早稲田主将・宮浦健人 4連覇がかかった未知数のインカレ「全てを出し尽くす」
11月30日、バレーボールの全日本インカレが開幕する。早稲田大学主将の宮浦健人(4年、鎮西)にとって、最後の年、キャプテンマークをつけて臨む大舞台。4連覇のプレッシャーがあったとしても、例年通りの当たり前が当たり前に行われた1年ならば、集大成とも言うべき大会に胸躍らせていたことだろう。
もちろん、最後の大会に向けて「全てを出し尽くす」と、かける思いは変わらない。だが、大会開幕に先駆けて11月17日にオンラインで行われた記者会見の席上、宮浦が発した言葉には、大会ができる喜びと同じぐらい、できることならもっと戦いたかったという無念さ、そしてこの場に立つことのできない選手たちへ向けた覚悟も含まれていた。
「全日本(インカレ)は開催されますが、この1年、いろんな大会がなくなった。4年生として最後の年で、すごく試合をするのを楽しみにしていたので残念でした。それでも僕たち早稲田は最終目標を全日本インカレにして取り組んできたので、そこに向かって、全日本インカレがあると信じて練習に取り組んできましたが、今回、全日本に出られないチーム、4年生もいる。すごくつらい気持ちになっているだろうと感じるので、その思いも僕たち、試合に参加できる人たちが背負って、全力で泥臭くやっていくことが自分たちの役割だと思っています」
鎮西の2年生エースとして春高の決勝へ
バレーを始めたのは小学2年生の時。母や兄の影響で何気なく始めたこともあり、「サッカーの方が面白そう」と思うことも多かった。実際、4年生になってからはバレーの傍ら、サッカーチームにも加入。幼いころはどちらかと言えば、関心はバレーよりサッカーにあった。
そんな宮浦が少しずつ、バレーの面白さを感じたのは高校に入ってから。鎮西高(熊本)でサウスポーエースとして1年生の時から注目を集め、春高にも出場したが、1回戦で早稲田実業高(東京)に敗れた。インターハイ、国体など高校生にも多くの公式戦はあるが、やはり一番の目標は春高だ。翌年も熊本代表として出場を決めたが、組み合わせを見てまた愕然(がくぜん)とした。1回戦で荏田高(神奈川)に勝利すれば、2回戦で対戦するのはインターハイ優勝校で第1シードの大塚高(大阪)。セッターを軸としたコンビバレーを武器とするチームで、エースを軸に攻めるオーソドックスなスタイルで戦う鎮西にはやや苦手な相手だった。
だが、初戦を勝利した鎮西の快進撃はそこから。2年生エースの宮浦が大活躍し、ストレートで大塚を打破すると、3回戦、準々決勝を勝ち上がり、準決勝は駿台学園高(東京)と対戦。中学で全国制覇を経験した選手がそろう駿台学園は、2年生主体ながら優勝候補と呼び声も高い。そんな相手とのフルセットにもつれ込む大熱戦を制した鎮西は決勝へ進出。優勝まであと一歩と迫ったが、前年優勝校の東福岡高(福岡)にストレートで敗れ、準優勝に終わった。
春高での敗北で成長、さらに早稲田大で戦略を学び
結果だけを見れば優勝と準優勝には大きな差があり、さぞ悔しかったのだろうと想像する。だが宮浦にとっては負けたことよりも得られたことの方が多く、むしろ初めて立った春高決勝のコートは、今までバレーをしてきた中でも一番と言ってもいいぐらい楽しい場所だったと振り返る。
「それまで勝てていない相手に勝って決勝へ進めたこと自体もうれしかったし、ここで自分が踏ん張らないと試合には勝てない、という責任感も生まれた。自分自身を成長させられるきっかけになった試合でした」
それまでは全体練習の後に行う自主練習も、何となくこなすだけという意識だったが、決勝で敗れた経験や、エースとしての自覚が取り組む姿勢を変えた。最後の春高は2回戦で敗れ、高校時代に全国制覇の目標を達成できなかった。
