ハンドボール

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

ハンドボールの土井レミイ杏利 日本代表主将とレミたん、2つの顔はどちらも自分

土井レミイ杏利は大崎電気で2年目のシーズンとなる(撮影・すべて森田博志)

8月29日に開幕したハンドボールの日本リーグで、男子日本代表主将の土井レミイ杏利(30)は連覇を目指す大崎電気で2季目を迎えた。人気TikToker(ティックトッカー)の顔を持ち、この球技の普及に力を入れる土井にとって、コロナ禍で試合の観客数に制限があるスタートは逆風だ。東京オリンピックも延期になった。それでもぶれずに前を向けるのは、一度失ったハンドボール人生を再び歩める幸運をつかんだからだ。

日体大4年で引退を決意、荒れた夜

小学生から打ち込んだハンドボールをあきらめたのは日本体育大学4年の時だった。強豪の浦和学院高から名門へ進んだ。1年生の時に痛めた左ひざが最上級生になり再び悲鳴を上げた。軟骨が損傷していてもう治らないと医師に告げられた。「注射を打つなどごまかしながら1年間やった。元々、攻撃タイプですが、オフェンスは負担がかかりすぎて、ディフェンス専門みたいな形でした」

チームは全日本学生選手権で優勝したが、ひざはもう限界だった。痛みで歩くのもつらかった。「『ひざにずっと爆弾を抱えながらやることになる』と言われ、中途半端に続けるぐらいなら、好きだからこそきっぱりやめようと思った。実業団の誘いは断った」。引退を決意した夜は、さすがに荒れた。

消えたヒザの痛み、まさかのプロ契約

フランス人の父と日本人の母の間に生まれ、3歳までフランスで育った。2012年に日体大を卒業し、ビジネスにも役立つと一からフランス語を学ぶため父の母国へ留学した。その夏のある日、「走りにでも行くか」と一緒にホームステイしていた同僚と外へ出た。少し走っても不思議と左ひざは痛まなかった。「ハンドボールがまた、できるかも」と頭によぎった。「フランス語を学ぶ目的があったので、ハンドは趣味程度でやるつもりだった。本気でやれるなんて思ってもなかったし。ただ、語学学校はやめました」。1部の強豪シャンベリの下部組織の練習に参加させてもらった。クラブで選手らに積極的に話しかければ、ネイティブなフランス語が話せるようになると考えた。

左ひざが回復し、奇跡の復活を果たした

本人の想像を超えるスピードでハンドボール勘が戻っていった。その時の心境を土井は振り返る。「何をやるにしても『楽しい』と感じている瞬間は、うまくいくじゃないですか。うまくいけば、また、楽しいという好循環が生まれた。『自分の人生』とまで思っていたハンドボールをあきらめ絶望した。それがまたできる。人生を取り戻すことができたという感覚があった。プレーをどれだけ失敗しても、ミスしても楽しい。そういうメンタルの時は間違いなく誰だって活躍する。トップを目指すつもりもなく、プレッシャーもなくノビノビ、楽しくやって結果もついてきた」

もちろん高校、大学とストイックに鍛えた技術や身体能力の高さがあってのことだった。充実した1年が過ぎ、計画通り日本へ戻ろうとした時、まさかのプロ契約を打診された。チームには、12年ロンドンオリンピックで優勝したフランス代表のメンバーもいた。ハンドボール界では世界的なビッグクラブからの誘いは夢物語に思えた。結局、7年間、フランスのリーグで活躍し、17年にはオールスター戦に当たる「ハンドスターゲーム」の外国籍選抜チームにも選ばれた。

東京オリンピック見据えて帰国

東京オリンピックは、ハンドボール男子日本代表にとり1988年のソウル以来、8大会ぶりのオリンピック出場となる。フランスを離れ、昨季から大崎電気に加わったのは、東京大会で日本を飛躍させるためだ。フランスにいると、どうしても代表活動期間が限られたという。「オリンピックに向けチーム作りをするのであれば、長い時間かけていかないと。僕がフランスリーグで培ってきたプロ意識のところをチーム全体に還元していかないと強くならないと感じていた。時間がかかる作業を、日本に帰って少しずつチームに浸透させていかなきゃいけないと思った。やっぱり、出るからには結果を残したい。これ、格好つけて言ってるんですけど、一番は日本食が恋しかったからです(笑)」。土井は冗談に包みながら話し、戻った理由をさらに挙げた。

