ホッケー

特集:東京オリンピック・パラリンピック

公務員辞めオランダへ武者修行 ホッケー男子日本代表エース・⽥中健太が描く夢

オランダ1部リーグのHGCでプレーする(すべて提供・田中健太)

11月3日、全日本学生ホッケー選手権大会(インカレ)が開催され、男子は立命館大学が6年ぶり7回目の優勝を果たした。母校の快挙に胸を熱くしたのがコーチを務めた、日本代表チーム「サムライジャパン」の⽥中健太(32)だった。立命館大学卒業後に和歌山県庁に就職、30歳で辞めて強豪国オランダのプロリーグに挑戦した。異色の経歴を持つエースストライカーは東京オリンピックでさらなる飛躍を誓う。

小学生で出会ったホッケー

滋賀県米原市出身の田中は春照(すいじょう)小学校3年の頃、スポーツ少年団でホッケーを始めた。地元はホッケーが盛んな地域で身近なスポーツだった。「正直に言うと、他の地域と違って選択肢が野球とホッケーくらいしかなくて」と冗談っぽく笑うが、それがオリンピックロードの始まりだった。

全国屈指の伊吹山中学から天理高校、関西1部リーグ決勝戦常連の立命館大学に進学した。大学時代に身についたのが「考えるプレー」だった。「指導者から練習メニューを与えられるわけではなく、学生自身が考えて練習をやっていました」。ラストシーズン、京都のホームグラウンドでの優勝はとくに感慨深かった。

30歳で県庁を退職、単身オランダへ

大学卒業後は和歌山県庁で勤務しながらクラブに所属し、活動を続けた。退庁後の夜間を中心に練習し、日本代表としても活躍した。「オリンピックでメダル」という目標を掲げる一方、出場枠獲得を逃してきた。海外との差を痛感する中で、やがて「自分の能力を高めたい」と強く思うようになった。

そこに転機が訪れた。日本代表チームのオランダ遠征中、田中の活躍が現地のクラブの目に留まり、声がかかった。「オランダリーグにチャンスがあれば多少のリスクがあっても進むべきかなと思った」。周囲はほとんどが反対だったが妻は背中を押してくれた。それで覚悟が決まった。2018年、30歳で公務員を辞めて単身オランダに渡った。

オランダで感じた練習のバリエーション

田中はホッケーの世界最高峰である1部リーグのクラブ「H.O.C. Gazellen-Combinatie(HGC)」に所属した。最初は苦労の連続だった。「言葉の壁が不安で、英語はほとんどできないまま、『なんとかなるやろ』という思いで飛び込みました。チームでは積極的に自分からコミュニケーションをとるようにしました」

ポジションはFWで、レギュラー争いは熾烈だった。最初は遠慮がちでプレーも安全運転だったが、コーチのアドバイスもあり、持ち味であるドリブルやチャンスメイク、スピードを使ったプレーでアピールすると、結果につながった。レギュラーポジションを獲得し、2年目にはリーグ3位に貢献した。

オランダで衝撃を受けたのが練習のバリエーションだった。「日本のチームは同じ練習を繰り返してやることが多いのですが、オランダでは試合の結果から次の日の練習を決めるなど、練習のバリエーションが多いです。反復練習も大事ですが、ある程度レベルが上がれば試合や自分たちの改善点に合わせて練習する必要があると思います。そういうところを吸収して日本のホッケー界に還元したいです」と語る。

コーチを務める立命館大学男子がインカレを制した。後方左端が田中

オリンピックのメダルと競技の普及

新型コロナウイルスの影響で昨シーズンのリーグは途中で中止、外出制限で練習もままならない状況だった。9月に新シーズンが始まるも中断し、先月から一時帰国している。

だが、モチベーションはまったく落ちていない。開催国枠により出場権を獲得した東京オリンピックでメダルをとるという目標があるからだ。「海外選手と体格差はあっても、日本のカウンターアタックは強みですし、スピードのある選手はたくさんいます。技術や守備の考え方をもう少し向上できれば世界と戦えると思います。オリンピックで日本代表がメダルをとることで認知度は高まると思います」と話す。

日本でホッケーを普及させるという夢もある。「そもそも日本ではホッケーに触れる機会が少なく、競技ができる環境が限られています。競技人口も少ないです。オランダはクラブがたくさんあり、各クラブに4~5面くらいピッチ(グラウンド)があります」

次世代の育成にも携わる田中は約2年前から母校の立命館大学でコーチを務める。今月3日のインカレ優勝を受け、「指導者っていいなと思いました。コーチとして携わる中で日本の競技力を底上げしたい」と胸を熱くする。

ホッケー界の「キングカズ」のように

「Unlim」を通して得た支援金はホッケーの普及に生かしたいという。「ホッケー教室だったりイベントだったりを開いていけたらいいなと思います。スポーツをするときに選択肢の一つとしてホッケーがあるような状況が作れたらと思います」

53歳でサッカーのピッチに立ち続ける「キングカズ」こと三浦知良(横浜FC)はあこがれの存在だ。自身もサムライジャパンの最年長エースストライカーとしてチームを引っ張る。プライベートでは第1子となる女児が誕生したばかりで一時帰国中は家族と充実した時間を過ごしている。

選手として、指導者として、日本ホッケー界の未来を見つめる32歳。「根底にあるのは日本代表を強くし、世界トップ5になる国にしていきたいという思いです」。野球やサッカーなどメジャーなスポーツも先代の活躍や普及の努力により、多くの人に親しまれるようになった。ホッケー界では田中がその先頭に立って取り組んでいる。そのぶれない熱い思いが結びつく日を待ちたい。

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