バレー

特集:全日本バレー大学選手権2020

日体大が筑波大を倒して準決勝へ 筑波の“頭脳”山口裕太郎が坂下純也と歩んだ4年間

筑波大の山口副将はコートに立つ時間こそ少ないが、筑波大の“頭脳”として活躍してきた(撮影・全て松永早弥香)

第73回 全日本大学男子選手権 準々決勝

12月3日
筑波大学 2(25-20.25-16.23-25.21-25.14-16)3 日本体育大学

筑波大学vs日本体育大学。ベスト4をかけた、まさに激闘だった。

筑波大主将・坂下純也「支えてくれた仲間がいたから」 負けて学んだ全てをインカレに

坂下主将が牽引し、山口副将が支える

筑波大主将の坂下純也(4年、駿台学園)が「第1セットのスタートは完璧に近いバレーができた」と振り返ったように、試合序盤、まず筑波大が主導権を握った。サーブで攻撃の選択肢を絞らせ、ブロックでワンタッチを取って切り返す。理想的な展開で第1セットは25-20、第2セットは25-16で2セットを連取した。

筑波大は下級生が多く、コートに立つ4年生は坂下だけ。だが攻守にわたり坂下が主将らしいプレーでチームを牽引(けんいん)するその陰で、縁の下の力持ちとしてチームを支えるのが副将の山口裕太郎(4年、高崎)だ。自らの役割を「その時々で、勝つ確率が一番高い方法を伝えること」と言うように、試合中もリザーブエリアで体を動かすのではなく、ベンチに座り、その時々の展開で得られた情報を伝え、共有する。時にはノートへ書き込み、リアルタイムで送られてくるデータをパソコンやタブレットで確認しながら、どこへサーブを打つのが効果的か、この選手の攻撃時にはどこで守ればいいかを伝える。

その時々の展開で得られた情報をチームに伝え、勝利に近づけるのが山口の役割

所々では、自らコートに入ってサーブを打つこともあるが、その際もジャンプしてハーフスピードで打つハイブリッドサーブだけでなく、コート前方の空いたスペースへ落とすジャンプフローターを打ち分ける。コートに立つ時間は少ないが、紛れもなく、筑波大の“頭脳”と言える存在だ。

坂下からの朝食と書き置きのメモ

4年生は4人だけ。入学した時点から、駿台学園高で三冠した坂下が中心になるだろうと思っていた。山口はそう振り返る。

「純也は人を引きつける力があるんです。人と人をつなげようと意図的に誰かと仲良くするとか、そういうことはしないし、どちらかと言えば不器用で口下手。でも、練習からこだわるところは手を抜かないし、自然に『純也のために』と周りから思われるような存在。だから僕は、純也が得意じゃないところを補えれば、と思ってやってきたつもりです」

1年生の時から試合出場の機会を得た坂下と異なり、山口はデータを収集し、分析するのが役割。リーグ戦で試合が続けば選手も疲労するが、膨大なデータをいかに分かりやすく、かつ勝利するための要素にできるか。情報分析のスペシャリストであるアナリストたちと同じか、それ以上に疲労する。試合が終わればすぐに映像やデータを分析しなければならないため、睡眠時間も削られ、疲労も重なれば寝坊するかもしれない。「万が一寝坊しても起こしてもらえるように」と、ひとり暮らしの家の鍵を坂下に託していた。

入学して1年目の春、秋とリーグ戦が進む中、2~3時間の仮眠から目覚めるとテーブルに置かれていたのは朝食と書き置きのメモ。自身を気遣い、感謝を伝える坂下の言葉に、1年生だった山口は決心した。

「こいつのためにかけよう。4年間、絶対に純也を支えようと決めました」

準々決勝においても、坂下は攻守にわたってチームを牽引した

日体大主将・西村が組み立て、高橋が決める

1、2セットは自チームがやるべきことを押し出し、相手を圧倒していたのに対し、3セット目からは日体大も応戦。筑波大のアウトサイドヒッターの垂水優芽(2年、洛南)が「対策してきた相手に押されてしまった」と振り返ったように、日体大は主将の西村信(4年、高川学園)を中心に組織的なバレーで攻め、最後はルーキーの高橋藍(東山)が決めるという、日体大の強みを存分に押し出すバレーを展開。それまでは自分たちのペースで押していたはずが、捨て身の相手に押されることで、構わず押し返すのではなく受けてしまったことで、流れは徐々に日体大へ。

それでも最終セットは坂下が気迫をこめたブロックやスパイク、レシーブで盛り返し、一時は10-7とリードしたが、西村のサーブから日体大も猛追。要所を高橋が立て続けに決め再逆転。坂下のスパイクで筑波大も応戦しジュースにもつれ込んだが、最後は高橋が続けて決め16-14。逆転の末、大熱戦を制し、日体大がベスト4進出を決めた。

坂下から山口へ「感謝しかない」

試合後、肩を落とす坂下を見ながら山口は「もっとできたことがあったんじゃないか」と悔やんだ。

「試合がない中、しかもコートに立つのは下級生ばかりの中で、筑波のバレーに立ち返り、その中心で純也が引っ張ってくれた。みんなで練り上げて、一つひとつ詰めて試合に入ったので、『絶対にこのチームが勝つんだ』と自信を持っていた。だから、最後に課題を克服できず、純也を助けられず申し訳ないし、悔しいです」

試合後、坂下はじっと静かに悔しさをかみしめていた

互いを思う心。それは坂下も同じだ。

「支えてもらったのは自分の方。感じていてもうまく言葉にできないことを、裕太郎と話す中でまとめることができて、形にすることができた。感謝しかないです」

少ない同期で支え合い、厳しい練習に耐え、つくりあげてきた4年間。道半ばで夢は終わるが、コートに立ち、見せた姿。そして主将を支える絆。新たな伝統として、これからに刻まれていくはずだ。

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