明大ライフル射撃・平田しおり 父と二人三脚で届いた世界、夢の舞台・東京五輪へ
「正直どういう気持ちになればいいのかさえ……」。ライフル射撃で東京オリンピック日本代表に内定している平田しおり(3年、金沢伏見)は、現在の複雑な胸中をこう切り出した。「もぬけの殻になって、ポカーンとしてしまった」
3月下旬、平田はNTC(ナショナルトレーニングセンター)で年明けから泊まり込みで強化合宿をしていた。来るべき最高の大舞台がまさかの延期。ニュース速報で知らされた。「YesかNoのような2択の答えが出せる問題ではない。だからこそ、切り替えは難しかった」。これからどう過ごしていけばいいのか、そもそも1年延びたところで本当に開催されるのかという不安もある。そして「アスリートとしてモチベーションを何とか維持しなければ」という2つの思いが、平田の中で交錯していた。
高1で射撃と向き合い、大1で五輪を意識
昨年11月、カタール・ドーハで行われたオリンピック代表最終選考会を兼ねるアジア選手権。膝射(しっしゃ)、伏射、立射の合計点で争うライフル三姿勢で、平田は見事3位入賞を果たした。日本人選手最上位という結果で、国別のオリンピック出場枠を獲得した。
彼女が初めて銃を手にしたのは今から5年前の高校1年生のとき。クレー射撃選手で国体にも出場した父・展也(のぶや)さんの影響で競技を始めた。「高校で何かを始めたいと思ったときに、やっぱり身近にあった射撃だった」と平田。高校に射撃部はなかったため、平日は書道部員として活動。週末になると筆を銃に持ち替え、家から車で1時間の射場に通った。
父と二人三脚で技術の向上に努める日々。「一人では絶対ここまで来られなかった」。射撃に最重要なメンタルを中心に、世界で活躍するための土壌を築き上げた。
「自分がオリンピックなんてまったく想像できなかった」。2016年のリオデジャネイロオリンピックの時には、ライフル射撃がオリンピック競技であることも知らなかった。急成長のヒロインに転機が訪れたのは、昨年2月にインドで行われたワールドカップだった。
世界のトップスナイパーを相手に、堂々たる7位入賞。当時の自己新記録を叩き出した。「上が見えた気がした。ここからオリンピックを意識できるようになった」。その後は大学の大会に出場するかたわら、国際大会で海外を転戦。ヨーロッパから南米に至るまで、大会があればどこまでも飛んだ。「本当に大変だった」が「オリンピックが手に届くところにある」ことを原動力に、ひたむきに自己研鑽(けんさん)に励んだ。
「なるようにしかならない」
今年4月7日に緊急事態宣言が発令され、4月上旬に拠点としていたNTCが閉鎖されたあと、平田は地元の石川に帰郷した。4月中はどこの施設も閉鎖されたため練習ができなかったが、5月からは石川県の協力もあり、射場で練習が可能に。平日は大学のオンライン授業を受け、週末のみ練習した。「今まで以上に一つひとつの感覚を大切に」。ごく限られた時間だからこそ、強みの集中力を研ぎ澄ませた。
「最後のお休み期間として、しっかり充電できました」。6月23日からはNTCでの強化合宿が再開された。7月下旬までを目途に合宿を続ける予定だ。しかし、内定が1年後にも適用されるかなどの新たな代表選考方法は決定されていない。さらに、三姿勢に続いて出場を目指すAR(エアライフル)の最終選考会も開催未定と、まだまだ不透明な状況は続く。前が見えなくても「不安に思ったらダメ。試合はなくても練習量は自分次第で増やせる」と、自分に言い聞かせている。
オリンピック行きを決めたアジア大会の際、代表監督からある言葉をかけられた。「オリンピックは通過点にすぎない」。最終目標ではなく、これからも末永く、どこまでも広がる射撃人生の1ページとして。弱冠20歳のオリンピアンは、1年の猶予を必ずや味方につけ、コロナに打ち勝った東京に大輪の花を咲かせてくれるはずだ。