は「後悔しかない」
大森さんはさらに鍛錬を積み重ね、見事に箱根メンバーの座を射止めました。「メンバー入りが決まったのは本番1週間前くらいでした。決まったときは『やっとたどりついた』という思いがありましたが、一緒にメンバー入りを競い合っていたチームメイトの前では喜びを前面に出すことはできず、心の中でじっくりかみしめました」
それまでほとんど実家に連絡していなかった大森さんですが、「メンバーが決まり母親に電話したら、すごい喜んでいましたね!」。久しぶりの実家への連絡は良き報告となりました。
迎えた第84回箱根駅伝では、復路のエース区間9区を走りました。「元々10区を予定していたのですが、直前にエース格の選手が故障して急遽9区にまわりました。歴史ある法政大学の9区ということでプレッシャーでした」。そして、最初で最後の箱根駅伝については「後悔しかないです」といいます。
「ゴールが箱根に出ることだったんです。出た時点で燃え尽きていたかもしれない。箱根でどう活躍するかというところまでイメージできていませんでした。当日は水の中をふわっと走っているような感覚でした」と独特な表現で説明してくれました。
1000日計画でストイックに打ち込んできた競技生活。そのため、もう一歩も走りたくなかったそうで「箱根で9区を走って、それを機に走るのをいっさいやめましたね。箱根当日走り終わってからのダウンジョグすらしなかったです」と笑います。やりきった4年間でした。
地元に戻って4年ぶりに走り、受けた衝撃
大学卒業後の2008年4月にリクルートのグループ会社に就職。学生時代は走ってばかりでやりたいことがイメージできていなかったので、「まずは各企業の経営者と会える仕事につこう、そこから本当にやりたいことを探して選択していこう」という思いだったといいます。
その後、「大企業で自分が『小さな歯車』としているのではなく、中小企業で自分のやった行為がわかりやすく見える、『大きい歯車』でいたい」という思いで2009年10月に地元・横須賀の船会社へ転職します。そこでは地域活性や観光に携わります。
時間に余裕もでき、自由な時間が増えたので、何か新しいことを始めたいと思った大森さんは、ランニングが流行っていたこともあり2012年に地元でイベントを開催しました。4年ぶりに走ってみると、大学までの競技とは違った景色が見えてきたそうです。
「衝撃的でした! 市民ランナーの皆さんは楽しそうにイキイキと走られているんです。大学までは走ることは『競技』で、ピリピリしていましたからね」。走る行為そのものが幸福度を高めるということ。タイムや順位など数字向上をさせるものではなく「いかに数字にしばられない楽しみを提供できるか」を深く考えるようになりました。
ちょうどその頃、本業である観光でも「地方にイベントで人を呼ぶだけではなく、持続可能な仕組み作りができるかが重要になってくる」という考え方が広まってきました。
横須賀でランニングレッスンをしたときに、初めて横須賀に来た方に喜ばれたりもしたそうです。知らない土地、知らない道を走れる喜び。道が資源。「ラン」と「トリップ」をかけ合わせた「ラントリップ」という構想をもって、2013年から動きはじめました。
もっと自由に楽しく走れる世界へ
2015年4月に、ランニングコースを投稿できるサービスをリリース。5月に株式会社ラントリップを起業し、代表取締役となります。コンセプトは「もっと自由に楽しく走れる世界へ」です。
「ロケーション(どこを走るか)、コミュニティ(誰と走るか)、ギア(何を身につけて走るか)のうち、ギアの情報はたくさんあると思ったんです。ロケーションとコミュニティの情報をテクノロジーを活用してお届けしたいなと。コミュニティをいきなりは難しいので、最初はコースを投稿し、検索できるロケーションの提案から始めました」
その後、ランナー向けとしての情報発信となるメディア「ラントリップマガジン」、ランナーが走った距離や写真などを投稿できるランニング共有SNSの開発など、徐々にサービスも増えてきました。
起業してもうすぐ5年ですが「まだ構想しているものの10%にも満たないんですよ。もっともっと楽しめるものにしていきたいです!」とさらに先を見据えて、壮大なイメージを膨らませています。
箱根ランナーから、多くのランナーが自由に楽しめるランニングのさらなる可能性を求め、大森さんのトリップは続きます。