野球

日本通運の澤村幸明監督、「松坂世代」の先頭ランナーが迎える新たなステージ

「1年目だから思い切ってやろうと思う。泥臭く戦います」と笑顔で語る日本通運の澤村幸明監督(撮影・樫本ゆき)

都市対抗野球大会に6年連続出場する日本通運(さいたま市)は今年から澤村幸明(こうめい)新監督(40)が指揮を執る。1980年度生まれの「松坂世代」。阪神の藤川球児らが引退し現役のプロ野球選手が少なくなる中、澤村監督は新たなステージに挑む。どんな初采配をみせるのか。26日にホンダ熊本(大津町)との初戦を迎える。

九回2死から起死回生の本塁打

「奇跡のバックホーム」で有名になった1996年夏、第78回全国高校野球選手権大会決勝の松山商―熊本工で九回裏2死から起死回生の同点ホームランを打った熊本工の無名の1年生を覚えているだろうか。身長175cm、体重65kgの細い体で、初球のインコース高めをライナーで左翼線越えに放り込んだ。甲子園に地鳴りのような歓声が響くシーンは多くのファンの記憶に残っているかもしれない。松坂大輔を擁した横浜が全国制覇する2大会前、「松坂世代」という言葉はまだなく、世代の先陣を切って甲子園に名をとどろかせた「伝説の球児」の一人である。

第78回全国高校野球選手権決勝、9回裏熊本工2死、澤村は左越えに同点本塁打を放つ(撮影・朝日新聞社)

あの一発のことを聞くと、澤村はいつも黙ってしまう。「まぐれです」と。苦笑いだけを浮かべて、話を終わりにしてしまう。準優勝に終わった悔しさもあるだろう。澤村の本塁打で追いついた熊本工は延長十回1死満塁、ライトへの飛球でサヨナラ勝ちと思われたが、代わったばかりの松山商右翼手の「奇跡」のような返球ではばまれた。そして、十一回の守り、先頭打者のレフトへの飛球を自身が後逸し(記録は二塁打)、決勝点を与えてしまった負い目もある。

松坂が活躍することになる高3の夏は熊本大会決勝で九州学院に1-16で敗れ、甲子園出場は1回だけに終わった。

9回裏熊本工2死、澤村は左越えに本塁打を放ち生還しガッツポーズ(撮影・朝日新聞社)

甲子園で活躍したあとは、学校に全国から多くのファンレターが届いた。どこへ行っても「スーパー1年生」と言われ続けた。そのことは励みにし、力に変えてきた。「甲子園は素晴らしい場所。もう一度あの聖地に戻るんだと言う思いで、きつい練習を乗り越えた」と話す。

「あのホームランに絡めて『大事な場面で結果を出すのはどうしたらいいか』とよく聞かれます。普段から試合を想定した練習を本気でできるかどうかだと答えています。練習でできないことは、試合でもできない。守備練習ひとつでも、自分の声やジェスチャーが相手に伝わっているか。そこまで徹底して練習しないと、練習ではない」。華やかに甲子園デビューを飾ったが、無口で練習熱心な九州男児。「負けず嫌い」と自分で言う。「あのホームランだけで自分を見ないで欲しい」。多くを語らないのは、そんな無言のメッセージにも受け取れる。

法政大学で活躍し日本通運へ、4年の社業を経て監督

そんな澤村が今年、日本通運の監督に就任した。熊本工高から法政大学に進み、東京六大学では2度のリーグ優勝を経験し、二塁手でベストナインを受賞した。日本通運に入社後は、日本代表にも選ばれた。補強選手を入れて13回の都市対抗出場を果たし、10年選手の表彰を受け、13年の選手生活にピリオドを打って2015年に引退。4年間、社業に専念していたが、前任の藪宏明監督から監督にならないかと声をかけられた。

驚いた。チームは勝っていたし「なぜ今? 自分が?」と戸惑いがあった。今までコーチ経験がなく、選手一筋でやってきただけに不安もあったが、信頼を置けるスタッフとチーム強化を行えるという提案に背中を押された。同期入社の元正捕手、鈴木健司にサポートをお願いすると「断る理由なんてない」。3年ぶりの現場復帰となる鈴木に「気心知れた仲だし、野球観も合う。幸明に恥をかかせちゃいけない」と言われ勇気が湧いた。一新した4人のスタッフ全員が40歳以下と若い。「スタッフ、選手を信じて、自分も成長していきたい。やるからには、もちろん結果にはこだわる」と話す。

盟友である鈴木健司コーチ(左)ら、若いスタッフ陣の意見を聞き、尊重する澤村監督(撮影・樫本ゆき)

澤村が引退した時、誰よりも惜しんでいた現キャプテンの浦部剛史(広陵-神奈川大学)は「1年目で二遊間を組んだのですが、ショートの澤村さんは社会人野球の選手ってすごいんだなと思わせてくれた選手でした」と述懐する。不言実行。黙々と努力する先輩だった。しっかり股を割って、ボールを捕球する。そして、投げるまでの動作が流れるように自然だったのを覚えている。「練習から根拠を持って取り組んでいました。何か盗めないか、いつも澤村さんの動きを見ていました」と告白する。「監督になって、自分が有名になりたいとか、大監督になりたいとかさらさら考えていないと思うんですけど、個人的に『絶対、大監督にさせなあかんな』と思っています」

チームスローガンは「一心」

「ONE TEAMという言葉は口で言うのは簡単だけど、一人ひとりの人間形成が大事になってくる。このチームは個の力はあるんです。でも技術だけじゃ勝てない。心を一つにする人間性が重要。私も選手と一緒に成長していけたらいいと思う」。澤村はミーティングで選手にそう話し、チームスローガンを「一心」とした。「心」の中には、地域ファンも含まれる。「ファンを増やしたい。愛されるチームになりたいですね」。シャイな性格だがファンサービスも頑張りたいと思っている。

背番号は現役時代の7を二つ並べた「77」。高校の大先輩、故川上哲治氏が巨人の監督時代につけていた番号と同じだ。名誉ある背番号を背負い、高校、大学時代、そして日本通運の選手としてつかめなかった「日本一」を狙う。

96年夏の決勝の放送に、野球少年の息子は……

今春、緊急事態宣言中のゴールデンウィークに「甲子園名勝負」として1996年夏の決勝戦が放送されたが、小学6年生の長男はテレビに背中を向けてしまったそうだ。
「ホームランはカッコいい。でも……」
負けて、閉会式で号泣している父親の姿を見たくなかったらしい。2年生の次男も兄と同じ野球チームに入り、練習着を真っ黒に汚して帰ってくる。野球の話題が広がる、にぎやかな食卓が戻ってきた。
「息子たちに、カッコ悪いところは見せられませんよね」
野球を頑張る息子たちの姿も、新監督のモチベーションになっている。

松坂世代 松坂大輔投手(西武)がエースだった横浜高が1998年の第70回選抜大会と第80回全国選手権大会で甲子園を春夏連覇。同期の80年度生まれの選手は逸材ぞろいで、多くがプロ野球入りもした。今年、藤川や楽天の渡辺直人、久保裕也が引退を表明、日本野球機構(NPB)の現役は11月25日の日本シリーズ第4戦で先発した和田毅(ソフトバンク)と松坂の2人になった。

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