バレー

ジェイテクト・藤中優斗 早稲田での苦悩と栄光、Vリーグ1年目で確かな力に

19-20シーズン、ジェイテクトSTINGSは初優勝をなし遂げ、藤中(右)は最優秀新人賞を手にした(写真提供・ジェイテクトSTINGS)

強いチームには最強のバイプレーヤーがいる。一撃で相手の戦意を削ぎ取るスパイクがあるわけではない。相手エースに絶望感を与えるブロックがあるわけでもない。相手の喉元をえぐるサーブも、観衆を魅了するド派手なガッツポーズも滅多に見られない。あるのは、コートを支配するほどの安心感と比類なき献身。相手の強打を無力化するレシーブ、ラリー中の粘り、勝負どころでの決定力は、どれをとっても“つなぎのプレー”が肝要とされるバレーボールにおいて欠かせない要素だ。それらを兼ね備えているのが、ジェイテクトSTINGSの藤中優斗(24)である。

王者・早稲田男子バレーを支える藤中たち4年生の結束

「自分の仕事を果たす」を胸に挑んだルーキーイヤー

例えば2019年11月24日、VリーグレギュラーラウンドのVC長野トライデンツ戦。この試合でスタメン出場を果たした藤中は、スパイクだけでチーム最多の10点を稼いだ。決定率83.3%の驚異的な数字を叩き出し、セッターの中根聡太をして「アイツが点を取ると、2点を取ったみたいなノリがチームに生まれる」と言わしめた。

その後も持ち前のレシーブ力で、定位置を確保した。リベロの本間隆太、アウトサイドヒッターのマテイ・カジースキとともに守備の中核を担った。レシーブの名手をそろえたジェイテクトは、サーブレシーブ成功率でリーグ1位。前のシーズンが同6位だったことを考えれば、躍進の大きな一因になったと言えよう。

身長182.5cmの劣勢を抜群の安定感で埋めて見せ、得点源の西田有志やカジースキらを陰で支えた。19-20シーズン決勝は2月29日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、無観客で行われた。ジェイテクトは3連覇を狙うパナソニックパンサーズを3-2で下し、初優勝を飾った。藤中が手にした最優秀新人賞は、「自分の仕事を果たすことしか頭になかった」ことに対する証明にほかならなかった。

早稲田で4冠達成、喜びよりも安堵、感謝

プレースタイルは宇部商業高校(山口)時代に培われた。「ミスをしないようにということ。一本の重要性を高校で学びました。大学でもずっと試合に出させていただく中で、流れを崩さないプレーの大切さを知りました」

進学した早稲田大では、1年生のときからレギュラーとして活躍。4年生で主将を務め、ユニフォームの「1」の下に横棒が入った。「1年生から4年生までの全員とコミュニケーションをとって、みんなの意見を聞くことを心がけていました。だからと言って『俺の言うことを聞け』という感じではなく、人にはそれぞれ個性や味があるので、それを絶対に崩さないように。そして、最終的に決断するときは、一番上に立っている僕がやっていこうと思っていました。ぐいぐい引っ張っていくタイプではないけど、みんなのよさを引き出すことを意識していました」

藤中は名門・早稲田大で1年生のときから活躍し、4年生では主将を務めた(撮影・松永早弥香)

チーム作りは順調だった。春季リーグ戦は11戦全勝で優勝。6月の東日本インカレも制した。しかし、勝ち続けることの重圧が、チーム内にボタンのかけ違いを生じさせる。試合中に声が出ない。気持ちが切り替えられない。連係がかみ合わず、必然的にミスが増えた。そして、秋季リーグ戦で日本体育大に1-3で敗れ、首位を明け渡した。バラバラになった選手たちのベクトルは、やがて行き先を見失った。

「4年生の考え方と下級生の考え方にギャップが生まれて。どっちが正解というのはないんです。だけど、その思いにちょっとしたズレが生じました。下級生が意見を言ってくれて、初めて衝突しました。でも、すごく頼もしい後輩ばかりで、その分、大きなエネルギーが生まれました」

何度も話し合いを重ねた。藤中を含む4年生が意思統一をし、その思いを下級生に伝えた。そこからチームは上向き、勝利を重ね、秋季リーグを制覇。さらに11~12月の全日本インカレで初の連覇をなし遂げ、大学4冠(春季リーグ、東日本インカレ、秋季リーグ、全日本インカレ)を手にした。安堵と感謝、様々な思いが交錯した。「優勝した喜びよりも、ホッとしたというか、そっちの方が大きかったです」。大学生活のラストシーンを涙で締めくくった。