東京オリンピックに備え帰国したが、1年延期された

「僕がフランスに行ったころ、周りに日本人で活躍している選手はほとんどいなかった。そもそも、行く前からあきらめている風潮があった。『俺じゃ無理だよ』みたいな。それを覆したいと思っていた。そういう成功例が必要で、しかも、行ってすぐ帰ってくるのではなく、活躍し続ける、希望であり続けることが大事だと思っていた。有望選手が海外に行くようになり、役目は一応、果たしたという感覚があった」。若手の成長が頼もしく映った。

TikTokerとしてもう一つの顔

代表主将と並ぶもう一つの顔が100万を超えたフォロワーを抱える人気TikTokerだ。まだ、フランスにいたころ、日本の友人から、「レミたんがやったら絶対、面白い」と世界的人気の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」に投稿してほしいと言われた。最初は友達を笑わせるためだけにやっていた。ニックネームの「レミたん」は最初に勧めた友人が土井を呼ぶ愛称だ。プレー中の姿からは想像できない、豊かな表情やコミカルな動きが視聴者を和ませている。志村けんとジム・キャリーの影響を受け、小さいころから体の動きや表情だけで人を笑わせることに興味を持っていた。昔を知らない周りの選手らから、普段の生活で「そのTikTokのような動きいいから」と言われることがあるが、ずっと前から動画のような動きで笑いを誘っていた。時代が土井に追いついてきた。

本人もお気に入りのTikTok「選ばれなかった服の気持ち」の一コマ

昨年、初めて日本リーグで戦い、観客席の寂しさに改めて気づいた。「誰もお客さんを一杯にしようなんて考えていない。僕はサポーターの大切さをすごく知っている。フランスでは強敵相手に何回もサポーターの後押しで勝ったことがあった。彼らも僕にとったらチームの一員。チームメイトを欠いている状態で試合をしている感覚だった。誰もその大切さに気づいていない。自分で何とかしないと、という感じです」。TikTokへの投稿を本格化させたのは日本に戻ってきてから。「チームを応援してもらうには、自分をまず知ってもらおうと。コートから一歩出た自分を表現できるプラットホームにしようと思った」。一つの動画を完成させるまでの時間は様々で、3時間半かかったものもあるという。

最近のお気に入りは、「選ばれなかった服の気持ち」というもので、兄に撮影してもらい、洋服の選ばれたい気持ちから選ばれなかった時の悲しみや切なさへの変化を表現した。今年中にはと思われていた「レミたん」アカウントのフォロワー100万人突破を7月に達成した。「暗いニュースばかりで、一瞬でもクスッとできるような瞬間を作りたくて。僕はそれだけで幸せです」。ちなみに、動画作製はハンドボールには全くつながらないという。「よく聞かれるますが、どっちも本当の自分なんです」。TikTokには、情報流出の懸念があるとしてトランプ米政権に規制の動きなどがあるが、「知ってもらえる機会が増え、ハンドボールにもいい影響が出ているので」と行方を見守っている。

国内にハンドボールを普及させたい

フランスでは選手がハンドボールの普及を考える必要はなかった。1~2万人収容の会場が満員になることも珍しくない。選手はプレーに集中すればよかった。日本に戻り、土井は普及を強く意識している。「ハンドボールを直接見てもらえれば、絶対好きになってもらえる自信はある。競技を知らない人に会場へ足を運んでもらうことが一番難しい」という。だから、計画通りに東京オリンピックが開催されれば、普及の大きな好機になる。また、ハンドボールの講習会などを開いた時は、短くても講演する時間を必ずもらい、子どもたちに夢を持つことの大切などを直接、語りかけている。「ギフティング(寄付)」というシステムを知り、集まったものを講習会の費用などに充てられればと参加を決めた。

「若いうちはめげている時間なんていらない」

コロナ禍で今年の全日本学生選手権が中止になるなどハンドボールの大会も影響が出ている。「若いうちはめげている時間なんかいらない。道は続いている。すぐに別のゴールを設定して、道を作り直せばいい。そこの時間が短ければ短いほど、他と差がつく。どれだけ転んでも、首だけは上に向けるように。大学で引退を決意した時、さすがに落ち込んだけど、2、3日で復活した。へこんでいる時間はすごく短かかった」。土井だからこそ、学生に贈れる言葉だった。

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