しかしその経験が生かされ、更に選手として成長を遂げたのが、早稲田大に入学してからだ。高校まではシンプルに、「どんなボールも上がってきたらとにかく打って決める」と考えていた。技術に目を向けることはあっても、細かな戦術までこだわることはなかった。だが早稲田大で学ぶバレーは、宮浦にとって全てが初めてと言ってもいいほど、新たな気づきばかりだった。
「まずリードブロックを学ぶと言っても、最初は全然分からなかったし、全然できなかったんです。攻撃面もクイックやパイプ、センターラインがベースになってくるので、24対24とか、競った終盤でもクイックを使うし、決めてくれる。高校まではその状況だったら、何枚ブロックがきても絶対自分が打つのが当たり前だと思っていたので、そうやって(センターラインを軸に)組み立てるとサイドが(ブロック)1枚とか1.5枚になるケースが多いし、周りもすごい選手ばかりなので、より決めやすくなる。こういう戦い方があるんだ、と試合をしながら学べたのが早稲田に入ってからの4年間でした」
ひとつ下の西田有志と競い合いながら
現在日本代表のオポジットとして活躍し、同じ左利きで、年齢も1学年下の西田有志(ジェイテクトSTINGS)とはアンダーカテゴリーからともにプレーしてきた。2017年のU19アジアユース選手権で優勝した際、主将も務めた宮浦がMVPを獲得したのに対し、西田はリザーブに留まり、同年3位となったU19世界ユース選手権に西田は出場すらできなかった。
そんな悔しい経験もあって、西田はことあるごとに「宮浦選手には負けたくない」と口にし、高校卒業後は大学へ進学せず、VリーグのジェイテクトSTINGSに入団。一気に成長を遂げ、日本のみならず活躍の舞台を世界へと広げた。当時は西田が追う立場だったのに対し、今は「自分の方が追う立場で、まだまだ追いつけない」と宮浦は謙遜(けんそん)する。だが大学へ進学したからこそ得られた強みもある、と宮浦は言う。
「もし自分が同じように高校を卒業してからすぐVリーグに進んでも通用しなかったし、今のレベルに達することはできなかったと思います。大学で専門知識を持つ先生方やバレーボールのスタッフの方々にいろんなことを教えてもらって体も強くなったし、何より、教職課程の中で受けた授業から学ぶこと、興味深いことがたくさんある。例えば陸上競技の先生から体の使い方について教わった時、『バレーボール選手は競技特性上、すり足になることが多いから走る時もベチャベチャっと接地するけれど、そこを改善すればもっと跳べるようになるよ』と言われたんです。そんな考えをすること自体なかったので、ものすごく勉強になったし、大学にきたからこそ得られたものがたくさんあると、これから示したいです」
感謝の気持ちを胸に、一致団結して戦い抜く
今は目の前の全日本インカレに向けて、これまで取り組んできた全てを出し切る。その一心で練習に励むが、それでも時折、想像することもある。もしもスケジュール通りに全ての公式戦が行われ、試合の度に見える課題や粗さを研ぎ澄ましながらこの時を迎えていたなら、どんなチームになっていたのだろうか、と。
秋季リーグの代替大会も途中で中止となり、公式戦としては戦いきれなかったため、このチームで挑む公式戦は全日本インカレがほぼ初めてと言っても過言ではない。キャプテンとしてどれだけチームを牽引できるか。公式戦で対戦していない相手とどう戦うか。鎮西高の後輩でもあり、“スーパー1年生”と言われる水町泰杜(たいと)や荒尾怜音(れおん)は大きな戦力であるのは間違いないが、5セットマッチのトーナメント形式の公式戦を連日戦った経験はない。
何がどうなるか。今は全く分からない。でも、だからこそ思うことはひとつ。
「いかなる状況であろうと、全日本インカレを戦えることに感謝して、集中すること。ここまで準備してきたことを、試合に出る選手だけでなく早稲田のチーム全員で発揮して、1試合1試合、一致団結して戦い抜きたいです」
ようやく巡ってくる、今年最初で最後の舞台に胸躍らせながら。早稲田の主将として、胸を張ってコートに立つだけだ。