アイスホッケー

関大アイスホッケー部主将・高井優希 後輩のために引退を決めたラストイヤー

年齢別日本代表にも選ばれた実力を持つ高井優希

引退。それは全てのスポーツ選手にとって必ず訪れる。多くの者ができるだけ遅らせたいと願うだろう。だが、高井優希(4年、武修館)は例年の4年生より3カ月ほど早く引退の決断を下した。

これまでのように全力で練習に取り組めない

2020年8月31日、第93回日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)が中止になったことを関東の大学の友人からの連絡で知った。予想はしていたため、悔しさはあまり感じなかったという。だがその一方で、「インカレ優勝」という目標を失い、別の新たな目標に向かって取り組むことはできないと感じた。

インカレで関東の大学を倒すことが1番のモチベーションだった

「関西リーグですごい記録を残すっていう目標があるんじゃないかって敬二郎さん(大迫敬二郎コーチ)には言われました。でも、関西リーグですごい記録を達成したとしても何につながるんだろうって思ってしまいました」

インカレで強いチーム、すなわち関東の大学を倒すことが1番のモチベーションだった。思い出作りのために関西リーグに出場するという選択肢もあった。だが、これまでのように全力で練習に取り組めないと感じた。

「主将である自分がチームに悪影響を及ぼしてしまうと思いました」。同期でも話し合い、後輩の試合経験を増やしてあげたほうがいいのではないかという結論に至った。高井は中学、高校で計4回の全国制覇を成し遂げている。だが、大学4年間での全国のタイトルはゼロ。物足りなさを感じながらも、キャプテンマークを後輩に引き継いだ。

順風満帆に見える大学での競技生活の裏で

高井は、全国優勝を経験しているだけではなく、年齢別日本代表にも選ばれている。そんな実力がある選手は関東の大学に進学することが多い。チームメートもそうだった。「中高と戦力的に充実していて、はっきりいって苦労がなかったんです。適当にやっても周りもうまいから指示しなくても勝手にやってくれました」。だが、楽な道は選ばなかった。苦労し、成長したいという思いから関大に入学した。

苦労し、成長したいと進んだ関大だったが……

1年時から第2セットとして試合に出場し、2年時以降は1セット目として出場し続けてきた。順風満帆に見える大学での競技生活。だが、本人にとってはそうではなかった。

「もっと競争がほしいなって思っていました。中高は常にチームメートがライバルで。試合に出てない人も常に抜かそうとしてくる。だから自分も負けないように頑張ろうと思っていました。でも、大学に来たら自分を抜くのを諦めているというか、ポジションを奪おうとしてこない。それがちょっと理解できなかったです」

「センスがあるからいいよな」とねたみのようなことを言われたときもあった。だが、高井はセンスだけで出場権を勝ち取ってきたわけではなかった。試合に出るためにはスタッフとの信頼関係が大切になると考えている。「積極的にアドバイスをもらいにいったり、スタッフからの要望に応えたりっていうことが大事だと思います」。小さな積み重ね、努力をしてきたからこそ、常に上位セットでプレーし続けることができたのだ。

念願の全国制覇の夢は幻に

「僕たちは関西1位なので、関東の大学に食らいついていかないといけない」。昨年、インカレの準々決勝で中央大に敗北を喫したとき、高井は語った。この思いを胸に主将として部を率い、練習に取り組んでいた。そんなとき、突如として新型コロナウイルスが世界を襲った。

氷に乗れなくても週に2回、戦術的なミーティングを部全体で行った。また、他の大学は練習ができていない中で、リンクを持つ関大だからこそ練習ができていた時期もあった。「差を少し埋められるんじゃないかと考えていました」。

今年こそ充実した戦力で全国制覇を成し遂げるはずだった(高井・中央)

今年のチームは戦力的に充実していた。周りからの期待を感じることもあったという。エースは抜けたものの、昨年第1セットの高井、ロウラー和輝(4年、関大一)や瀧本風斗(4年、八戸工大一)、岩瀬谷拓哉(3年、武修館)が残る。徹底された関大特有の戦術と華麗な連携で勝利を、全国制覇を成し遂げるはずだった。しかし、それは幻となった。

「いつ終わりがくるかわからないので、悔いがないように全力で過ごしてほしいです」。最後に後輩に向けたメッセージをお願いすると、苦笑しながらも、こう語った。さまざまなことを感じ、経験してきた高井の言葉だからこそ、より一層重みが感じられた。

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