西武から4位指名の駒澤大学・若林楽人主将 諦めることを諦めてプロの世界へ
4years.野球応援団長の笠川真一朗さんのコラムです。プロ野球のドラフト会議が終わりました。笠川さんは野球大好き芸人の時から気になっていたある選手の動向を、かたずを飲んで見守りました。そして、指名した球団は……
オンラインで「ホッとした」
26日のドラフト会議で僕がオンラインで取材したのは駒澤大学主将の若林楽人外野手(駒大苫小牧)だ。
埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた若林。まずは指名されたことについて率直な思いを語った。「ホッとしました。もちろん嬉しかったですけど、今はまだ実感がないです。夢を見ている感覚」と、ゆっくりと言葉を口にした。西武に指名されたことについては「小学生の頃、すごく好きでした。中島裕之選手や片岡易之選手とか。今でも森友哉選手に山川穂高選手など個性的で魅力ある選手が多くて、そういうチームでこれからプレーできるのはすごく嬉しいです!」と印象を語った。当然かもしれないが、大きな目標を達成した若林はすごく嬉しそうだったし、そんな若林の声を聞いているとこちらもものすごく嬉しい気持ちになった。最初に言いたい。若林くん、本当におめでとう。
一度は諦めたプロ入り
見事に指名を受けたが、一度はプロ野球選手になるという夢を諦めた。2年春から試合に出場し続けるものの、高い身体能力を生かした守備や走塁には自信があったが、打撃ではその手応えをつかめずにいた。数字の面では決してプロに行けるほどの成績を残せないまま、ついに最終学年を迎える。そんな若林にとってのアピールの場はもうこの1年しか残されていなかった。
「春までに不安視されている打撃さえ変わったところを見せれば、インパクトを与えれば自分もプロに行ける。二皮くらい剥けて、絶対に見返してやろう」若林は強い思いを持って一冬の間、自分自身の打撃と向き合い続けて、自信のあった走塁もさらに磨いた。春先のオープン戦では、かつてないほどの成績を残し手応えを持つことができた。
そんな若林に悲しい現実が突き付けられる。コロナウイルスの影響で春のリーグ戦の開催中止が決定したのだ。社会情勢に合わせて寮の閉鎖も決まる。ここで心が折れてしまった。「アピールのチャンスが無くなった……もう自分にはプロは無理だ」と幼い頃から夢に見ていたプロの世界を諦めながら、地元の北海道に帰省した。
大きかった祖父の存在
しかし、この北海道に帰った時期に若林はもう一度、立ち上がる。そのキッカケを与え、奮い立たせたのは6月に亡くなられた祖父の存在だった。「おじいちゃんは僕がプロ野球選手になることを最後まで望んでいました。それがきっかけでまた考えるようになって、まだプロ野球選手になれる可能性があるのにそれを諦めるのはダメだと思いました。とにかく両親や家族、おじいちゃんに良い報告がしたくて。その気持ちが強かったです」と若林はもう一度、強い気持ちを持ってバットを振り続けた。チームの主将としても立ち止まっている暇はない。強い覚悟を持って東京に戻ってきた若林。もうやることをやるしかない。ついに最後のリーグ戦を迎えた。
3試合連続本塁打などで猛アピール
開幕から3戦連続の本塁打を放つなど、ここまで6戦を終えて現在リーグ最多の4本塁打をマーク。口にしていた手応えを見事に実戦で形にした。この秋のこの打撃での成果がなければ、恐らく今回のドラフト会議で指名されていなかたっただろう。若林は当落線上ギリギリの位置で懸命に戦い、その重圧に打ち勝ってプロ野球の世界への切符を自らの手でつかんだ。天国のおじいちゃんもご家族の皆様もきっと喜んでいる。
指名を受けた後、若林は両親に電話をした。「お母さんは泣いていました。お父さんは『選ばれてよかったな』と喜んでくれましたね」と嬉しそうに話した。若林が夢を掴むことで色んな人が幸せになる。この日のことは一生、忘れないだろう。
ここからは個人的な話だ。僕はこの職に就く前から若林のプレーを客席から楽しんでいた。見ていて本当にワクワクするプレーをしてくれる。「この選手はプロ野球で見たい」。そう思いながら見守っていた。そして僕はその後ライターになり、取材という形で彼と対面した。
着飾らないその性格。一見クールだが、熱い気持ちのこもった言葉とその眼差しには「おれは野球で勝負していく」という決意がものすごく伝わってきた。まさに漢(おとこ)の中の漢。とにかくかっこよくて仕方がなかったし、そんな若林を見て、僕も頑張ろうと思える日が何度もあった。そんな漢が、僕の大ファンである西武に入団する。正直、縁を感じざるを得ない。これからもひとりのファンとして若林を応援し、ひとりの野球選手としてこれからも取材を通して若林選手を追い続けたい。
最後に。
「One of these days is none of these days.(“いつの日か”は決してやってこない)」これは若林の座右の銘だ。その「いつの日か」をじっと待つのではなく、自らの手で必死につかみにいった大学野球生活。一度は諦めかけたからこそ見えた感情もあるだろう。この駒澤大学で得た挫折と成功体験はきっとこれからも彼自身の骨となり牙となり自らを支え続けることだろう。「打撃はまだまだです。色んな魅力的な選手の良いところを吸収して、走攻守でチームに貢献できる選手になりたい」。若林の夢は終わらない。本当の挑戦はまだまだこれからだ。
ここからは余談です。
若林はセンターで試合に出場しているが、試合前のサイドノックでは内野手用のグローブを使用して内野手と同じようにノックを受けている。本人にその理由を聞くと「もともと高校まで内野をやっていて経験も長くて。試合状況によっては守ることがあるかもしれません。いつでも守れるように練習しています」とその意図を答えてくれた。プロでは外野だけでなく、内野も守れる多彩なプレーヤーになるかもしれない。楽しみだ。