フィギュアスケート

学生たちの練習リンク残して 東京のシチズンプラザ、町田樹さんも存続訴え

シチズンプラザのリンクで多くの学生スケーターが育った(すべて撮影・浅野有美)

都内の大学生が利用する東京都新宿区の「シチズンプラザ」のリンクが来年1月末で閉館する。フィギュアスケートやアイスホッケー、スピードスケートの練習の場だけでなく、一般市民にも愛されている施設だけに、存続を求める声が上がっている。リンクにゆかりのある学生や生徒、慶應義塾大学・法政大学非常勤講師で10月から國學院大學の助教に就任する元フィギュアスケート選手の町田樹さんらにリンクへの思いを聞いた。

「1年間だけでも延ばして」

東洋大学4年の菅原生成(きなり)は大学進学を機に新潟から上京し、このリンクを拠点に練習している。大学卒業とともに現役引退の予定だが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で施設が使えない時期もあり、ラストシーズンに拠点リンクで過ごす時間が短くなってしまった。

「子どもから大人の方まで関わりがあり、『下町』みたいな温かさがあります。いろんな人のよりどころがなくなってしまうのは非常に悲しいです。コロナで使えない期間もあったので、1年間だけでもいいから延ばしてほしいなと思います」と話す。閉館後の予定はめどが立たないというが、年末の全日本選手権出場を目指して練習を続けている。

文武両道が実現できる場所

シチズンプラザの利点は立地だ。大学と競技を両立する学生も多い。このリンクを利用したことがある町田樹さんは「ここは大学のスケートを支えるフラッグシップだということ。この土地、エリアにリンクがあることが重要で、大学が多く集まる高田馬場の中心にあるからこそ大学生も文武両道ができるわけです」と語る。

講師として2大学でダンスを教えている町田さんは、コロナ禍でスポーツや身体活動の重要性に改めて気づいたという。「感染予防によるリモート授業で、学生たちが口をそろえて言うのは、この体育の授業がなければ自分の身体がどうなっていたかわからない、ということ。そういう学生の状況を見て、スポーツマネジメントの研究者としてスポーツは元来選択財と考えていましたが、その価値観は完全に覆りました。必需財です」

関西大学・早稲田大学大学院で学び、スケートと両立してきた町田樹さん(連載)
2月の鎌田英嗣さんの引退エキシビションに出演した石塚玲雄(左端)と菅原生成(右端)

大学でスケートを続ける予定の高校生にも影を落としている。「『スケート難民』みたい」。都内のインターナショナルスクールに通う久保田美佳さん(17)はそうこぼす。12年前からこのリンクで練習を積み、インターハイ出場を果たした。卒業後は都内の大学に進学し、競技と両立する夢を持っている。「閉館後はどのリンクで練習できるようになるのかまだわからない。大学に入ったらここを頼りにしようと思っていたのに……。不安です」と胸の内を明かす。

都心の厳しいリンク環境

中学1年生まで拠点にしていた早稲田大学3年の石塚玲雄(れお)は、「通いやすい場所にあり、学校と両立している人がほとんど。大学からスケートを始めた人でも気軽に滑れるのがシチズンの良さ。閉館になったら東京のリンク事情はより大変なことになってしまう」と心配する。

都内の通年リンクはシチズンプラザ以外だと、新宿区の明治神宮外苑アイススケート場、西東京市のダイドードリンコアイスアリーナ、東大和市の東大和スケートセンターの3カ所。ほぼ24時間稼働しているが、利用者が多く貸し切り時間を確保するのは難しい状況だ。町田さんは「都心のリンクは横浜エリアも含めてすでに逼迫(ひっぱく)しています。ここがなくなるのは都心のスケート文化の『生態系』が崩れることを意味しています。スケート界で緊急事態宣言を出してもいいくらいです」と警鐘を鳴らす。

選手の保護者らが存続署名活動

リンクの存続を求めて、選手の保護者やスケート愛好家らが「高田馬場スケートリンク存続を願う会」を設立し、署名活動を続けている。

存続を願う会によると、リンクを日常的に利用するのはクラブ生200人、明治や立教など20大学のスケーター約150人、スケート教室の生徒600人、生涯スポーツとして取り組む成人100人。閉館によって1000人以上が行き場所を失いかねない。インターネットを含め全国的に呼びかけ、今月6日時点で紙とインターネットを合わせて4500筆を超える署名が集まっている。

高田馬場スケートリンク存続を願う会のホームページ(外部サイト)
最寄駅から徒歩圏内にあり、市民に愛されたシチズンプラザ

都外にリンクも開業予定だが

シチズンプラザはボウリング場として1972年開業、75年にスケートリンクがつくられた。施設を運営するシチズン時計によると、建物の老朽化などを理由に閉館を決定、延期する予定はないという。土地を所有する三井不動産は跡地の利用について住宅事業を検討している。一方で同社は千葉県船橋市の物流施設に通年型のスケートリンクを誘致。リンク2面を備え、今年12月にオープン予定で、スケート教室も設けられる計画という。また東京都は江東区の東京辰巳国際水泳場について、東京オリンピック終了後に通年型のアイスリンクに改修する方針を示している。都の担当者は「ほかの都の施設と同様にクラブチームをつくることは今のところ考えていないが、都民の方に広く使ってほしい」とし、基本計画、運営計画等の検討を進めている。

将来的に新しいリンクができても厳しい声もある。存続を願う会の大井美穂さんは中学2年の娘がシチズンクラブ生でリンクに通っている。「もし船橋市のリンクとなると早朝に往復3時間かけて通わないといけない。学校と両立するなら引っ越しでもしないと……」。同じく小学5年の娘を通わせている川上良子さんは「うちは船橋市のリンクができても通うことができません。都内のほかのクラブに入るにも1、2年待ちです。スケート選手の夢をあきらめることになるのかもしれません」と話す。

存続を願う会がクラブ生にアンケートをとったところ、半分以上が都内のリンクへの移籍を希望しているという。同会は都内のリンクへの移籍が完了するまで利用期間の延長を求めていく。

「スケート界で緊急事態宣言を出してもいいくらい」と危機感を訴える町田樹さん

ビジネスチャンスはある

スケートリンク数は1980年代をピークに減少の一途をたどっている。一方で、2019年には京都アイスアリーナ(京都府宇治市)と関空アイスアリーナ(大阪府泉佐野市)が相次いで開業した。

「短期的なスパンではリンクは減ってはいないですが、全国的には大変な状況に変わりはありません。もう一箇所も失ってはならいという気概で活動やマネジメントをしていかないといけません。80~90年代、スケートリンクはボーリング場と同じようにレジャーとして人気があり、民間企業が運営していました。そのブームが去った後、地方では赤字経営になり、自治体などが補塡しながら公共施設として維持するしかない状態にまで追い込まれてしまったスケートリンクもあるようです。ですが人口が多い大都市圏はそんなことはありません。十分ビジネスチャンスがあると考えています。約45年間、この地でスケート、ボーリング、テニス、カルチャーを支えてきました。これからも使い方次第でスポーツやカルチャーの一大拠点となるポテンシャルをもったエリアです。ここを失うということは『都心の損失』です」と訴える。そして「どうかひとごとと思わずに深く関わっていただきたい。切なる願いです」と結んだ。

【動画】元フィギュアスケーター町田樹さんが語る大学生活とセカンドキャリア

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