「プレーはもちろん、4年間でたくさんのことを教えていただいたし、経験させていただきました。一人の人間として、社会に出るための下積みをすごくさせてもらいました」

あこがれの浅野博亮に「俺の分も頼むぞ」と言われ

19-20シーズンのVリーグ。最も印象に残った試合は、セミファイナルのサントリーサンバーズ戦だと言う。ややあって、理由を教えてくれた。「負けたら終わりというプレッシャーがすごくありました。勝手な思い込みかもしれないけど、普段のリーグ戦とは違う感じがすごくあって、一番緊張した試合でした」

第1セットを奪われるなど、立ち上がりは苦戦した。切り替えられたのは、仲間の声がけだ。「第1セットは僕自身も『あれ?』と思うところがあって、それまでだったら崩れていたかもしれません。でも、一緒にレセプション(サーブレシーブ)に入っている本間選手やカジースキ選手が声をかけてくれて、そこで僕も切り替えられました。とくに本間選手はこれまでの試合でも、第1セットを取られた後に『大丈夫』と声がけをしてくれたんです。それでいつも切り替えることができました」

第2セットからは、チームの生命線でもあるサーブが機能。藤中のジャンプフローターサーブも相手を苦しめた。全員がそれぞれの役割を果たし、難敵を力でねじ伏せた。一人のルーキーが飛躍的な成長を遂げたその陰には、一人の選手の存在もあった。ベテランの足音が聞こえてきた29歳。元日本代表の浅野博亮だ。

19-20シーズンのVリーグは、東京オリンピックのメンバー入りに向けたラストチャンスでもあった。この大会でアピールしたい。あこがれの先輩を間近で見てきた藤中にも、その思いはひしひしと伝わっていた。だが、チャンスをつかんだのは同じタイプのアウトサイドヒッター、1年目の藤中だった。

「僕が試合に出ているときは常に声をかけてくださったし、その分、必ず自分の責任を果たそうという思いでした。何より、僕がジェイテクトに入ったのは、浅野選手にあこがれていたからです。日頃の練習から浅野選手の横でプレーできることは僕にとって財産だし、コートに立つからにはそれをプレーで表現しようという思いでやっていました。浅野選手の思いもすごく伝わったので」

浅野博亮の思いも背負い、藤中は一試合一試合、自分の責任を果たそうとした(写真提供・ジェイテクトSTINGS)

王者パナソニックとの決勝では序盤、レセプションが返らなかった。第1セットを17−25で落とした。ルーキーは迷っていた。タイムアウトが終わったときだ。主審のホイッスルが鳴り、6人がコートに散っていく。ベンチから浅野が歩み寄り、具体的なプレーのアドバイスを「大丈夫だから」という言葉を添えて伝えてくれた。そして、一言。

「俺の分も頼むぞ」

それだけで目頭が熱くなった。試合中なのに、涙がこぼれ落ちそうになった。

フルセットの接戦を制し、初の戴冠を果たした。ジェイテクトがバレーボール史に刻んだ新たな1ページは、17人の選手と彼らを支えるスタッフの手によってなし遂げられた尊い結晶だった。

大好きなみんなと大好きなバレーをしたい

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、チームは4月11日で19-20シーズンの活動を終了。毎年5月頭にあった黒鷲旗も、今年は中止となった。在宅勤務の導入に伴い、藤中も他の選手と同じように自宅で過ごしていた。体は動かしているが、できることには限界があると言う。電話口から聞こえてくる口調は、いつも通り丁寧だ。語尾の抑揚はやや控えめか。

先を見通せないいまの状況が収束したらどうしたいですか?

「大好きなみんなが体育館に集まって、大好きなバレーボールをやる。やっぱり、この環境が大好きなんです。それがいまはまったくボールにも触れていない。もちろん課題はあるし、来シーズンに向けてやらなければいけないことはあるけど、いまはとにかく体育館でみんなとバレーボールがしたいですね」

表情は見えない。しかし、声に張りが出た。だからだろうか。その光景がはっきりと、瞼(まぶた)の奥に浮かんできた。

大好きな仲間と大好きなバレーボールができる。それが何よりも藤中がいま、望むことだ(写真提供・ジェイテクトSTINGS)

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