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連載:野球応援団長・笠川真一朗コラム

京都大学のエース原健登が最後の先発、勝ち負けの向こうへ 

京都大学のエース原健登(撮影・すべて笠川真一朗)

4years.野球応援団長の笠川真一朗さんのコラムです。関西学生野球の優勝争いは、最終の第7週を残し近畿大学と立命館大学に絞られました。26日にはプロ野球ドラフト会議があり、指名候補選手の動向にも関心が集まっていますが、笠川さんはマウンドで黙々と投げ続けた投手を迫いました。

昨秋は3勝で4位躍進の原動力

今回は一足先に全日程を終えた京都大学の原健登(4年、彦根東)に注目した。昨秋のリーグ戦。3年生だった原は3勝(完封勝利1、完投勝利2)を挙げ、京大は1982年の新リーグ発足から最高となる4位の成績を収めた。

京大が初のリーグ4位、細かすぎるデータ分析も躍進支えた

そして迎えた最後の秋、エースは開幕から全試合(10試合)を終えるまで8試合に登板。その内5試合で先発投手としてマウンドに上がる。すべての対戦カードで1戦目の先発を任された原だったが、思うように勝ち星を挙げることができず、チームも1勝9敗と最下位が確定した。10月18日に行われた関西学院大学との第1戦目。原はこの日、学生野球最後の先発マウンドに上がった。

今秋は10試合のうち8試合に登板した

「(最後の先発になることに対して)あまり特別なことは意識しなかったです。前の試合で水江(1年、洛星)が頑張ってくれたので。今日は僕がしっかり投げ切ってチームに勝ちを届けたかった」と、普段通りに投げることを心掛けた。
しかし、試合では初回から連打を浴びるなど2点の先制点を与えてしまう。「立ち上がりには自信があったんですが……関学も先制点を与えると勢いに乗ってくるチーム。そういうのもわかっていたので先制点は取られたくなかったです。自分では意識してなかったんですけど、少し気持ちが浮わついていたのかもしれません……」と、初回の投球を悔やんだ。

2回以降は立ち直った。原の持ち味は140km前後の直球とスライダーやカットボールを駆使して打たせて取る投球。野手のエラーで走者を背負っても決して慌てず、捕手のミットめがけて丁寧に投げ込んだ。8回を投げ切り、失点は初回の2点のみ。最後は本来の投球を取り戻した。「二回以降は切り替えて投げました。自分らしい投球ができたと思います。終盤、足が攣りそうになりましたが、昨年もその経験があったので対応できました。そういうときこそ力を抜いてコースを突く。打たせて取ることを徹底しました」と原は手応えを口にした。

試合終盤にはベンチから大きな声が聞こえた。「原に勝ちつけようぜ!」ハッキリとその声が聞こえた。それこそが原に対するチームメートの信頼の証だ。

京大ベンチから「原に勝ちを」と声が聞こえた

原は2年生からリーグ戦のマウンドに立ち続けた。関西学生野球の好打者を相手に勝ちも負けも経験してきた。正直、京大は他大学に比べると戦力的にも劣っている。ほぼ毎試合のように劣勢が強いられる。そんな厳しい世界で勝負し続けていた原は4年間どんな成長を手にしたのか。どうしても気になって尋ねてみた。「最初は投げることでいっぱいいっぱいでした。でも3年秋くらいからはなんとなく楽しんで投げられるようになって。良い打者が多いから簡単に抑えられない。でも、その勝負を楽しめるようになりました。それは4年間の中での成長かなと思います」と原は振り返る。

楽しむ気持ちも大切

この言葉には鳥肌が立った。「こういう成長もあるのか!」と。野球は勝負事だ。勝ち負けを決める以上はもちろん勝ちに行くのが人間の本能だ。でも、決して勝つことだけがすべてじゃない。楽しむという気持ちも絶対に大切だ。原の成長に本来、野球が持っている本質や魅力を強く感じた。

京大は他の大学とは確実に違う。どれだけ野球が上手でも入ることのできない特別な大学だ。彼らはそんな特別な大学で野球を続けた。それだけでもじゅうぶんに素晴らしいことだと僕は思うし、心から尊敬している。自分が野球推薦で高校、大学と進学したから尚更そう感じる。彼らは「文武両道」の最高峰で野球に打ち込んでいる。その姿はものすごく眩しかった。

電車内で参考書広げる野球部員

スタンドで試合を観戦するであろう制服を着ている京大野球部員と同じ電車に乗って球場に向かう日があった。その部員は車内で参考書のような書物を読んでいた。それを見た瞬間に「あぁ、すごいな」と純粋に胸を打たれた。そして自分が少し情けなく感じた。「文武両道」という言葉はよく耳にするけど、それを体現している野球部はどれだけあるのだろうか。

僕は当時、まったくそんなことを考えずに野球だけに没頭していた。勉強なんて正直あんまり理解していなかったし、ただ授業に迷惑だけかけないように、単位を取得するためだけに漠然と授業を聞いていた。当時の僕の経験と目の前で書物を読むこの子の経験にはきっとそれぞれの魅力があるだろう。僕も僕の大学野球生活は誇りに感じている。でもなぜか、年下のこの子たちに勝てる気が僕は一切しなかった。きっとこれから先の世界で世の中の多くの人から必要とされるのは、野球だけのことを考えてた当時の僕ではなく、勉強のことと野球のことを考えていた彼らのほうだろう。視野の広さや頑張ることの量がまるで違う。

2年秋から京大投手陣を支えてきた

「野球だけやってたらダメだ」とそんな意見を耳にすることが増えたが、大学生にもなると本当にその通りだと思う。全員がいつまでも野球を続けられるわけじゃない。どこかで折り合いをつけて、自分自身を見つめ直し、将来の選択をしていかないといけない時期が必ずやってくる。

そんな時に自分を支えてくれるものが「野球を頑張ってきたこと」だけではその局面を乗り越えることは正直、難しい。そんなに世の中は甘くないからだ。その頑張ってきたことを社会で応用させるためには知識や情報の引き出しが必要になってくる。そう考えると、京大で4年間、野球をやり続けるということはものすごく大きな価値があることなんだと実感した。野球の試合の勝ち負けを超越した人生の話だ。

後出しじゃんけんだけれども

ただ、これは僕が大人になった今だからわかることであって、正直、後出しじゃんけんをしているような気持ちになっている。だから、今現在、野球だけに熱量を注いで必死に練習に打ち込んでる選手たちを否定する気は一切ない。それもそれで本当に大切なことだという経験が僕の中にもあるからだ。むしろ僕がこう思えたのは自分が本気で野球に対して向き合っていたからだと思う。中途半端に野球と向き合っていたら、こんなことにも気付けていなかったはずだ。

どちらが正しいかなんて答えはない。みんな違って、みんないい。みんな頑張っている。それをみんながそれぞれ楽しんでいる。この秋、僕は京大の野球を見てそう思うことができた。お互いがお互いの魅力を持ち寄って学生野球全体の底上げに繋がればいいなと感じる。大切なのは共存共栄だ。

「野球に打ち込んだ熱を次は研究へ」

大学院で音響設計の研究へ

最後に。
原は卒業後、大学院へ進む予定だ。専攻は建築学。音響設計の研究をするという。「野球と勉強の両立をやり切れたのは自分の中で自信になりました。野球に打ち込んだ熱を次は研究に打ち込めれば」と将来を見据えた。

文武両道で手にした自信を抱いて、これからどんな難しい局面を迎えても「(ドラフト候補の近大)佐藤輝明よりは怖くない」と思って乗り越えてほしい。心から応援しています。

野球応援団長・笠川真一朗コラム

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