ハンドボール

ハンド宮崎大輔、五輪のため日体大に再入学 「迷ったら走る」

3月17日のシーズン最終戦には、宮崎目当てに多くのファンとメディアが駆けつけた(写真提供・日本リーグ)

実業団から大学生へ――。ハンドボール界で抜群の知名度を誇る宮崎大輔が、37歳にして異例の進路をとろうとしている。15年在籍した大崎電気を去り、この4月から日本体育大に再入学するという。「正直、どれだけやっていけるのかという不安も期待もあります。昔からそうしてきたように、ただがむしゃらに頑張りたいです」。宮崎は言葉に力をこめた。

「もっと自分を成長させないと、代表に選ばれない」

この決断は、日本リーグのプレーオフが始まる3日前の3月12日、突然本人がブログで発表した。「練習量を上げて基礎から叩き込もうと思います」。そうつづった真意について、宮崎はこう語る。「いまの自分にとって、いちばんの目標は東京オリンピック。単に出場するだけではなく、ハンドボールを多くの人に知ってもらえるようなプレーをできるようにしたい。そのための選択でした」

「ただがむしゃらに頑張りたい」。その一心で新しい道を選んだ

ハンドボール男子の日本代表は、来年の東京オリンピックに32年ぶりに出場することが決まっている。開催国枠の恩恵を受けた。2004年アテネ大会前から日本代表としてオリンピックに出るために戦い、一度も壁を破れずにきた宮崎にとって、まさに悲願の夢舞台だ。宮崎は今年1月の世界選手権でも代表に選出されているが、「もっと自分を成長させないと選ばれない」と、危機感を持つ。

実際、代表はいま、若手の台頭が著しい。かつてスペインに渡った宮崎のように、メンバー中3人がフランスやハンガリーのチームに所属。ハンドボールが盛んなヨーロッパで鍛えた技を、代表に還元している。

所属先の大崎電気でも世代交代は進んでいる。宮崎にとって最後の試合となった3月17日のプレーオフ決勝。宮崎が交代で出ていったのは前半10分すぎ。シュートを2本放ったが決められず、後半は出番がないまま23-27で負けた。

最後のトヨタ車体戦は出番が少なく、2本のシュートを放つにとどまった (写真提供・日本リーグ)

「もっと自分を成長させないと」。そう思い悩むなかで見いだしたのが、日体大への再入学という道だった。「僕は昔から、迷ったら走ってるんです。根底にあるのは学生時代のキツい練習。松井(幸嗣)監督に相談したら、『キツいときに何ができるか、どれだけ差をあけられるかだ』という言葉をもらって。もういちど日体大に行きたいと思いました」

ゼロからのチャレンジ

かつての大学生活は、スペイン留学のため2年生の途中で休学し、その後中退している。そのため、今回の再入学後も2年間は学生として選手登録できる。宮崎は約20歳下の学生たちと争い、メンバー入りをめざす。早ければ、4月13日に始まる関東学生春季リーグに出場する可能性があるという。

ただ、もちろんレギュラーが確約されているわけではない。宮崎は覚悟をこめて言う。「最初は練習についていけるかどうかも分からない。体を絞って、まずはキツさを覚えるところから始めないと」。年齢を重ねたいま、「けがをするのがいちばん怖い」とも話すが、「自分の体とこれまで以上に向き合いながら、チャレンジしていきたい」と決意を語った。

東京オリンピックまで500日を切った。宮崎大輔の挑戦が、ここから始まる

もちろん、学生の本分である学業もある。「やっぱり宮崎は卒業できなかった、って言われるのは嫌ですからね。苦手ですけど、ちゃんと授業も出ますよ」と笑う。収入はなくなり、「学割をフル活用する」という。

「ハンドボールも単位も収入も、すべてゼロ。ゼロからのスタートだと思って頑張ります。見てて下さい」。心なしか若返った笑顔で、再出発へ意気込んだ。

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