フェンシング

特集:東京オリンピック・パラリンピック

日体大フェンシング・東晟良、「ライバルで助っ人」の姉・莉央と目指すオリンピック

東晟良(左)は昨年の全日本フェンシング選手権で優勝した際、姉の莉央と喜びを分かち合った(代表撮影)

4years.では特集「いざ、東京オリンピック・パラリンピック」として、かつてオリンピックで活躍した方へのインタビューや、東京オリンピック・パラリンピック出場を目指す選手たちの話題をお届けします。日本体育大の東晟良(あずま・せら、2年、和歌山北)は、フェンシング女子フルーレでメダルに近い選手として注目されている一人です。元フェンサーでオリンピックも目指していた母の美樹さんに連れられ、初めて剣を握った10歳のころから、姉の莉央(りお、日体大3年、同)とともに競技を続けてきました。

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「行くで」とフェンシングの練習に連れ出した母

身長159cmの晟良はフェンサーの中でも小柄な部類だが、ピストに立つと不思議と大きく見える。両足を前後に開き、グッと腰を落とす。この1年は「フェンシングの練習と並行して意識的に取り組んできた」という下半身のトレーニングの成果を発揮し、相手を上回る圧倒的なスピードで、より速く動き、剣を突く。

彼女のフェンシング歴は長い。初めて体験した日のことは、いまもよく覚えている。

「最初はわけが分からなかったんです。『行くで』ってお母さんに連れられて、練習で『一緒に突いてみる? 』って剣を持たされたら、もう断る術がなかった(笑)。次の日からは、練習へ行くのが当たり前になってました」

フェンシングのレッスンに、基礎体力をつけるための腹筋と背筋の日々。「できるまで、ごはんも食べられへんで」と、母の厳しい言葉が飛んだ。それにも増して晟良の気持ちをフェンシングに向けさせたのが、最も身近にいた姉の存在だった。先にフェンシングを始めたのは1歳上の莉央だった。莉央が上達すれば自分も負けたくないし、もちろん莉央も妹には負けたくない。幼いころの姉妹喧嘩(げんか)は壮絶だった。

「軽自動車の後部座席に莉央と乗ってたとき、莉央が私に何か言ったのを無視したんです。そうしたらめっちゃ怒って、手を出してきたからやり返しました。最終的には車の中で蹴り合いになって、莉央の顔を窓に足で押し付けたこともありました(笑)。そらもう、怒られましたよ(笑)」

母と姉から刺激を受け、芽生えた世界への意識

ともにフェンシングを始めて間もなく、国際大会でも名を轟(とどろ)かせるようになった。二人とも県立和歌山北高校に進み、2016年にはインターハイ決勝で相まみえることになった。結果は莉央が優勝で、晟良が準優勝。「悔しくて、表彰台に立っても全然笑えなかった」と、晟良は振り返る。

高校生のときからともに日本代表として海外を転戦したが、卒業と同時に練習拠点は東京に変わった。「とくにこの学校へ行きたい、という願望はなかった」という晟良が日体大進学を決めた大きな理由は、莉央の存在だった。

今年6月のアジア選手権では日本のエースとして、中盤に連続して得点を挙げた(撮影・河野正樹)

「フェンシングは海外を転戦することが多いんで、授業に通ったり、きちんと大学生活ができてるかと言われると、ほとんどできてないんです。でも日体大の一員として団体戦に出場するときは、莉央と出られる。一緒に戦いたかったし、体育大学なので競技への理解も高く、サポートしていただけて、とてもありがたいです。おかげで競技に集中できてます」

フェンシングを始めたきっかけは、母や姉の存在が大きく、自ら望んだわけではない。それでも和歌山から日本国内、さらには世界へと視野が広がるうち、ごく自然に「世界で勝ちたい」と考えるようになった。

「フェンシングを始めて1年ぐらいの、まだ小学生のころから『絶対オリンピックに出たい』と思ってました。周りを見たら、学校が終われば普通に遊んでて、うらやましいと思うこともありました。でもお母さんから『遊ぶのはいつでもできるけど、フェンシングでオリンピックに出るために努力するのは特別やで』と言われたこともあって、やめたいとは思わなかったし、ずっとポジティブでした。中学や高校のころはなかなか勝てなくて『やっぱりオリンピックなんて無理かもしれない』と思ったこともありました。でもこの2、3年は日本でも世界でも勝てるようになって自信がついて、(女子フルーレ日本代表コーチの)フランク(・ボアダン)が来てくれて、技術の面も成長できました。強くなるきっかけをもらって、少しずつオリンピックが現実の目標として考えられるようになりました」

高3だった17年には、同種目では史上初めて、高校生で全日本選手権優勝を飾った。翌18年8月には日本代表としてアジア大会に出場し、女子フルーレ団体戦で初の金メダル。同年末の全日本選手権で連覇も果たし、まさに名実ともに日本女子フェンシングのエースというべき存在へと成長を遂げた。

「莉央が近くにいてくれると一番安心する」

親元を離れ、上京してからは姉と二人暮らし。後部座席で大喧嘩したころほど激しい喧嘩はさすがにない。それでも些細(ささい)な言い合いから姉が怒りを爆発させ、ドアを殴る姿を見て「爆笑した」と晟良は言う。

昨年8月のジャカルタ・アジア大会でも銅メダルという成績を残している(撮影・稲垣康介)

「普段からちっさいことで、いまもめっちゃ怒られるんです。『お前は妹なんやから、莉央のこと“お前”って言うな』とか(笑)。でも、試合のときに莉央が近くにいてくれると一番安心するし、名コーチであり、助け合う仲間。いや、助っ人かな(笑)。自分自身の調子も悪くないので、東京オリンピックまでのワールドカップで絶対にメダルをとりたい。女子フルーレ自体が結果も出せて、盛り上がってると思うので、東京オリンピックではメダルとりたいです。たくさんの方に応援してもらえると自分も燃えるので、見て下さる方に感動してもらえるようなパフォーマンスを見せて、莉央と一緒に最高の結果を出したいです」

見すえる先は、もちろん来年の東京オリンピックであり、さらにはその先、24年のパリオリンピック。だからこそ、いまできることを一つずつ確実に成し遂げ、強くなる。まず叶(かな)えるべき目標は11月2日、リニューアルした渋谷公会堂で開催される全日本選手権での3連覇だ。最強女子高生フェンサーから最強女子大生フェンサーへ。東の進化はこれからだ。

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